平日の午前中にもかかわらず、結構な数の観光客がいます。
さすがですね。
受付で「普通に見学すると30分くらいです」
と言われたので、その気でいましたが全然足りませんでしたよ。
1時間以上かけて回りました。
入ると直ぐに、広い土間。
ここで、地域の農家(小作?)が米を納めにズラリと並べるそうです。
当然入り切らないので、家の前にはコメを納めるための行列が長く続いたとか。
画像ではわかりにくいと思いますが、土間に面している部屋は3層に高さが異なっています。
最も高い位置にある部屋には家長と長男だけが入れます。
その下は家族、最下層には使用人が入れる。
幼い頃に、太宰が足を踏み入れようとしたところ、長兄に頭を押えられて阻まれたそうです。
台所に繋がる板の間を始め、床や建具はピカピカに磨きあげられています。
日本三大美林のヒバが使われているそうですが、柱も太く本当に立派で圧倒されます。
ものすごい数のお膳。
いったい、使用人を含めて何人がこの家にいたのでしょうね…。
廊下の長さが大きさの証明。
御仏壇。
畳一畳分の幅があり、ふんだんに金が使われています。
ま、眩しい!
家族の居室には大きな時計。
明治37年に購入された、SEIKO社のもの。
今は止まっていますが、この家の人々の暮らしをずっと見つめていたのだろうと思うと、しばしその前に佇んでしまいました。
建物内の端の方には大きな金庫のある、カウンターが設置された洋室があります。
津島家は、もともと貸金業で財を成したそうです。太宰の父の代になっても続いていたんですね。
2階に上がると洋間があります。
踊り場のある階段も凝っています。
漆喰の壁や天井の飾りも素敵
寄木細工が施された手すり
いちいち感心してしまいます。
どれだけの職人さんが手がけたのか。
その人々をこの金木の地に呼び寄せて作らせたのですね…。
すごい。
2階の洋間の調度は、当時の物がそのままになっています。
奥の寝椅子は、太宰が幼い頃に寝転んでおやつを食べたとか。
天井が凝っている!
2階にも和室はたくさんあり、
賓客用やそのお付の人用の他、家族の居室もあります。
太宰の父の居室は、比較して驚くほど小さく質素といってもいいのです。
貴族院議員となり、ほとんどこの金木には居なかった故とはいえ意外。
金箔の襖の部屋。
銀箔に4枚の書が飾られた襖の部屋。
この襖の中に「斜陽」の文字が書かれています。
2階から見渡せる広い庭。
太宰は
「風情も何も無い、ただ大きい」とこの家を書いています。
新しくピカピカした状況では、あるいはそうかもしれません。
しかし時を経て蓄積された歴史と、太宰治という存在が、別の意味での”風情”を感じさせるような気がします。
ゆっくりじっくり見て回るとお昼近くになっていました。
お腹がすきました…。
斜陽館向かいのマディ二ー(物産館)で食事です。
「太宰らうめん」
これ、食べようと思っていました(笑)
太宰が好きだった細い筍が具材です。
たっぷりのワカメとチャーシューとなかなか具沢山。
煮干かな?のお出汁が効いていて、スープも美味しいです♪
隣席の地元のおばぁちゃん2人のお喋りが、全く「何を言ってるかわからない」のが旅情。
器に仕掛けがあり、スープを全部飲み干せば、太宰の小説の一節が読めるのですが…
わたくしにはちょっと味が濃くて
飲み干すことが出来ず…残念でした。
この後、斜陽館から直ぐの
「太宰治疎開の家」に向かいます。
続く
行きたい!
続き 楽しみです(^O^)/
ところでずーーーーーーーーーーーと前に青森で食べたラーメンも、煮干しでした。
お天気もよかったし♡
行くチャンスがあれば是非。
青森は煮干しラーメンがスタンダードなのかも?
でもシジミラーメンっていうのもありましたよ。