表現の自由。
例え弱者に対してでも風刺する文化。
?
例えば、どんなに批判される存在だったとしても
いま、生きている人物を暗殺するような映画をわざわざつくること。
例えば、一部の過激な人びとが憎むべき犯罪を犯していても
その人びとが信じている神を、他の多くの善良な多くの人びとも敬虔に信じているのに
わざわざ嘲笑い、馬鹿にするような風刺をすること。
私はとても下品な事だと感じる。
表現する自由と権利を強く主張すべきは、権力や力を持ち得ない人びとなのではないだろうか。
例え弱者に対してでも風刺する文化。
?
例えば、どんなに批判される存在だったとしても
いま、生きている人物を暗殺するような映画をわざわざつくること。
例えば、一部の過激な人びとが憎むべき犯罪を犯していても
その人びとが信じている神を、他の多くの善良な多くの人びとも敬虔に信じているのに
わざわざ嘲笑い、馬鹿にするような風刺をすること。
私はとても下品な事だと感じる。
表現する自由と権利を強く主張すべきは、権力や力を持ち得ない人びとなのではないだろうか。
今回は考えさせられるテーマですね。
この間、マスコミを賑わしたソニーピクチャーの映画とフランスの風刺画問題ですね。
実は私はこの問題について、残念に思っていることがあります。
ふだん饒舌なコメンテーターと評する方々が、まともな論評をしないことに違和感を覚えています。敢えて避けているとしか思えません。
きちんと意見を言うべきだと思いました。
葉月さんがご自分の意見をきちんと述べていることは、非常に嬉しく思っています。
ソニーピクチャーの映画の件ですが、北朝鮮のハッキングは問題外ですが、この映画が北朝鮮の独裁者を描いたのは明らかです。
ただ、映画を観ていないので、速断できかねますが、現時点では許容範囲です。
以前チャップリンがヒットラーがユダヤ人迫害を続けている最中に、「独裁者」という映画を作り、ヒットラーを告発しました。
私は笑いと風刺の効いたこの映画が好きです。
今回の映画がそういった風刺映画なのか、単なるお笑い三流映画なのかは観ていないのでわかりませんが、国民の自由や人権が圧殺し続ける独裁者を批判することは一般的にありだと思います。一方、表現の手法(暗殺など)については議論があってしかるべきとも思います。
フランス新聞社の風刺画の件ですが、テロは問題外ですが、基本的に葉月さんと同じ意見です。
キリスト教もイスラム教も一神教で、他神に厳しいのは仏教とかなり違いますが、
私は他宗教批判はするべきではないと思っています。
私の禅の師匠もこの点は強く言っておられます。
また風刺の対象にもすべきではないとも思います。
自らの信ずる神への批判は、憎しみと争い以外を生まないことは歴史が示しています。
表現の自由は絶対に尊重されるべきですが、高い志と義務も求められます。
日本でも、ヘイトスピーチが問題になりました。
表現の自由だからと、相手の人権を無視した表現は問題外です。
以上が私の意見です。
昨日強い雨で出れなかった散策ですが、今日早朝と、昼からもぶらぶら歩いてきました。
そんなに寒くもなく、散策日和でした。すっきりです(笑)。
お返事が遅くなって申し訳ありません。
週末に大阪、USJ、そして今日お仕事をして
新幹線の車内です。
ヘイトスピーチは、中身を(中身らしい中身はないですが )聞いても、全く論外だと思います。
感情ばかりで論理性がなく、帰って逆効果だと思わずにいられません。
少し前に、橋下大阪市長との対談?が同じレベルの応酬だったのには参りました。
しかし、あれは橋下市長の演出だったような気がしています。
明日も早朝から移動して終日の仕事。明後日はまた出張して夜まで仕事なので、もう何だかわからなくなりそうです(笑)