プロデュースユニット「ななめ45°」

白木原一仁による表現ユニット。関西を拠点に、パントマイム/ダンス/音楽を取り込んだ演劇をプロデュース形式で展開中!!

甲野善紀

2007年04月27日 03時02分55秒 | シロキハラの素ン晴らしい日々
という方をご存じか?

かく言う僕は知りませんでした。
古武術の人なんだけど、言ってることが変わってて面白いのです。
そんな人のドキュメンタリー映画を観てきました。場所はシネヌーヴォX。2階のちっちゃい方ね。

たまたまチラシを見かけて、何か気になったもんだから時間作って行ってきました。
これがねえ、何というか、分かったようで分からない。やっぱり実物見なきゃダメなのかもしれない。
でも言ってることと 講習会での出来事がすごく面白い。

それは合気道とはまた違う不思議なもの。元々興味があった分野なんで かなり惹かれました。確立された順からいうと合気の方が後だけど共通する部分が多い技術なのでしょうね。

で、甲野さんは「これを理解すればこんなことができる」的な伝え方をします。
武術として型を求めるのが目的ではなく、カラダの使い方を講習会で実演して「私はこれを武術の研鑽に利用しています。みなさんも自分なりに利用してください」という考えがあるようです。
だから介護の世界の人達も勉強に来ているんです。ちょっと意外でした。人をどうすれば簡単に持ち上げられるかが、思いもよらない方法でいとも簡単に行なわれる。ビックリします。

…って言っても分かりませんよね。バレエ・ダンス風に言えばインとアウトの捻りとプリエによる力の発生方法が「西洋科学的ではない」というところ。
また呼吸法も一風変わった理解をしているのかもしれません。

とにかく「自分のカラダに耳を澄ませる」のが重要なのです。
思うに、これは爆発力と瞬発力の両方を人体組成の物理的に“無理なく”発生させる力学方法論。
要するに いかに楽に身体を扱うか、ですね。

また、年をかさねる事にその内容も進化(深化)や変化をとげています。時に自説を覆すようなこともあったようです。が、それは型を求める事が目的ではないから当然なのかもしれません。


とにかく実践できるようになりたいと思いました。
パントマイムには通用できるか まだわかりませんが、自分のカラダへの理解を深めるうえで いいヒントになりました。



さよなら

2007年04月24日 11時07分00秒 | シロキハラの素ン晴らしい日々
親友と呼べる数少ない友人の一人が東京に行く。今ある仕事の状況をより良くするためだ。
やはり舞台関係の仕事は関西より向こうの方がやりやすいようで。ちょうど波に乗りかけていたから なるようにしてなった、というところか。

とても喜ばしいことだが、やはり寂しい気分は否めない。

彼はななめのメンバーである。元は役者で僕と一緒に初舞台を踏んだ仲だ。今は演出助手や舞台監督をしている。密に連絡を取るわけではないが、いつも何かの折りに行動を共にしていた。
信用できる友人というのとはまた違う、やはり親友という表現が一番近い存在だ。

今でも忘れられないことがある。

初舞台の時、ゲネでセリフをすっ飛ばした。
今でもやるが、当時はごまかし方も知らず、しかも稽古中はほぼ完璧にこなしていたので、周りもかなり動揺していた。準主役の重要な役だったのだ。
そしてどうする術もなく。「ごめん」と言って芝居を止めてしまった。

とても恥ずかしくて悔しくて。ゲネ後の楽屋で一人ヘコんでいた。
そんな時 横に来て「しっかりせえよ」とやんわり叱ってくれたのが彼だ。

役柄での絡みはなく それまでほとんど話した事のない相手だったが、すごく嬉しかった。人として とても信用できるヤツだと思った。


僕の中で彼に色がついた瞬間だった。始まりがそれで今でも繋がりを持っているのだから、これほど嬉しいことはない。

だが、今思えばあれからずっと甘えていたのかもしれない。事あるごとに相談したり無理聞いてもらったり。

東京に行くという話を聞いて、何かが抜け落ちる感覚と、しっかりしなきゃという焦りを感じた。
変な言い方だが、離れることになって良かったのかもしれない。

芝居始めてからの10年強。本当に世話になりました。ありがとう。
がんばれよ兄やん。おいらもがんばるよ。じゃあ気をつけて!


飲んできた

2007年04月21日 20時39分36秒 | シロキハラの素ン晴らしい日々
「花魁の首」というプロデュース作品で一緒だった人達と飲みに行きました。心斎橋界隈を練り歩きましたわ。


今年のアタマ 1月の末頃にやったやつです。確か 中間管理職みたいな役柄が似合うようになったんだな、と気づいた公演。

昨年末に(今から忘年会で 出し物どうするか焦ってる時に)とある女優さんから連絡が入りまして。「とりあえず今それどころじゃないから!」ってとこから始まった作品でした。



プロデュース公演だったけど 役者同士すごく仲良くなっちゃって、何回目ですかね 飲みに行くの。

で、今回の目的は「Barに行く」
まず居酒屋で景気つけて、その後2ヶ所行ったぜよ。

一つ目は僕が以前チャーハン君とパンチさんと3人でフラリと寄った『Classical&Flair BAR KAKERU』
フレッシュフルーツ搾りたてのカクテルを出してくれるところで、好みの果物と味を伝えれば良い具合に作ってくれます。
一明くんは「バナナ 重め」というオーダー。キッチリ要望通り出てきました。けどその後少し舌も重くなった模様。ていうか高杉さん喋りすぎ(^^)
オーダーするのが楽しいお店。フレアショー(映画の『カクテル』みたいなやつ)もされるみたいですよ。オーナーさんは外部でも そんなイベントをされてるみたいです。


続いて水谷さん、さかいしんごくんのお知り合いのBar『宮座喜』(字あってるかな?)こちらはちょい暗目のカウンターのみのお店。入っていきなり 目の前に「梁」があって、ちょっとビックリ。酔っ払いさんは入れませんな。お香の匂いに包まれた日本(アジア?)風ないい感じのお店でした。大沢嬢は氷がグラスに当たるカツンカツンという感じに感動されてました「すごーい、楽しー、プラスチックみたい」…失礼ですよ。薄手のグラスは高級です。


また行きましょうね。次のテーマは何でしょな?野外鍋か?

落ちた・・

2007年04月17日 00時22分50秒 | 稽古場日記
月曜はななめ稽古。今日は1人でコソコソやってました。

まあこんな事もあるのねん。人がいないのは寂しいけど、だからこそ出来る稽古をやってました。

舞踏公司時代にもよくやってたんですよ、1人で稽古場に行って。
あのときは普段の稽古が月木土にあったから、それ以外の曜日にほぼ毎日やってたなあ。それも23時頃まで。

おかげでTV番組を見る暇がなくてドラマネタなんかはさっぱり分からなかった。
でもそれがあったから今の自分があるわけで。
もともと運動部には縁のない学生時代でしたから、身体を使うことが自分に合ってるなんて思いもしなかった。
世の中どこでどう転ぶ・・いやいや、どこで自分の何と出会うか分かりません。
もひとつ言えば、学生時代には演劇やってることすら想像しなかったわけですわ。

こんなだから、更に10年後に自分が何やってるのかさっぱり分からんわ。

しかし毎日稽古してた頃(8年くらい前)より格段に体力が落ちてる。あの頃より身体の使い方に慣れてるはずなのに、長時間の稽古が出来なくなってる。年ですなあ。やだやだ。

またスタミナをつけるメニューを考えないと。
もう食べるだけではついていかないのねん。つくのは脂肪だけ。その辺りを特に改良しないと。

いろいろコソコソやってるうちに、應典院のシヲネさんがやってきてシャメをパチリ。
應典院のブログに載せてくれるそう。どんな内容か楽しみだす。
http://outenin.blog.drecom.jp/

明後日はワークショップ第2回目。マイムの王道『壁』をやりますよ。気になる人は應典院へ。
Come on! Join us!



感想文

2007年04月15日 09時18分26秒 | シロキハラの素ン晴らしい日々
最近ゴールデンタイムのTV番組をよく見る。今日は映画の「海猿」をみた。

いい映画ですねえ。
でも原作は1巻目だけ読んだ気がするんですけど、かなり設定変わってますよね?

まあ それはそれとして、良かったです。
加藤あい かわいかったです。
國村準 良い味出してました。
杏子 ヘソ出しで食堂のおばさんは無いなと思いました。


そして やっぱり海は優しいのに怖いものだと。

何より「死」って怖いと思いました。
昔から自分が死ぬことに対して あまり怖いと思っていない(痛いのは怖いです)とこがあって。死そのものに対して鈍感だった気がします。

もちろん誰かが亡くなれば悲しいし 誰かに死んでほしいなんてことは思わないんだけど、漠然と いずれ誰にも訪れるものだし 輪廻転生信じてるから こだわること無いじゃない、別に怖いことじゃないじゃない、みたいな事考えてて。


その恐怖って何だったのだろう?実はまだよく分かってません。
死んだらどうなる?みたいなことは問題じゃなくて。もしかしたら愛する者やモノへの執着(言葉悪いけど…)だったのかもしれない。大切にしたい気持ちの稀薄さを痛感した気がする。
どうなっても平気だという考えは、強さじゃなくて冷たさなのかなとも思った。

もっとアタタカイものを持ち続けようと思う。