奈良を中心に巡っています

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快川和尚は猫が好きだったか

2021-04-27 17:07:00 | 日記
恵林寺。
甲府盆地の東北に位置する。


武田信玄の墓所がある禅宗のお寺。武田氏滅亡後に織田氏に焼き打ちされた際、快川和尚が「心頭滅却すれば火もまた涼し」と言い残したことは余りに有名。
ここには、踏むと音のする「鶯廊下」と、美しい庭園がある。


また今回初めて気付いたが、順路内に真っ暗な迷路、胎内道のような仕掛けがあった。
受付の机の上には猫が寝転んでおり、娘さん2人に可愛がられていた。野良猫らしいのだが、食事時になると上がり込んでくるとのことだった。塗り絵まで売っていた。


夏になると、付近は一面の葡萄畑が葉をつけ、地面が浮き上がったように見える。

奈良盆地が昔は湖であったというのが定説になった今、甲府盆地も嘗ては湖だったのではないかと思わされる。梅原猛か。

修験の場か、身延山久遠寺

2021-04-27 07:30:00 | 日記
身延山久遠寺。
日蓮宗の総本山であり、日蓮の墓所がある。


三門を潜るとゴツゴツした石畳が続き、自然と姿勢は俯き加減になる。その先には287段の石段、菩提梯が聳える。

寺には石段が付き物だが、この石段は傾斜だけではなく、段一段の高さが出色である。歩くというよりは太腿を持ち上げて登らなくてはならない。5段ぐらい登る度に息を整える。
上から覗くとまるで崖だった。


帰りは女坂を降ったが、斜面には蘭の一種だろうか、白い花が一面を飾っていた。

大宮への寄り道〜南部町

2021-04-26 18:18:00 | 日記
奈良から大宮への引き揚げ。
途中、いくつか寄り道をした。まずは、

山梨県南部町。
富士市から富士川を遡り県境を越えて最初の町が南部町である。その最初の道の駅に入ると、変わった商品を見つけた。

ヒルよけスプレーだ。その隣にはマムシの粉末が置いてあった。


一体どんな土地なのだろうか。

そう言えばこの地出身の南部氏は、八戸辺りに数十人の手勢を引き連れ、やがて今の岩手県一帯を治めるようになる謎の多い一族である。
旅行に行くと、今まで点であった知識が立体的になる時がある。旅の醍醐味である。


法華寺の御本尊開帳と奈良国宝の複製品について

2021-04-09 12:03:00 | 日記
法華寺では、名勝庭園、ひな会式、本尊ご開帳など期間限定のイベントがあり、その全てを体験できるのは4月1日から7日の1週間に限られる。  
入口で入場料を払って、いつも通り右手の庭園に行く。ここは華やかさはないが、いつも何某か季節の花が咲いている。手前左にラベンダー、奥にネモフィラとチューリップ。家庭の小さな花壇のようで、如何にも尼寺らしい。


いつもとは違い、幟が掲げられた本殿を横目で見て、名勝庭園に向かう。こちらは修復中のようで、池の水が殆ど抜かれ、名物の杜若も未だ穂が出ていなかった。歩く途中で剃髪した尼僧とすれ違った。


さて本殿であるが、今日は右側の複製像の扉は閉められ、左側の本尊が開帳されていた。やはり色は褪色しており細かな造作は見えにくい。像の前には55体の小像が並んでいる。堂内に流れる説明を聞くと遊女も混じっているという。この後、法要や献茶式などもあるらしいが、敷居が高いので遠慮した。


思えば奈良に来て、多くの複製をみた。円城寺の阿弥陀如来、法隆寺の玉虫厨子、そして奈良国立博物館の正倉院模造品。
特に正倉院模造品は気合が半端なかった。木や螺鈿などの素材は本物を使い、絹は皇后殿下が皇居で育てた蚕の糸を使う。現在あるがままの姿ではなく、製作当初の姿を再現させている。ガラスで囲われているが鏡などが置かれ、前後左右から隈なく見ることができる。正倉院宝物は毎年一部が公開されているが一度展示したものは10年間は外に出さないという。宝物は9千点あるので、五弦琵琶など次にいつ見られるか分からない。こうした複製品は嬉しい。

夢殿の救世観音もいつか複製が作られたらと思うが、これは高望みかもしれない。

何故ここに物部神社が?行ってみてなるほどと納得

2021-03-31 14:22:00 | 日記
GoogleMapを眺めていたら、大和盆地のほぼ中央、大和川沿いに物部神社の表示を見つけた。
物部氏は、大阪を基盤とし、現在の天理市にある石上神宮辺り軍事拠点としていた古代氏族である。それがどうしてこんなところに神社が?と不思議に思って行ってみた。
同社は、村屋神社の一角にあるらしい。

村屋神社の参道は椿が咲き誇っていた。静けさの中、時々ボトッと椿の花が落ちる音がする。
この神社の主祭神はミフツヒメ。大物主の何人目かの妻である。かなり歴史があるようだ。

境内には幾つかの摂社があるが、変わっているのはどの社の前にもイラスト入りで祭神の説明がある立て看板があることだ。

拝殿はこんな具合。後でググってみたら、この神社の禰宜さんがイラストレーターで、この看板を制作したらしい。

よく見ると、この神社を舞台としたボイスドラマCDが発売されているらしい。奈良FMとかあったら取り上げられたのだろうに。

さて、問題の物部神社であるが、村屋神社の南西角にあった。



物部氏の祖先を祀った神社らしい。祠はかなり小さい。
またこの祠の周りは干上がった池のような窪みに囲まれている。堀にしては石材などもない。これは大和川の河跡湖の名残りではないのだろうか。
現在の大和川はかなり広く流路も直線に近いが、各所に堰がありとても船が通ったとは思えないが、元々は暴れ川。昔は河床が高く曲りくねっていたと思われる。以前に住んでいた宮崎の八重川も蛇行しながら深く緩やかな淵が続いていた。今は広く直線的な流れに改修されているが。

さて全体を見て回っても謎は解けない。帰りに神社の隣の社務所をチラリと見て驚いた。

あっそういう訳か。
もう一度物部神社の立看板を見て、やっと合点が行った。