この記事も1990年発行、アレクサンドル・リュツコ著「チェルノブイリのバックグラウンド」からですが、日本人の皆さんにはそんなに役に立たない内容かもしれません。
しかし、あまりにも驚いたのでご紹介します。ただこの本はチェルノブイリ原発事故から4年後の1990年に発行されたものですので、そのことを念頭に読んでください。
( )内の文章は私のコメントです。
・・・・・・・・・・・・・
人間の被ばく限度については、3つのカテゴリーに分けられる。
第1グループは原発従業員、アイソトープ研究員、放射線治療従事者など被ばくの可能性が高い職業に就いている人で、年間の被ばく限度は50ミリシーベルトとしている。
第2グループは放射線関連施設で働いているが、直接放射線を扱わない仕事に就いている人である。(第1グループの施設で掃除や警護など裏方の仕事をしている人のことです。)このグループの年間被ばく限度は5ミリシーベルトである。
第3グループは第1・第2グループに該当しない人、つまり一般人で、年間被ばく限度は1ミリシーベルトである。
(以上の規定はソ連政府が自国民に対して決めたものです。)
もちろん第1グループの人が一般人より、放射能に強い体であるから、といった理由で異なる被ばく限度が定められているわけではない。
第1グループや第2グループの人は被ばくの検査や、そのほかの健康チェックも細かくしているので、被ばくによる影響が出ないように予防することも早くできるようにしている。そのためこのような被ばく限度量にしている。
しかしチェルノブイリ原発事故が起きてから1年間は以上のグループ分けに関係なく、(ソ連政府国民)全員の被ばく限度を年間100ミリシーベルトに引き上げた。
そしてこれを元に食品についての暫定基準値も計算され、定められた。
1986年5月にソ連政府が設定した食品の暫定基準値は次のとおり。単位は1キロあるいは1リットルあたりのベクレル。
飲料水 370
牛乳 370
練乳 18500
サワークリーム、カッテージチーズ 3700
バター 7400
肉類(豚肉、鶏肉、羊肉)、魚、卵、肉類と魚類の加工食品 3700
牛肉、牛肉の加工食品 3700
植物油、マーガリン 7400
ジャガイモ、野菜、葉物野菜、自家栽培の果物、ベリー類 3700
チェルノブイリ事故発生後1年経ってから被ばく限度量が見直され、1990年1月までに30ミリシーベルト、25ミリシーベルト、と引き下げられていった。
食品の暫定基準値も改定され、1988年10月に定められた基準値はこのとおり。単位は1キロあるいは1リットルあたりのベクレル。
飲料水 18.5
牛乳 370
練乳 1110
サワークリーム、カッテージチーズ 370
バター 1110
肉類(豚肉、鶏肉、羊肉)、魚、卵、肉類と魚類の加工食品 1850
牛肉、牛肉の加工食品 2960
植物油、マーガリン 370
ジャガイモ、野菜、葉物野菜、自家栽培の果物、ベリー類 740
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これを見て、文字通り、いや(@Д@;) 絵文字どおりの顔になってしまいましたよ・・・。
これはひどい。ソ連政府って・・・。
ちなみにこの本が発行されたときはまだソ連崩壊前でした。そして上記の文章から推測すると、この本が発行されたのは1990年ですが1月以降ですね。(発行年は記載されてあすが、月日が記載されてないのです。)
そしてその時点でも1988年設定の暫定基準値が適用されていた、ということです。
この後ソ連崩壊、ベラルーシ共和国独立、各共和国ごとの基準値が作られていくことになります。
もちろん現在のベラルーシの基準値はもっと厳しいものになっています。また食品の分類も細かくなっています。
それにしてもバベンコさんが「自分と子どもを放射能から守るには」出版記念講演のため来日したときは、日本のマスコミ各社から
「日本の暫定基準値についてどう思いますか?」
と質問攻めにあい、
「日本人の食生活に合わせて、もっと厳しくすべきです。」
と応えていたら
「日本の基準値は甘すぎる!(とベラルーシの専門家も言っている。)」
とか報道されましたが・・・
「チェルノブイリのバックグラウンド」のこのページを見た私は・・・何だか日本がとてもすばらしいよい国に思えてきました。(^^;)
いやあ・・言葉が出てこないと言うか何と言うか・・・この基準値はソ連政府よ・・・犯罪行為ではないですか・・・。
事故発生から1年間はこんな基準値でOKだった食品を国民が食べていたから、後になって甚大な健康問題が国民の間に出てきたんですよ。(涙)
しかし、よく考えると1986年当時、このような基準値だったからと言って、(今の)ベラルーシ(やウクライナ、ロシア)で流通していたの肉類がどれもこれもぎりぎりOKの1キロ当たり3690ベクレルだった、ということではありません。
測定してみたら10ベクレルだったから流通OK、100ベクレルだったからOK、1000ベクレルだったからOK、3000ベクレルだったからOK・・・とさまざまな食品が出回っていたと思われます。
もちろん0ベクレルだった食品も食べていたということです。
一方でチェルノブイリ原発事故が起きてから間もない時期には食品の検査体制が整っていなかったので、全ての食品を検査できていたわけでもありません。
実際にどのような食品を当時の国民が口にしていたのか、実態ははっきりしていません。でも1986年5月、1キロ当たり18499ベクレルの練乳は堂々と売ってよかった、ということです・・・。
でも事故から2年半経ってもこの基準ですよ。
日本は約1年後の2012年4月からもっと厳しい値に改定されるわけですから、ソ連政府よりずっと対応のスピードが早いと思いました。
(ここのところがまだ救いになっているかも・・・。でもソ連などと比べるな、と言う日本人もいるでしょうねえ。)
しかし、あまりにも驚いたのでご紹介します。ただこの本はチェルノブイリ原発事故から4年後の1990年に発行されたものですので、そのことを念頭に読んでください。
( )内の文章は私のコメントです。
・・・・・・・・・・・・・
人間の被ばく限度については、3つのカテゴリーに分けられる。
第1グループは原発従業員、アイソトープ研究員、放射線治療従事者など被ばくの可能性が高い職業に就いている人で、年間の被ばく限度は50ミリシーベルトとしている。
第2グループは放射線関連施設で働いているが、直接放射線を扱わない仕事に就いている人である。(第1グループの施設で掃除や警護など裏方の仕事をしている人のことです。)このグループの年間被ばく限度は5ミリシーベルトである。
第3グループは第1・第2グループに該当しない人、つまり一般人で、年間被ばく限度は1ミリシーベルトである。
(以上の規定はソ連政府が自国民に対して決めたものです。)
もちろん第1グループの人が一般人より、放射能に強い体であるから、といった理由で異なる被ばく限度が定められているわけではない。
第1グループや第2グループの人は被ばくの検査や、そのほかの健康チェックも細かくしているので、被ばくによる影響が出ないように予防することも早くできるようにしている。そのためこのような被ばく限度量にしている。
しかしチェルノブイリ原発事故が起きてから1年間は以上のグループ分けに関係なく、(ソ連政府国民)全員の被ばく限度を年間100ミリシーベルトに引き上げた。
そしてこれを元に食品についての暫定基準値も計算され、定められた。
1986年5月にソ連政府が設定した食品の暫定基準値は次のとおり。単位は1キロあるいは1リットルあたりのベクレル。
飲料水 370
牛乳 370
練乳 18500
サワークリーム、カッテージチーズ 3700
バター 7400
肉類(豚肉、鶏肉、羊肉)、魚、卵、肉類と魚類の加工食品 3700
牛肉、牛肉の加工食品 3700
植物油、マーガリン 7400
ジャガイモ、野菜、葉物野菜、自家栽培の果物、ベリー類 3700
チェルノブイリ事故発生後1年経ってから被ばく限度量が見直され、1990年1月までに30ミリシーベルト、25ミリシーベルト、と引き下げられていった。
食品の暫定基準値も改定され、1988年10月に定められた基準値はこのとおり。単位は1キロあるいは1リットルあたりのベクレル。
飲料水 18.5
牛乳 370
練乳 1110
サワークリーム、カッテージチーズ 370
バター 1110
肉類(豚肉、鶏肉、羊肉)、魚、卵、肉類と魚類の加工食品 1850
牛肉、牛肉の加工食品 2960
植物油、マーガリン 370
ジャガイモ、野菜、葉物野菜、自家栽培の果物、ベリー類 740
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これを見て、文字通り、いや(@Д@;) 絵文字どおりの顔になってしまいましたよ・・・。
これはひどい。ソ連政府って・・・。
ちなみにこの本が発行されたときはまだソ連崩壊前でした。そして上記の文章から推測すると、この本が発行されたのは1990年ですが1月以降ですね。(発行年は記載されてあすが、月日が記載されてないのです。)
そしてその時点でも1988年設定の暫定基準値が適用されていた、ということです。
この後ソ連崩壊、ベラルーシ共和国独立、各共和国ごとの基準値が作られていくことになります。
もちろん現在のベラルーシの基準値はもっと厳しいものになっています。また食品の分類も細かくなっています。
それにしてもバベンコさんが「自分と子どもを放射能から守るには」出版記念講演のため来日したときは、日本のマスコミ各社から
「日本の暫定基準値についてどう思いますか?」
と質問攻めにあい、
「日本人の食生活に合わせて、もっと厳しくすべきです。」
と応えていたら
「日本の基準値は甘すぎる!(とベラルーシの専門家も言っている。)」
とか報道されましたが・・・
「チェルノブイリのバックグラウンド」のこのページを見た私は・・・何だか日本がとてもすばらしいよい国に思えてきました。(^^;)
いやあ・・言葉が出てこないと言うか何と言うか・・・この基準値はソ連政府よ・・・犯罪行為ではないですか・・・。
事故発生から1年間はこんな基準値でOKだった食品を国民が食べていたから、後になって甚大な健康問題が国民の間に出てきたんですよ。(涙)
しかし、よく考えると1986年当時、このような基準値だったからと言って、(今の)ベラルーシ(やウクライナ、ロシア)で流通していたの肉類がどれもこれもぎりぎりOKの1キロ当たり3690ベクレルだった、ということではありません。
測定してみたら10ベクレルだったから流通OK、100ベクレルだったからOK、1000ベクレルだったからOK、3000ベクレルだったからOK・・・とさまざまな食品が出回っていたと思われます。
もちろん0ベクレルだった食品も食べていたということです。
一方でチェルノブイリ原発事故が起きてから間もない時期には食品の検査体制が整っていなかったので、全ての食品を検査できていたわけでもありません。
実際にどのような食品を当時の国民が口にしていたのか、実態ははっきりしていません。でも1986年5月、1キロ当たり18499ベクレルの練乳は堂々と売ってよかった、ということです・・・。
でも事故から2年半経ってもこの基準ですよ。
日本は約1年後の2012年4月からもっと厳しい値に改定されるわけですから、ソ連政府よりずっと対応のスピードが早いと思いました。
(ここのところがまだ救いになっているかも・・・。でもソ連などと比べるな、と言う日本人もいるでしょうねえ。)