さんぽ道(飾らない日常を楽しむ暮らし♪)

ジイジとばぁばと若い彼ら♪

自分の父親のその後

2016-10-09 18:38:06 | 介護
「リアルタイム分析」の処を見ていたら 私の3年前の介護の記事をせっせと読んで下さる方が
おいでのようだ。
だから・・その後 父がどうなったか・・書いてみようと思う。
施設からの脱走は その後も続いた。何度も頭を下げて お詫びの品も下げて誤りに通った。
だけど・・昨年の3月父は肺炎を起こして 施設の関連の病院に入院となった。
私的には 糖尿や心臓の心配もあったので 掛かりつけの病院に回して貰えないか?
この一言が医師の感情を逆なでしてしまったように思う。
父を病院に搬送後 医師に呼ばれた。怒った顔の医師に 邪魔者のような 手のつけようのない父の事を詰られた。
今思うと 万事ごもっとも!だと思う。
入院はさせたけど 一般病棟には 置けない事 脱走や徘徊だけでなく 他の入院患者に何をするか解らないので
看護婦詰所の隣に寝かせる事、すこしぼうっとするような薬を使ったり、事によっては身体拘束もすると言われた。
実際 目が醒めてる時間、目が離せないので 看護婦さんが仕事が出来ないので 車椅子に 身体拘束をするカバーを付けて乗せてあった。しかし・・それさえ・器用にすり抜けると呼びつけられた。
その時期、私の嫁ぎ先の義母が最終的な状態にあって 父の付き添いが出来る状態ではなかったので 事情を話して付き添いをしなかった。
一か月位で 退院でき その足で元居た介護施設に預かってもらったが また掛かりつけの医師 相談員さん 施設の管理者 看護師さん同席の元 呼びつけられて もう・その施設では預かれない・・・ そこまで言われた。
そういいながらも12月迄預かってくれたが、12月になって 再び 同じ状態で呼ばれた。
「もう うちでは限界なので とりあえずは お父さんが長年お世話になっている病院に送ります。そのあとはうちでは引き取れませんのでソーシャルワーカーさんに相談に乗ってもらって 次の施設を探して下さい」ピシャリ!!と切られた。
その頃の父は認知症が急加速で進み 糖尿病もインスリンが自分で全く出せなくなり こちらも手が付けられない状態になっていた。
長年通った心臓病と糖尿病の専門病院の地域包括の部分にお世話になることになった。

ところがこちらでも病院の中で暴れたり 暴言を吐いたり手が掛かり 私は看護師さんから再三呼び出しを食らった。
夕方 夜中 明け方 容赦なく 好き勝手な時に暴れて 手が付けられないと。
その度に 病院の救急出入り口から 入れて貰い 父の部屋の冷たい床の上に 座ったり 寝転ぶ羽目になった。
父もベットも置いてない部屋に 床に床を作って貰って寝ていた。
年の瀬の12月のクリスマスイブの日。やはり病院から 呼び出しがあった。
部屋を薄暗くして ゆかに寝転んで 父さんと話した。その日は比較的まともな父であったから。
「おとうちゃんなぁ・・無茶ばかりしても何の得も 家に帰れる訳でもないんよ。 今更なぁ・・家に帰っても独りじゃあ暮らせん。
どうやって日々暮らすん? ご飯は誰が作るん? 買い物は誰が行くん? 誰が洗濯をするん?」「ワシが自分でする!」
「できりゃぁせんじゃろ? それが本当にできるんなら 私はおとうちゃんを施設に預けたりせんよ! 私がしてあげたくても 私には他にも手が掛かることがよーけことあるのが解らん? いい加減! キチンと理解してよ。どんだけ無茶をすりゃぁ 気が済むん?」そんな事をはなした。
「わかった 今後はもう・無茶を言わん!」 本当にそれが最後に。。暴れることも無茶をすることもなくなった。

あちこちの介護施設から散々 断られて行くところが無い状態で 私は追いつめられた。
実家に連れて帰って 自分と父の最後を迎えようかとも思った。涙も何も出ることはなくただ・・周りの人の迷惑が申し訳ないと思った。
トコトン 追い詰められた時、昔の知り合いに電話をかけて 受け入れてくれる場所が見つかった!!
その頃の父は口かずも少なくなり・・体も小さくなり・・自分の感情も出さなくなって扱いやすくなってきていた。

いま、父はグループホームに入らせて貰っている。会いに行くと すぐには解らない。
だけど・・話をしてると思い出して 嬉しそうな顔をし、「帰るね!また来るからね! いい子にしときよ?」そういうと 今にも泣きそうな顔をする。
その施設では ゴテる事無く 皆さんに大切にして貰って落ち着いている。

この18日 父は数えの90歳を迎える。 私は義父母を送り 父も母も・落ち着いている今・・なんと10年近い親子バトルをやったんだなぁって振り返る。思えば・・地獄の日々も沢山あった。 
まだ・・二人を送る日まで 気が抜けないけれど。。 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿