曼珠沙華が咲き始めました。
段々と居なくなった寂しさが深くなって来ますが、外で生きて来たのに よく頑張ったお利口さんがまだ そこに座ってるような気がします。
すぐ下の妹が亡くなったのがお彼岸の21日でした。
それまで一緒に遊んでいたのに、残されたのは祖父が拾って来た少し青みの入った栗の実。
それから半世紀以上が過ぎましたが、青みの残った栗を手にする度に あの時の寂しさが思い出されます。
91歳になった母は覚えているだろうか?
半狂乱になった身重の母の姿を覚えています。私は5歳でした。
8月の末に長い猫生を全うしたシロクロちゃんが旅立ちました。
段々と居なくなった寂しさが深くなって来ますが、外で生きて来たのに よく頑張ったお利口さんがまだ そこに座ってるような気がします。
今朝もクロちゃんに餌を上げに行って涙が溢れましたよ。
最近、韓国ドラマをよく観ています。
泣けるドラマが多くて💦💦
現実逃避も又 楽しからずや。
そのときお母様のお腹には 次の子が宿っていたのですね。
5歳のてちこさんは その時の光景をはっきり覚えておられます。
妹さんの分まで てちこさんが長生きせねばなりませんね。
外から見えぬ悲しい記憶は どこの家にもあるとしみじみしました。
韓国ドラマ うちにもファンがいますよ。
「どの家庭も100点満点は無いのよ」と。
歳をとって行くうちに意味がわかって行きました。
みんな口に出して言わないだけで 色んなものを背負って生きてるのだなぁと 自分を励ましました。生きる元気にもなりました。
私は3人の子供を産みましたが、母が「あの子の分を産むんだね」と言いました。
韓流は同感出来る物が多いですが、華流は苦手です (^_−)−☆
最初はドキドキして途中でドラマから逃げていましたが 数を見てる内に教わる事が多い事もわかりました。
儒教の教えは 日本人にも欲しいところですね♪
彼岸花、葉見ず花見ずとも言いますね。
葉は花を見たことがなく、花は葉を見たことがないという意味だとか。
青みがかった栗の記憶、悲しいですね。
大人だった者より子供だった者の方が鮮明に記憶が残るのかも。
しみじみと去って行った者達を思う秋の日々です。
たしかに曼珠沙華の葉っぱと花の時期 全く違いますね。
昔から知ってなければ 繋がりがわからないかもです。
今はまだ咲き始めですが、そのうち畦道いっぱいに赤い線が広がりきれいですよね。
自然いっぱいの中に静かに佇むと生きて来た時間を感じます。
特に秋はもの悲しい 寂しい気持ちになります。晩秋が好きな私です。
あの冷やっこい空気の中に暖かい何かを感じるんです♪