寝られない 眠れない・・
心が入れ替えられない 切り替わらない・・
今日、正確には昨日 担当者会議があった。
これからの両親の介護予定のために・・
父は介護施設を替わる。
今の施設では 看てもらえない。
母は在宅が月半分になる。
要するに 今の施設では 看てもらえない。
介護施設が2箇所になれば・・私の動く範囲は増えるばかり・・
母の在宅日が増えれば 実家に通う回数が増えるばかり・・
ケアマネさんの言い分は・・「私」の負担の軽減の為 という。
私には、面倒な両親を看たくない今の介護施設と ケアマネさんの負担軽減の為としか 取れない。
そんな悶々とした眠れない時間の中・・
ネットサーフィンでこんな文章を見つけた。
(以下の文章は 勝手にコピペしました ごめんなさい)
『「がんばらない」とは、「ギブアップしよう」という意味ではありません。むしろ逆で、「あきらめない、希望を捨てない」ことなんです。これまで十分がんばってきた人が思うような成果を上げられずに苦しんでいるとき、激励のつもりで言った「がんばれ」が、その人を傷つけてしまうことがあります。「がんばれ」という言葉には、「今のままじゃダメだ、もっとがんばれ」と、その人のがんばりを否定する響きがあります。だから本当は、「よくがんばっているね」と、その人のありのままの姿を認めて、そこから豊かな生き方をしていくことが大切なのです。
医療も介護も同じですが、「がんばる」介護は、みる側の都合を優先した押しつけの介護になりがちです。本来、介護は、介護される人の人生を支えることです。苦難の状況にいる「介護される人」が何を望んでいるのかが一番大事なのに、介護する側がひたすら「がんばる」介護の中では、それが見えなくなってしまう。肩の力を抜いて「がんばらない」介護をしてみると、誰を大切にしなければならないのかが自然に見えてきます。
と記しています。
「頑張らない」ことは、相手を思いやること。そう考えると、「頑張らない介護」は大切なことだと理解できるのではないでしょうか。』
この文章は私がかつて投稿した頑張れって言葉なんて聞きたくない!って言いたい事は理解して貰ってると思いました。
だけど「がんばる」介護は、みる側の都合を優先した押しつけの介護になりがちって言葉は現状の私にはまだ・・理解できない。
我が親たちの「本当に必要なのか?介護が?」って思える現実の言動を見てると世話をしすぎてるんじゃないのか? って思えてしまう。
確かにインシュリンの管理も飲み薬の管理も出来てない(父) やっとこさ歩いてる(母)をみると 「介護」は必要だろうとは思う。
しかし この人たちは 本当はもっと自立できるのではないのだろうか? 余りにも他力本願 依存過ぎてるんじゃないのか?
疑いたくなってしまう。
だから・・施設もケアマネさんも両親を離してしまうのではないのだろうか?と思い始めた。
私は自分勝手に「頑張りすぎてる」んじゃないのだろうか?
介護される側・・ちょっと大袈裟すぎるんじゃないの? いや?私が 手を出し過ぎてるのか?
心が入れ替えられない 切り替わらない・・
今日、正確には昨日 担当者会議があった。
これからの両親の介護予定のために・・
父は介護施設を替わる。
今の施設では 看てもらえない。
母は在宅が月半分になる。
要するに 今の施設では 看てもらえない。
介護施設が2箇所になれば・・私の動く範囲は増えるばかり・・
母の在宅日が増えれば 実家に通う回数が増えるばかり・・
ケアマネさんの言い分は・・「私」の負担の軽減の為 という。
私には、面倒な両親を看たくない今の介護施設と ケアマネさんの負担軽減の為としか 取れない。
そんな悶々とした眠れない時間の中・・
ネットサーフィンでこんな文章を見つけた。
(以下の文章は 勝手にコピペしました ごめんなさい)
『「がんばらない」とは、「ギブアップしよう」という意味ではありません。むしろ逆で、「あきらめない、希望を捨てない」ことなんです。これまで十分がんばってきた人が思うような成果を上げられずに苦しんでいるとき、激励のつもりで言った「がんばれ」が、その人を傷つけてしまうことがあります。「がんばれ」という言葉には、「今のままじゃダメだ、もっとがんばれ」と、その人のがんばりを否定する響きがあります。だから本当は、「よくがんばっているね」と、その人のありのままの姿を認めて、そこから豊かな生き方をしていくことが大切なのです。
医療も介護も同じですが、「がんばる」介護は、みる側の都合を優先した押しつけの介護になりがちです。本来、介護は、介護される人の人生を支えることです。苦難の状況にいる「介護される人」が何を望んでいるのかが一番大事なのに、介護する側がひたすら「がんばる」介護の中では、それが見えなくなってしまう。肩の力を抜いて「がんばらない」介護をしてみると、誰を大切にしなければならないのかが自然に見えてきます。
と記しています。
「頑張らない」ことは、相手を思いやること。そう考えると、「頑張らない介護」は大切なことだと理解できるのではないでしょうか。』
この文章は私がかつて投稿した頑張れって言葉なんて聞きたくない!って言いたい事は理解して貰ってると思いました。
だけど「がんばる」介護は、みる側の都合を優先した押しつけの介護になりがちって言葉は現状の私にはまだ・・理解できない。
我が親たちの「本当に必要なのか?介護が?」って思える現実の言動を見てると世話をしすぎてるんじゃないのか? って思えてしまう。
確かにインシュリンの管理も飲み薬の管理も出来てない(父) やっとこさ歩いてる(母)をみると 「介護」は必要だろうとは思う。
しかし この人たちは 本当はもっと自立できるのではないのだろうか? 余りにも他力本願 依存過ぎてるんじゃないのか?
疑いたくなってしまう。
だから・・施設もケアマネさんも両親を離してしまうのではないのだろうか?と思い始めた。
私は自分勝手に「頑張りすぎてる」んじゃないのだろうか?
介護される側・・ちょっと大袈裟すぎるんじゃないの? いや?私が 手を出し過ぎてるのか?
幾ら頑張ったって・・出来るだけの事しか出来ないって思うような事があります。
なんで姉妹なのに妹は両親のヘルプの意味が理解できないんだろうか?ってこともあります。
普段を看てないから・・本当の現状が把握できてないから・・解らないんですよね。
言葉で言っても 解らないみたいです。
それって・・なんで???って思います。
二人だけの姉妹じゃん
同じ親に育てられたのたったの二人だけじゃん なんで解らんの?って。助けてよ と思う。
妹は「 お姉ちゃんが 手を出しすぎるんよ。逝くのなら 逝けばいい 悲しくない」って。
逝くまでが大変なのに・・ねぇ。
あなたしかいないから 自分でわかってらっしゃると思います。
当時、私も同じ気持ちでいました。
すごく苦しかったです。
周りを見れば見るほど、悔しさとうらやましさと嫉妬心がありました。
うまく言葉では言えませんが、力を抜いてください たまには・・
出来るだけの事しか出来ないんです。