まったく予期しない災害とは 地震国ですから言えませんが、それにしても恐ろしい災害が起きたものです。
災害に遭われた皆様の様子をテレビをつける度に見ては・・新聞で読んでは・・ 心が張り裂けそうな 悲しさが襲ってきます。
本当に災害に遭われた皆様に 心よりお見舞いとご冥福をお祈り申し上げます。
一日も早く 温かく 不自由の無い生活に戻れますように 陰ながら 私に出来ることを 応援させて頂きます。
涙腺のゆるい私は 日に何度も涙を流してしまいます。
大津波に遭っても生き残って仲間のワンコを助けようとしているワンコの健気さ・・
寒さの中・・90数時間ぶりに助け出された方の強さ・・
あの大津波の中で生き残った方々の逞しさ・・ 言葉で表されるものではありません。
あの日、あの時間の直前までコタツの中にいましたが、本当は用事が沢山ありました。
私はまだ・・「アンタの世話にゃぁならん!」の姑の言葉が胸に刺さったまま 立ち直れて居ません。
あれから・・嫁ぎ先へ一度も出向いていません。 行けないのです。吐き気がしてくるんです。気分が悪くなってしまうんです。
逃げ口上かもしれませんが、どうしても足がでないのです。それでつい・・ゴロゴロとしておりました。
家を出てすぐ、大阪に居る長男からメールが入りました。私と嫁宛でした。
「生きてるよぉ~!」なんのこっちゃ? 何があったのか? だんだんと心配になって 暫くしてから嫁に電話を入れました。
「おかあさん 知らないんですか?」「なにが?」
「地震があったらしいんです」「あら・・そう? 私運転中だったんよ」
「彼はビルの18階に事務所があって 相当揺れたらしいんです」
それで車のラジオをつけて知りました。
以来・・地震のニュースから目が離せなくなりました。
ところが その日から少しして 私自身にも激震が走りました。
介護施設に居る父が ある朝インスリンを早く打ちすぎて 朝食の時間に倒れ意識がなくなり 施設で大騒ぎをしたらしいのです。
それで父のインスリンの管理がもう・・無理ではないか? こんな騒動を起こしてもし・・死んでしまったら、介護施設の管理?責任を問われるから インスリンを介護士に管理させるように 取り上げるといったところ・・父が癇癪を起こしたらしいのです。
父としたら 長年インスリンを自分で管理し・・自分できちんと打つ事が出来るという「プライド」を傷つけられたという感情から来たようです。
施設と父のの間でいい加減ギクシャクとした後で 施設長さんと内勤のドクターから 私に「至急 来てください」と呼び出しを受けました。
我侭な父は インスリンの件で 大騒ぎをしたらしいのです。決して渡さないと・・・
施設に着いてすぐ・・父に会う前に 別室に通され 「このような態度を取るのなら 施設としては責任が取れないので 今後父を預かる事は出来ない」と言うのが言い分でした。
ドクターや施設長さんの言い方は「今すぐにでも・・どこか他の施設に」を匂わすものでした。
色々・・お話をしてる内に 少し言い方も柔らかくなって 「お父さんを怒らせないように説得して インスリンを介護職員に 預けて欲しい。介護職員に管理させるように説得して欲しい」という言い方に変わりました。
それから・・お昼ご飯を挟んで 私は父と対峙し・・長い時間をかけて 父に説明し 理解して貰いました。
最初 怒って 話を聞かなかった父も私の「これだけは どうしても効いて欲しい」引かない態度を理解してくれたのか 折れてくれました。
そして・・インスリンは 介護士さんに管理をお願いすることになりました。
ただ・・幾らインスリンを渡したからと言って 管理者の気分を害してしまったことには変わりなく、それまで「暖かくなってもこのままロングショートでOK」から「介護度に応じてのショート期間だけ」になったことをケアマネさんから匂わされ、挙句他の介護施設に回される可能性も出てきたことを示唆されてしまいました。
それによって私の介護生活は大きく変化してしまいました。
両親を預かって貰えるから 体を壊さないで 実家の管理と自分の家の用事とが出来ていたんです。
でも・・月半分、両親が実家で生活を余儀なくされると ひとりでは生活できない歩けない精神不安定な母とインスリンを1日4回打つ インスリンを管理できなくなった父をどうやって介護すれば いいのでしょう????
昼間だけなら 毎日片道25キロも通えます。だけど夜もインスリンを打たなくてはいけないし、心臓の発作は明け方に起こりやすいのです。
月の内 半分を実家に泊まらなくては 管理 介護できません。
そうでなくてもギクシャクしてる 嫁ぎ先の両親の事 快く思うわけがありません。
1月だけの事なら・・我慢もして貰えても 何時まで続くとも解らない介護生活を受け入れて貰えるわけはないと思います。
運悪く つい最近ケアマネさんが移動になって新しいケアマネさんに代わり まだまだ我が家の困った実態も理解して貰えてない今・・
東方大地震もとても大変だと 感じつつ・・
自分の身に起きた 新しい激震に これからどうやって生きていこうかと・・落ち込んでいます。
災害に遭われた皆様の様子をテレビをつける度に見ては・・新聞で読んでは・・ 心が張り裂けそうな 悲しさが襲ってきます。
本当に災害に遭われた皆様に 心よりお見舞いとご冥福をお祈り申し上げます。
一日も早く 温かく 不自由の無い生活に戻れますように 陰ながら 私に出来ることを 応援させて頂きます。
涙腺のゆるい私は 日に何度も涙を流してしまいます。
大津波に遭っても生き残って仲間のワンコを助けようとしているワンコの健気さ・・
寒さの中・・90数時間ぶりに助け出された方の強さ・・
あの大津波の中で生き残った方々の逞しさ・・ 言葉で表されるものではありません。
あの日、あの時間の直前までコタツの中にいましたが、本当は用事が沢山ありました。
私はまだ・・「アンタの世話にゃぁならん!」の姑の言葉が胸に刺さったまま 立ち直れて居ません。
あれから・・嫁ぎ先へ一度も出向いていません。 行けないのです。吐き気がしてくるんです。気分が悪くなってしまうんです。
逃げ口上かもしれませんが、どうしても足がでないのです。それでつい・・ゴロゴロとしておりました。
家を出てすぐ、大阪に居る長男からメールが入りました。私と嫁宛でした。
「生きてるよぉ~!」なんのこっちゃ? 何があったのか? だんだんと心配になって 暫くしてから嫁に電話を入れました。
「おかあさん 知らないんですか?」「なにが?」
「地震があったらしいんです」「あら・・そう? 私運転中だったんよ」
「彼はビルの18階に事務所があって 相当揺れたらしいんです」
それで車のラジオをつけて知りました。
以来・・地震のニュースから目が離せなくなりました。
ところが その日から少しして 私自身にも激震が走りました。
介護施設に居る父が ある朝インスリンを早く打ちすぎて 朝食の時間に倒れ意識がなくなり 施設で大騒ぎをしたらしいのです。
それで父のインスリンの管理がもう・・無理ではないか? こんな騒動を起こしてもし・・死んでしまったら、介護施設の管理?責任を問われるから インスリンを介護士に管理させるように 取り上げるといったところ・・父が癇癪を起こしたらしいのです。
父としたら 長年インスリンを自分で管理し・・自分できちんと打つ事が出来るという「プライド」を傷つけられたという感情から来たようです。
施設と父のの間でいい加減ギクシャクとした後で 施設長さんと内勤のドクターから 私に「至急 来てください」と呼び出しを受けました。
我侭な父は インスリンの件で 大騒ぎをしたらしいのです。決して渡さないと・・・
施設に着いてすぐ・・父に会う前に 別室に通され 「このような態度を取るのなら 施設としては責任が取れないので 今後父を預かる事は出来ない」と言うのが言い分でした。
ドクターや施設長さんの言い方は「今すぐにでも・・どこか他の施設に」を匂わすものでした。
色々・・お話をしてる内に 少し言い方も柔らかくなって 「お父さんを怒らせないように説得して インスリンを介護職員に 預けて欲しい。介護職員に管理させるように説得して欲しい」という言い方に変わりました。
それから・・お昼ご飯を挟んで 私は父と対峙し・・長い時間をかけて 父に説明し 理解して貰いました。
最初 怒って 話を聞かなかった父も私の「これだけは どうしても効いて欲しい」引かない態度を理解してくれたのか 折れてくれました。
そして・・インスリンは 介護士さんに管理をお願いすることになりました。
ただ・・幾らインスリンを渡したからと言って 管理者の気分を害してしまったことには変わりなく、それまで「暖かくなってもこのままロングショートでOK」から「介護度に応じてのショート期間だけ」になったことをケアマネさんから匂わされ、挙句他の介護施設に回される可能性も出てきたことを示唆されてしまいました。
それによって私の介護生活は大きく変化してしまいました。
両親を預かって貰えるから 体を壊さないで 実家の管理と自分の家の用事とが出来ていたんです。
でも・・月半分、両親が実家で生活を余儀なくされると ひとりでは生活できない歩けない精神不安定な母とインスリンを1日4回打つ インスリンを管理できなくなった父をどうやって介護すれば いいのでしょう????
昼間だけなら 毎日片道25キロも通えます。だけど夜もインスリンを打たなくてはいけないし、心臓の発作は明け方に起こりやすいのです。
月の内 半分を実家に泊まらなくては 管理 介護できません。
そうでなくてもギクシャクしてる 嫁ぎ先の両親の事 快く思うわけがありません。
1月だけの事なら・・我慢もして貰えても 何時まで続くとも解らない介護生活を受け入れて貰えるわけはないと思います。
運悪く つい最近ケアマネさんが移動になって新しいケアマネさんに代わり まだまだ我が家の困った実態も理解して貰えてない今・・
東方大地震もとても大変だと 感じつつ・・
自分の身に起きた 新しい激震に これからどうやって生きていこうかと・・落ち込んでいます。
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