15日の日曜日にNHKで柳美里さんの児童虐待のドキュメンタリーが放送されていた。
彼女はボクとほぼ同世代であり、彼女の通っていた女子校に友人もいたから、以前からなんとなく注目していた。随分前のNews23のスペシャル番組である高校生が「どうして人を殺してはいけないのか」との問いに筑紫哲也氏と共に同席していたのが柳美里さんだった。たしかその問いに呼応する形で書かれたのが小説「ゴールドラッシュ」だったと思う。
彼女は在日朝鮮韓国人の家庭に生まれた。ボクの住んでいた地域にもそうした家庭が沢山あったし、高校に進学してからもやはり在日の朝鮮人の友人や華僑の友人が沢山いた。感性的には全くの日本文化の中で、しかし一方で日本人ではないという事柄は現実にも心の深層でも多くの重荷があることをそうした友人を傍らで見ていても感じた。
例えば作曲家マーラーの育ったユダヤ人家庭が非常に歪んだ部分があったのと同じように、柳美里さんの育った家庭にも歪みが顕われたのだろう。
そして柳美里さん自身の人生も非常に起伏に富んだジェットコースターの様な軌跡を描いている(ちょっと双極性障害に似ている)。
NHKスペシャル「虐待カウンセリング~作家 柳美里・500日の記録~」は見始めてしばらくしたら家族にチャンネルを回されてしまった。自分自身、双極性障害が酷いときには非常に感情的になるし、暴力も振るったことがある。家族としては当然の反応だろう。
ただ柳美里さんが番組の最初に表現していた感情の留めることのできない爆発は、非常に自分と似ていると思った。
柳美里さんの場合には子供への暴力が、自分の幼い頃受けていた暴力、忘れていた(解離した)記憶を再起させていく過程を番組では描いているようである。あたかもトラウマの教科書「心的外傷からの回復」のようだ。
自分にも明らかにトラウマと思われる出来事がある。
最近の脳研究では脳発達で重要な時期、3才位までにトラウマ的事象がある子供の脳幹は発達に変化を起こすことが知られてきている。残念なことにこの研究が明らかになってきたのは虐待児研究による。
虐待にしろ精神障害にしろ、トラウマや遺伝的特質その他によるもので、その条件のひとつがあるからといって誰しも必ず発現するわけではない。
ただいくつかの要因(家族・社会・ストレス・遺伝)が重なっていくと、ボクや柳美里さんの様にそれを心の病として成熟させてしまうのだろう。
彼女を見ていてもそう思うが、もっと幸せな生き方はいくらでもあり、しかも彼女自身それを十分に得ることのできる能力があるにも関わらず、結果的に自分にとって安寧ではない道を選んでしまう。
また大抵はもともと育った家庭が歪んでいるのだから、どうしても歪んだ方向を選びがちである。だってそれが自分が知っている「家族」なのだから。
ある種自分の中に爆発物を持っているのと同じ状況で、もちろん柳美里さんのようにカウンセリングで、それこそ「心的外傷からの回復」の様にそれと対面して昇華するという方法も一つであると思う。
ただ爆発物が自分の中からなくなるわけではない。それが検査で判定できるかは兎も角、脳科学的にいえば脳幹自体が歪んでいるのかもしれないし、脳機能的に感情抑制が効かなくなっている可能性もある。ある意味で幼児期のトラウマとは、あるいは脳から観た双極性障害とは身体的障害でもあるのだ。
他の双極性障害の人が同じであるかは判らないが、そうした「爆発物」を自分の中に捨てがたく持ちつつ、それを如何にコントロールするかがたぶん勝負なのだろう。またそれが暴走したときに如何にして最小限に制御できるかということを考えておくことも大事だろう。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます