雷こわい。
散歩の準備してたのに、いけないじゃないか。
tenki.jpのうそつき。
一時間半あとに散歩した。
双極性障害はいまだ病因がはっきりしない。いくつかの脆弱性要因(脳・遺伝・ストレス・病前性格等)で発症ではないかとの「仮説」の段階である。
双極性2型障害は揺れ幅が双極性1型(≒躁鬱病)よりも小さいとはいえ、根を同じくする病と考えられてる。専門医が強く訴えているように「揺れ幅が小さい≠病気が軽い」のではないのだ。 双極性2型障害も基本的には慢性と考えるべきだと思うし、寛解してもある程度の通院や投薬は「安心・安全」のために必要だと思う。
前置きはともかく、生活リズムが重要で「睡眠」がなんといっても重要なのだ。
昨晩は部屋が暑くて寝られなかった・・・・(もともと暑い部屋なのだ)。 たぶん心の病の長い人たちなら「睡眠の質が悪かった」というだろう。
今日、散歩のついでに「冷感マット(引き布団用)」を買ってきた。
まだ6月だというのに、真夏日が続いていいんだろうか???
強く言おう。 生真面目な心の病の人たちに・・・。
心の病の人も、病気のためには無理をせずに、クーラーを使いましょう。
特に入眠の際には体温を落とす必要があります。
寝る前に部屋を冷やしてタイマーで数時間後「切」にするのがお薦め。
きのう心理テストと診察があった。
心理テストは今回が最終回で、入院の時にほかの人もいちばんげっそりしていた古典的心理テスト「ロールシャッハ・テスト」をやった。
ウィキペディアを見て貰えば判るが、このテストは無作為に染み絵を対照的に作り、その絵をクライアントに見せてどう見えるか感じるかということを記録して、後に臨床心理士が分析する。たぶん精神分析系統のテストで、無作為の染み絵は他のことば等をつかってのテストよりも無意識の部分が表出しやすいといわれる。
一方で患者の状態やタイプによっては、無意識へのアプローチがときに強く出て、病状を悪化させることがある。だからあまりにも不安定な患者に精神科医はこのテストをやりたがらない場合もある。またこのテストは臨床心理の世界でも特に熟達が必要であって、継続的な修行によってはじめて一人前になる。
予想通り、しんどいテストとなった。
自分で自分を分析する気はさらさらないのだが、絵を観たときの直感の多くは否定的なものだった。「悪魔」とか「血」とか・・・。
心理テストのあと、診察までいつも時間が空くので大抵は外に一度出るのだが、病院を出る余力もなかった。
診察では衰弱しているボクを担当医が見てそうしたのか判らないが、いつもよりもお手柔らかな診察だった。ボクの目から見ると先生自体が疲れているようにも見えた。どちらが本当なのかは判らない。
前回から寝る前の薬を換えていこうという話は出ていたのだが、サイレース(ロヒプノール)を残し、抗精神薬であるヒルナミン(レボトミン)とその他の睡眠薬と睡眠導入剤はカットされた。新たに寝る前に非定型抗精神薬「ルーラン錠」が加えられた。
ヒルナミンは強力な鎮静作用で寝ている最中や昼間の頭を鎮めるのが目的だったと思うが、ルーランは非定型抗精神薬と呼ばれるちょっと変わった薬だ。統合失調症でいうところの陽性症状(興奮等)と陰性症状(うつ的・動かない)の両方に作用するといわれている。
だから、寝ている間や昼間に頭を鎮めることと、ボクのうつ的な傾向を多少持ち上げようということなのだろう。
ロールシャッハ・テストのせいか薬が換わったせいか判らないが、昨晩は悪夢を観るし、中途覚醒を繰り返すし、最悪だった。
とにかくルーランは薬が身体に馴染むまで様子を観るしかないだろう。
臨床心理学の世界では「いま、ここに、生きる」という視点がロジャース等の系統にしろ、認知行動療法的な系統にしろ言われる。
自分にはトラウマ的な出来事が2つ?ほどある。
ひとつはある人の自殺の出来事に2才~3才位の自分が傍らにいたことである。 べつにトラウマの教科書どおりのサンプルを書くつもりではないが、この記憶は成長期には漠然とし、断片的な夢と現の間のようなはっきりとしないものだった。 高校生位から、かなりはっきりとした記憶、夢として認識され、20才すぎにその記憶が周囲によって事実であることが確認された。 かなり細部にわたる記憶であった。意味は違うかもしれないが「三つ子の魂、百まで」とはよくいったものだ。
もうひとつのトラウマ的?なものは自分の存在に関することだ。 直近の記事で書いたようにある間違った「犠牲」によって自分は存在している。
ハーマンの「心的外傷と回復」でいえば、解離・抑圧されていた記憶を想起をして、事実として味わって、哀しみ、それを昇華するという過程をとる。
問題なのは昇華して「いまここに生きる」覚悟をしたとして「外傷は外傷として存在しつつける」という事実だ。
当然であるが、心的外傷は他の精神疾患と同様に「外からは見えない傷」である。 足を骨折をしている人が前から歩いてきて、その足にぶつかっていく人はいないだろう。普通なら自分からその骨折に触れないようにする。
ところが精神疾患やトラウマの場合、表立って傷が見えない。 だから病気や傷をよく知る家族や周囲の者でさえ、ときに全く配慮する事なしに傷に触れる。 ときに蹴っ飛ばすこともある。
これはよく統合失調症等の家族療法で、家族は患者の「傷=ボタン」を押さないように指導される。 ボタンは大抵本人の自尊心に関係する「ことば」である。 もちろん、「病気」であるので一般常識から見るとその「ことば=ボタン」はまるで自尊心等のボタンとは「関係ない」と思ったり「遠い」と家族は思っている。 しかし本人の中では病的に、あるいはメタファーとして飛び越えて自尊心へ直結する。 家族もこうした精神的な病が心に見えない大きな「傷」や「障がい」を持っていることを、そうした通常では考えられない「直結」があることを認識することは大事だと思う。
たいてい家族自身は自分がどこで「ボタン」を押しているか分からないことが多い。だから医者や臨床心理士、精神科ソーシャルワーカー等の専門家に「どこがボタンか?」を教えてもらう、換言するとレントゲンやCTのように傷の「翻訳・解剖」して説明してもらうことが必要だと思う。
一方で患者の方は、残念だがどこかの塾CMのように「やる気ボタン」ならぬ「傷ボタン」を可視化することはできない。 従ってそれは非常に大変な作業ではあるが、自分の弱い「ことば」や「言い回し」「状況」を前もって家族に伝えることが必要になる。
あとは認知療法的にそうした「ことば」に振り回されないことも大事だ。 ボクは認知療法はたぶん初期の軽い患者でないとなかなか有効でないのではと思っている。 ボク自身が試みている事は単なる「認知の変更」ではなく、現実への「タフさ」だ。
また「ボタン」が押されそうな状況から一時避難することも、悪意はないにしろ相手の提案(ことば)を断ることも、大切な自己防衛である。
自分のいのちが、「具体的他者」の「犠牲」によって成立している事を今日改めて数字で確認してしまった。
換言すれば、その犠牲がなければ、自分はこの世に「確実」に「存在」しなかったのだ。
村上春樹の「海辺のカフカ」は15才の少年が父親からかけられた「呪い」を発端にして物語が始まる。
別にそうしたことを否定している訳でも、引き受けないつもりもないが、もし言葉で表すなら上述のことはボクの事実としての「呪い」だ。
大江健三郎は「人生の親戚」という小説を書いた。スペインだったかどこかの国で「人生の親戚」とは「苦難」を意味するそうだ。もともと「苦難」や「呪い」を担うのは人間のひとつのあるべき姿なのかもしれない。
冷酷で大切なことは、「苦難」や「呪い」を人間は引き受ける自由はあっても、その運命事態を選択する自由は全くないということだ。 まるで「自由意志説」と「奴隷意志説」のような話だが。