通常、病にかかった場合「大変ですね」とかいわれても、正面切って嫌がられることはない。
ところが精神病、二大精神病と呼ばれる「統合失調症」と「双極性障害(躁鬱病)」、かつてなら神経症、それから非定型精神病などは腫れ物を触るような扱いはされても「大変ですね」とはいわれない。大抵、「大変ですね」といわれるのは家族の方である。
病気はふつう胃がんとか心臓病のようにある「身体の一定の場所が悪い」と考えられる。だから本人の意思とは別にそれは起こっているし、本人の意思・精神と混同されることはない。
けれども精神病の場合、本人の意思が病気に凌駕されてしまうわけで、それを本人もあるいは本人以外も、本人の意思がそうした異常な行動をさせているように見える。
ここが通常の病と精神病のもっとも異なる点で、異常行動を起こした本人が「悪い」という「人格」と「病気」の混同が行われる。通常の病と周囲の対応が異なるのもこの点であって、これが結果的に患者を孤立させることになり、快復を遅らせる多くの原因となる。
いま脳研究が精神科においても急速に進んでおり、二大精神病発症のメカニズムやもともと傾向として持っている遺伝子、脳内物質がどのような変調を来しているのかがだいぶ判るようになってきた。
たぶんこの先10年間で精神病の脳内研究はかなりの速度で発展して、病気の初期診断の面でも、薬の面でも、電気刺激等の処置の面でもめざましい変化を遂げていくだろう。
よくもわるくも急速なスピードで精神科脳研究は進んでおり、それによってデカルトではないが脳とその人の人格とを分けるという作業が物理的研究によって成立しようとしている。
つまり高血圧や頻脈とかのように、ある程度の遺伝的傾向と生活習慣によって精神疾患が成立しているという確立がなされようとしている。
もちろん精神を病によって凌駕されるのであるので、心のケアは不可欠であるが、病態そのものの把握の仕方が他の身体疾患と変わらないように医学的にはなっていくだろう。
問題は果たして社会がそうした精神医学の新しいパラダイムについてくることができるだろうかということである。
現象としてはその昔「狐憑き」や「悪霊」と呼ばれた現象と変わりはないのだ。
医学が進歩したところで、精神病患者の独特の苦しみや社会環境はなかなか変化しないのかもしれない。
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