どこ吹く風

旅のことを主に書く。

そろそろ閉じよう

2007年11月13日 06時27分33秒 | 西安留遊
 西安での語学研修旅行はこれまでの物見遊山とは違う楽しみ方をした。半分は物見遊山だったので、楽に楽しめながら勉強できたというのが正しいだろう。勉強の成果はまああんなもの、それで元が取れたと思っています。
 日常生活を普通ではなく楽しみながら毎日を過ごした経験は少ない。それが毎日今日は何をしようか、何をしたら何処へ行ったら楽しいかと考えて過ごす日々だったので終わってみれば4週間も短かった。世に言うロングステイもこういう生活なのだろう。

 この辺りで西安編を一応閉じます、いつまでも西安に浸っているとアタマの切り替えが遅れる。折に触れ楽しかった日々を思い出すのですが、西安は何処どこが良かったという一点豪華主義ではなく生活全体がボワ~ッとして優しく包み込まれた感じの心地好さでした。
ただ空に関しては納得がいきませんでした、大陸の真っ只中なので青空を期待していたのですが、青空は在ったような無かったような、雲も見えなかった。 空を見ると天気は悪くないが空は見えない、雲が厚いのかといえばそうでは無くて雲の形は見えない。いわゆる高曇りなのです。毎日雨が降りボヤ~ッとした天気が続いたが雨が降っているときも暗くなることは無かったような気がする。暗いというよりもぼやけた感じで雨が落ちていた。
こういう感じでした。

 食べ物は良く不満は全く無かった、ただ独特の香辛料と味付けの油脂類に好き嫌いはあった。果物も安く種類は多い、産地というよりも西安はそれなりの大都市なので各地から運ばれてくるのだろう。南方系の果物例えばマンゴスチンやパインも店先に並んでいた。ウチナーンチュなのにマンゴスチンを知らない人もいたのには驚いた。ウチナーでは出来ないけど知っているべきでしょと思うのは私の一人よがりか。タイ・ベトナムへ行っているくせに。

 名前が面白いものにハーメーグァと教えられた瓜があった。ウチナーンチュなら笑う名前である、ホントはハーミー瓜と呼ぶのだがハーメーグァの方がおもしろい。味はうらびれた桜坂で今でも未だ頑張っているかつてのママさん、つまりハーメー並みでした。(笑)
 楽しかった西安のメモ一応これでオワリにして、あとは思い出したら追記します。
写真はシルクロードの起点の記念碑です。
ここを旅立ち奥地へ行く日が来るのか・・・希望はあります。

通信事情

2007年11月12日 06時24分02秒 | 西安留遊
 長期の旅行なので家との連絡体制が必要と思っていた、向うへ行けば何とかなるだろうと考えていたが結果的にはダメでした。
携帯電話を国際電話として使えるようにするのがカンタンで便利という話を聞いたのでauに行ったが現在持っている型では変更できず買い直さねばならないと言われた。
私の電話は仕事柄落としても衝撃に強く簡易防水された型なのでチャチな型に変えるわけには行かないので国際電話に切り替えるのを止めた。

 長期滞在している留学生から電話の掛け方を教えてもらい201カードと呼ばれる電話専用の50元のプリペイドカードを購入した。
まずカードを差し込んで、201と押すとナンとかカンとかとの声が聞こえてきたら1を押す。次にカードに書かれた番号 7756-4890# を押す。この番号はカードによって違うみたい。その後秘密の番号を押す。秘密の番号とは、隠された数字をコインで剥ぎ取ったら見える4桁の数字です。私のは5412なのでその数字を押して#を押す。その後00を入れて国番の81を入れて我が島の092を入れる、0は当然省く。

 これで繋がるはずだが途中で切れたり、最後まで押したはずなのにウンともスンとも応答が無い、これの繰り返しを続けた。何回も何日も試したが繋がらないので公衆電話が対応していないのかと考えて別の電話で掛けたがダメでした。
ただ一度寮の室内電話から掛けると掛かった。それで室内から掛かるなら便利だと安心したら次の日からその電話が通じない、結局家に電話を入れるのは諦めてカードも長期滞在者にあげた。
便りの無いのは無事の証拠ということにした。

 電話がダメならとインターネットカフェへ行きメールを送ろうとした。10元の保証金を払い店員に日本語環境にしてもらう。メールソフトを立ち上げてもらおうとするとyahooかgooのアドレスを持っているかと聞かれた。無いと言うと何か別のメール出してくれた、しかし慣れないPCは使いづらい。それでも時間を掛けて息子に書いて送信しようとしても出来ない。店員を呼ぶアレコレ弄って送ってくれた。
私の要望をいうのも店員さんの返事を聞くのもPCを2台立ち上げて日中変換ソフトを通してのやり取りで、親切に対応してくれた。

 別の日にも息子にメールを出した、ところが2回とも届いていないことが帰ってから分かった。家からは何の支障も無くメールを出せるのに他所からメールを出すのは難しいものだということが分かりました。もう少しパソコン関係に強くなる必要がある。

 中国の通信事情と思わせるお題の書き方だが中国側というよりも私にモンダイがあるのです。

写真の体育館の上に江沢民直筆の文字が見えるはずですが・・・

買いもの

2007年11月09日 08時36分47秒 | 西安留遊
 帰る日が近づいたのでオミヤゲを買いに出かけた。
特にいつもお世話になり選別まで貰ったあの家はフツーの品ではダメなので気を使わねばならない。もうすぐ中秋の名月である、中国ではこの頃月餅を贈る風習があるとかで様々な種類の月餅がスーパーやデパートに並んでいる。値段も将にピンキリ、ばら売りの1個1元からリッパな箱入り数百元、千元を越えるものまである。

 贈答品を買うのだからとデパートへ行く、デパートの売り場には製菓会社の直売コーナーが数箇所設けられている。どれが良いのか分からないので値段と箱の見栄えを中心に見て回るも決めかねる、当然高いのは見栄えも良いし箱もしっかりしている。同じ価格帯の中のどちらにしようかと決めかねていると女性がこちらが良いと勧めてきた。
店員さんと思ったら一般客である、その人の言い分ではー言葉は通じないけど何となく分かったー形が円形でしっかりしているとのこと。ずら~っと並んでいる月餅の箱を見比べてもなるほど円形は少ない、”謝謝”とその方に礼を言うて包ませた。

 売り子が伝票を書きそれをレジに持って行ってお金を払いレシートを売り場に提示して商品を受け取る。デパートでの買い物は時間が掛かる。
そこを出て鐘楼付近で孫や友人へのオミヤゲを買う。笛・凧・コマとこれはと目に付いたものを買った。前に買った3個10元の凧は10枚の連凧だが15元のは数が多い、その時は連凧の枚数まで気がつかなかったの買い直した、正月に孫と楽しもう。

 また前から欲しかったオートバイ用の合羽、ポンチョスタイルの雨具を買うためにスーパーへ行く。自転車用とオートバイ用がありオートバイ用は厚く値段も高い。ポンチョなので直ぐ被れるしハンドルまで覆うので便利だと思う。これは是非手に入れたいと探し回っていたものだ。娘の分も買った。
スーパーでも出る時ガードマンのチェックがありレシートを持っていないとゲートを出られません。

 この日の買い物でイチバン高いのは月餅、この旅行中でイチバンの高額商品でした。ひと箱8個入りで日本円なら2500円と聞けば、それほど高くないと思うでしょうが中国の金銭感覚に慣れてくるとヒジョーニ高く感じる。
この日の買い物は以下の通りです。家への月餅はばら売りの1個5~6元のものにした。


9月17日 月 月餅(試食) 3.8
バス賃(3回分) 3.0
凧     15.0
西安の地図 5.0
ヒョウタンの笛 40.0
コマ     10.0
月餅 お返し用 168.0
月餅 家用   55.0
合羽 オートバイ用2組 71.6
トイレットペーパー 2個 3.9
電球40w  2.5
Tさん焼き鳥屋で飲む 24.0
                  合計 401.8元

写真は、虫かごではコオロギが鳴いていました。販売用だと思います。

興慶宮公園でダンス

2007年11月07日 08時14分06秒 | 西安留遊
 興慶宮公園での市民の楽しみ方は見ていて楽しくなる。研修旅行に参加している同学(tong2 xue2 )に公園の様子を話すと既に散歩した者、公園風景を写真に撮るのに嵌まっている人、行きたいと言う人様々であった。

 ある日曜日の朝3名で待ち合わせて公園散歩へ出かけた。彼女達は公園には行ったが朝のレクレーション風景を未だ見ていない。興慶宮公園には阿倍仲麻呂記念館があるので、そこは見学している。今回は遙か唐の時代を偲ぶよりも今生きている人たちのエネルギーを感じたい。
門を潜る前の広場では若者の太極拳が行なわれており、その場には似合わない西洋音楽が聞こえてくる。公園で踊っているジャズダンスグループからのミュージックだ。入って見ると軽快にステップを踏んでいる、同行の女性は歩きながらリズムに乗って身体を揺らしそれだけでは納まらずに列に入って踊りだした。

 通行人がその輪に入ろうが傍らで見ていようがお構い無しなのがいい。誰も気にする人がいない、大音響の中一心不乱に踊っている。その無関心さがたまらなく心地好い。書を見て、凧揚げを見て笛やコーラスを聴きながら一回りして社交ダンスのところまで来た。そこはワルツ専門なのかたまたまワルツの時間なのか前回もワルツを踊っていた。準備運動の腰を捻る動作は私たちのサークルに取り入れても良さそうな動きだ。
デコボコの石畳で踊るワルツだから音楽ステップはワルツだが、踊っているのはワルツ”風”であってワルツと呼ぶにはちょっと・・・という印象だ。スポーツワルツと表現するのが当たっている。

一緒に踊ろうと誘いグループと少し離れた場所で1.2.3と踊った。朝早くウォーキングシューズで石畳の上で踊るワルツも悪くない。ナチュラルターンからリバースターン、ホイスクシャッセの繰り返しが基本なので難しいことは無い。私たちが踊るのを見て”見ていた人がイチバン上手と褒めていたヨ”とは先ほどジャズダンスを踊った同行の女性の弁。

 次にクイックのグループへ行く。こういう場ではオキナワクイックが役立つ、何せ木立の間の石の舗道をステップを踏みながら回るのでクイックステップよりウチナークイックのステップが適している。また踊った、一辺が2~30メートルの三角形の舗道を回るので運動量も大きい。両側に木を見ながらスロースロークイッククイックと軽やかに歩き、ターンすると池が見える。朝っぱらから踊るのはこのようなシチュエーションが最適だ、楽しかった~。

 中国の社交ダンスはスポーツの範疇だろう、パーティで踊るというよりスポーツとして捉えているようだ、あれはダンス風のスポーツであるというのが受けた印象です。

興慶宮公園

2007年11月06日 06時57分44秒 | 西安留遊
 西安交通大学通称交大(jiao1 da4)の北隣りに興慶宮公園がある。
中国の公園は市民が歌に踊りスポーツと楽しむ場というは前回の旅行で知っていたので日曜の朝に出かけた。寮から北門までもけっこうな時間がかかる、学内の創立100周年(?)記念事業で整備されたモニュメントのある広場でも数十人の太極拳グループが揃いの衣服で演じている。その中に私たちの太極拳の老師もいた、挨拶をして暫らく演技を見た。

 北門の向いが興慶宮である、入場料をとる設備はあるが係員はいない、日曜は無料なのか、毎日無料開放されているのか・・
門の前の広場には太極拳研究会と書いた若者のグループが格闘技のような太極拳、空手でいえば自由組手のような激しい動きをしている。太極拳もいろんなグループがあるのだ。
 門を入ると音楽に合わせてジャズダンスを踊っているのが目に付いた、百数十名が一斉に同じ動きをしている様は圧巻だ。横ヨコ前マエ回ってパッという具合に熱中している。それが延々と続くので真似をするだけでも息切れする。
 噴水のある広場の石畳には手箒のような筆を持って水で字を書いている人がいる、書いている文字は繁体字だった。数年前北京で水文字を書いている人に筆を渡されたので、友好琉球人と書いたらニコニコしていたのを思い出した。

 バドミントンも10組以上いる、凧揚げをしているオジサンもいた。鳥の形をした凧で腕を伸ばしてグルグル回して糸を繰り出して揚げようとしているがなかなか上がらない、風がないからか、塔の回廊から伸びた糸に繋がっている鳥・凧が泳いでいるので少々焦っているのかな。塔の周りにはお年寄りが大勢で黙想したりゆっくりした動きをしている、何をしているのだろうか。

 公園中央部の小高くなった所の木々の間から笛やクラリネットの調べが聞こえ、二胡の音も響いてくる。静と動が入り混じりそれぞれが楽しんでいる公園である。広い池の対岸にも人影が見える、池を一回りすると1時間はかかりそうなので止めた。ボートもあるので時間があれば乗ろう。

 面白いものをしているグループがいる、テニスラケットのようなものにボールを乗せて振ったり身体の周りを回したりしているがボールを落とさないようにバランスを保っている。それを音楽に合わせて全員が同じ動きをしてる。中には下手な人もいてボールを落としている、それを上級者が指導している。

 みなさん老いも若きもそれぞれがそれぞれに楽しんでいる様子を見てこちらまで楽しくなった。

野菜 セロリ

2007年11月05日 07時05分27秒 | 西安留遊
 中国人は料理が上手だ、特に野菜の料理がうまい。
炒め物に湯菜と美味しく料理されている、香辛料によっては好き嫌いが出てくるが大概美味しく食べられる。

 特に印象に残ったのがセロリの甘酢に漬けた一品だった。日頃野菜を美味しいと思ったことが無い私がこれは美味しいと思ったほどです。
セロリなんて繊維が多くカリポリ、シャキシャキと齧るだけのものと考えていたがイメージを一新した。

 テーブルに並べられる皿には味見として必ず口にするよう心がけている。セロリが出たときも期待をしていなかった、汁に漬かったセロリを取り口に入れるとこれまでに無い味がする。こういう調理法で食べたことは無い、単純に甘酢に漬かっているだけなのに美味しいと感じた。野菜料理にこれほど感激したのは初めてです。
向かいの席の日本語が話せる方に調理法を聞くと、詳しくは知らないがと前置きして、まずセロリを湯がいて冷水にとり出し汁に漬けるだけという。これは出し汁がモンダイだ、甘酢と書いたが三杯酢のキュウリ揉みのあの単純な味ではなくてもう少し深みのある甘酢だった。出汁が入っているのではなかろうか。

 あのような単純な料理だから再現できれば我が家の一品に加えられると思う。どうにか調理法を知りたいものだ。写真を探したが写っていない、あまりの美味しさに写真を撮る余裕さえ失ったようです。あるいは一回りする間にみんな食べられてしまったのでしょう。
替わりに鶏料理を載せます、外国で食べるチキンは何処でも美味しいのに、何故ニッポンで食べるチキンは味が無いのだろうか。

食事にまつわる話

2007年11月04日 06時22分59秒 | 西安留遊
 中国語会話を勉強に行ったのだから覚えた言葉を使ってみたい、チョットした言葉を覚えたいという気分になる。
アレは何、とかこれの名前はとか短い語句を覚えたつもりでウェートレスに尋ねる、またアナタは可愛いという言葉を覚えて誰彼と無く可愛いカワイイを連発したこともある。

お手拭
 お手拭、紙ナプキンのことを餐巾紙(can1 jin1 zhi3)ということを知った同行の女性は食事の時にナプキンが無いと直ぐにウェートレスを呼んで我要餐巾紙と言う。ところが発音・四声が違うのかなかなか通じない。身振りを含めて何回か繰り返すうちに相手が理解してもってくると皆が拍手喝さい。楽しい生きた会話練習だった。
 ある時街のレストランでナプキンを要求したらスンナリ通じたので本人も進歩したと喜んでいた。ところが会計する時になって餐巾紙料金として1個1元也が入っている、我々の感覚ではお手拭なんて当然サービスと思っている、そのうえそのナプキンには店の宣伝が印刷されている、それは無いだろうと思っても堂々と請求されたし交渉する会話力は無いので笑って済ますのみ。

楽しく、可笑しい思い出話を提供してくださった。
その餐巾紙を全員分要求したので、ポケットティッシュが餃子1人前以上のなりました。

ダイエット
 私は出発前からこの4週間の旅行期間中にダイエットしようと決めていた。1.59メートルの身長で60Kg弱の体重なので太っているとは思っていない。しかし健康診断とか家の者からは痩せろダイエットしろうるさく言われている。この際減らしてみるかと心密かに結審した。

 ダイエットはカロリーの足し算・引き算なので食べなきゃ痩せるのは当たり前、しかし食の国中国なのでそうなることやらと不安もあった。まず朝飯抜きをした、ムリして食べなかったわけではなく、早く起きて予習復習をしていると時間が足りなくなる、それで持参したコーヒーとお湯に溶かすだけのスープを飲んで済ませた。それと肉類を少なく野菜中心にした。

 それを続けているうちに、ある時ベルトを締めようと穴を探したが上手く入らない、入る穴に入れたらその穴がイチバン奥の穴だった。つまりひと穴分腹周りが落ちているのだ。食事量が減っただけではない、それと共に運動量が増えたのも大きい原因である。普段はバイクでドアtoドアの生活をしていて、何処へ行くのも例えば300m離れたらバイクに乗る生活をしている。ところが西安では何処へ行くのもお歩きとなる、校門をでるのに数分歩かねばならない、街でも歩くだけ。食事量は減り1日1万歩どころかとにかく歩いた、その結果ダイエットに成功した。3キロ痩せました。

 同行の皆さん殆んどの方が痩せていた。バッチリ3食とった方も痩せていた、自慢しようと思ったのに西安ではフツーの生活をしているだけで痩せる。
結論として歩きなさい、これがダイエットの基礎・基本です。帰ったら又バイク生活が始まった、ウチナーで歩くのはタイヘンです、西安のように歩くのはムリです。徐々に元に戻っていくような気がしています。

写真は学食での昼食、スープ0.4元、サンドイッチ(?)0.8元でした。

食堂で

2007年11月02日 07時16分46秒 | 西安留遊
 ある日夕食は何を何処で食べようかと店を物色しながらホテル近くの通りを歩いた。レストランのガラス越しに覗いてお客さんは何を食べているのか、露店の屋台はどうだろうと考えて歩いているうちに普段は足を伸ばさない大通りの向う側まで来た。ホテルの近くより賑やかで店数も多い、果物を見ながら横丁へ入ると奥のほうにも食堂がある。大通りから一歩入るだけで雰囲気がガラリと変わり素朴というよりも薄気味悪い。ちょっとムリして奥へ進むと店先に石炭ストーブ(?)釜(?)を置いて料理している、強い火力で一気に炒め物をしているのを見ていたら食べたくなってその店に入った。

 全体が薄汚い、先客は麺を食べながらテレビを見て笑っている。まあテレビなんて楽しめばいいのだから目くじら立てることはないのだが、好い年の青年があのような番組をゲラゲラ笑うなんて。と思っていると入ってきたオジサンもそのテレビを見て一緒に笑い画面の仕草を真似ている。あのような番組が受けているのだ。他人の好みなんて分からないものだ。

 焼きソバを注文したらこの次に作るからと言いながらドンブリとサランラップを準備している。出前でもするのか思いながらビールを持ってきてもらった、中国ではフツーの冷えていないビールしかない。
麺を山盛り準備しているので私用のものかと聞くとそうだと言う。多すぎるので少なめに作るようにお願いした、しかし出された皿にはうず高く大盛りで積み上げられていて皿にはラップが敷かれている。先ほどのドンブリとラップも出前ではなかった、器を洗わずに済ます手段だったのだ、アタマが良いというか何というか、この方法がイチバン清潔を保つ方法かもしれない。脱帽です。

 また別の日にご飯類が食べたくて前から狙っていた食堂へ行った。通りから見えるメニューに”八宝稀飯”という文字を見ていたので何時かは食べると決めていた店です。発音が出来ないので指を指して注文した。西安は麺の地域で米のメニューは少ない、久しぶりにジューシー(おじや)が食べられると期待して待って出てきたのはゼンザイだったのでビックリ。何これ?と思ったが後の祭りで私のカン違いだったのです。文字面からジューシーと判断したのがマチガイだった、メニューを良く見ると「甜」の部にある。自分の失敗を一人で笑いながらゼンザイを食べました。

 八宝稀飯という文字でジューシーを想像するのがおかしいのかな、私にはゼンザイを想像する方が難しいと思う。

西安の城壁

2007年11月01日 20時54分16秒 | 西安留遊
 西安の城壁は現存するものの中でも規模が大きく保存状態も良く見応えがある。周囲が14Kmほどもありその高さも10m、いやもっと高いかなスケールが大きく東西南北に門があり中央の正門は閉じられているがその両側の通用門は城内外を結ぶ主要道路となっている。この四つの門は広場に建物がありかつて兵隊が駐屯していたであろうことを想像させる。

 南門と東門に貸し自転車があり城壁の上をサイクリングできる。私もわが老年団(lao3 ren2 tuan2 )の最長老と若いー若いというも私と比較し且つ行動力を加味してー女性の3名でサイクリングへ出かけた。その時私は学生証を忘れたので普通料金を支払い、長老は学生証で年齢確認し老人優待の無料となった。
 自転車は女性の学生証で借りたので学割が効いた、サドルが二個ある二人用自転車を借りて3名2台で東門を出発した。北門の方へ漕ぎ出した、後ろのTさんは自転車に乗れないと恐縮しているが二人乗りなので問題は無い。足を踏み込んでペダルを回しておけばいいからとレンガ敷きの城壁をガタガタと漕ぎ出した。レンガのデコボコが硬いサドルを通して直接お尻に伝わる、痛い。

 10分ほど走ったところの前方が工事中でトタンでシャットアウトされている。捲れたトタンの隙間から身体だけを入れたところで係員に見つかったので自転車を通してくれと頼むがダメと言われた。工事の邪魔にならないのにとブツブツ文句を言いながら引き返した。貸し自転車の担当に何故工事のことを言わなかったのかと抗議すると文書を示したでしょうと先ほど見た覚えがあるチラシを示した。たしかに見たには見たけど読めるわけが無いし、説明も丸っきり分からなかった、こちらの落ち度もあるがもっと分かり易い方法で伝えてくれヨまったく。
ロスした30分近くの時間をどうしてくれる。

 しょうがないと西門に向けて走った。お尻の痛さは減じるどころか益々大きく感じる座布団が必要だ。城壁の上は大型バスが2台楽にすれ違うほどの広さがある。もちろん腰の高さまで立ち上がりもあるので安全である。南門は大きい建物があり貸し自転車に三輪車も置いてあった。お歩きを楽しむグループが多くなった、日本人ツアー客もいる。南門から西門まで歩くのが一つのルートになっているようだ、4Kmはあるだろう。

 城壁は外側に向けては塀が高く城内側は腰までしかない外敵を防ぐということでしょう。それゆえ城内は見晴らしが良く、城壁に近い家々は古い家がそのまま残っているので中国の建築様式がはっきり分かる。特に南門付近の書画骨董外は修復・復元したのか見応えのある家並みだ。また鐘楼方面も普段とは違って景色に見えた。一周出来ないので西門から引き返した。ロス時間も含めて100分、規定時間だった。もし西門とか北門で乗り捨てしたければ保証金を捨てればいい。そうしたければ保証金の額を少なくて済むように交渉したらどうだろう。

 城壁サイクリンは楽しい、西安観光の際には是非とも日程に加えましょう。その時は股ズレは諦めるとしてもお尻保護のクッション持参はお忘れなきよう心得てください。

ものもらい

2007年10月31日 16時52分54秒 | 西安留遊
 何処の国にも物貰いがいる、中国でも相当数見かけた。西安の繁華街では路上に小さな子どもを抱いた身なりの良い壮年が坐っている、仕事が出来ないのに子供が病気に罹ってしてその治療費を集めている、という感じだった。これは雰囲気で判断しただけなので実情は知らない。

 また歩いていると手を出されるのは度々あった、バス停で待っている時にされるのが多かった。10歳くらいの子供が二人で大道芸をしてお金を貰っているのも見かけた、これは物乞いではなく大道芸なのか。
ある日学校近くの商店街を散歩していると”マオ、マオ”という張りのある通りの良い声が聞こえてきた。遠目にも変わって身なりで衣服は汚れており何か異様なものを感じた。その人は一軒一軒店に入り”マオ・マオ”と言うだけ、店の人は迷惑そうに追い払おうとするが動かない。張りのある声で普通に声を出しているのだが、オペラの歌い手のように声が通る、決して怒鳴ったり大声で喚いているのでもない、
店の主は根負けして何がしかのお金を与えると出て行く、そして次の店にはいる、露天商の前に立った。物乞いというより強要の部類に属する。あのような物貰いに初めて出くわした。

 観念したのか自分の店先に来るや否や直ぐお金を出す店主もいた。いや~ビックリした。あのマオ・マオという声は遠くにいても聞こえた、迫力があったな~。非暴力・非服従・強要というところか。後で気付いたけど、”マオ”とはお金の単位で1間の10分の1で角と同じ意味ーちなみに元のことを快(kuài:塊)というーつまり1円を恵んでくれと強要しているのだ。物乞いにもいろんなスタイルがあるものだ。

 また延安では小奇麗な格好をしたオバチャンがいて太鼓(ウチナー風にいえばパーランクー)を打ち鳴らしている。傍にはミヤゲ品が並んだ台があった。観光バスが寄る物産センターの入口に面しているので立地は良い。中国式のチョッキがあるので孫に買おうかと見たが質が良くないので止めた。5元の衣服に文句を付けても始まらないけど。(笑)
そこにウチナーで言えばサンバーがあった。2元なので孫に持って行こうとお金をそのオバチャンに渡し品物を持って行こうとするとご主人が商品代を請求してきた。あの人に渡したと言うと関係ない人と言う。そこで私はあのオバチャンに金を返せと詰め寄ったが返してもらえない。ポケットに手を突っ込もうとしたがダメだった。若干の意地とどうなるのかという事で追求を止めず返せ返せと追い掛け回したが隙を見て逃げられ、商品代を二重払いさせられた。

 たった30円の商品なので笑って済ませる金額なので追求も面白半分だったが、彼女にしてみればあのような幼い芸で稼ぐのだから必死だった。2元でビールの大瓶が買えるのでま大金だが勉強代と考えればマッいいか。
彼女は芸人か物乞いか・・・

 いろんな種類の物貰いがいるものだ。

写真は本文とは関係ないレストランの片付けの様子です。

授業

2007年10月30日 11時27分42秒 | 西安留遊
 ひと月間西安滞在は当初の不安は何処かへ吹き飛んで毎日が楽しくあっという間に過ぎてしまった。いちばん不安を感じていた1日4時間の坐学も尻の痛さを別にすれば苦痛ではなかった。むしろ勉強する喜びさえ感じた、中国の学生の学ぶ姿を見てその気になったのだが、先生方の指導法が良かったのも一因だ。

 先生方は英語は話せるがほぼ全てを中国語だけで授業を進めていく。教科書に沿って進めるとはいえ私たちは殆んど話せない聞けない、それを一歩一歩引っぱっていく様子はさすがプロフェッショナルと思った。
2冊の本がありどちらも会話調の内容であるが、”リーダーと会話”という呼び方が私たちの間では定着していた。毎日2時間ずつのリーダーと会話の授業があり担当する先生は3人で会話は二人で交互に担当していた。

 私たちは特別グループとして特別待遇、つまりあまりにも初心者なので他の留学生に迷惑をかけないように特設クラスを作ったのではないだろうか。留学生は入校時に試験を受けて成績によってクラス分けされる、5段階のクラスがあり半年間学んで4段階のクラスに在籍しているウチナーンチュがいた、クラスの程度は彼から推察すると・・そういう程度です。付いて行くのがけっこうタイヘンなようです。

 私のクラスは”ニーハオ”から始まるのでラクといえば楽です、それでも発音は難しい特に四声には往生する。そのタンゴが何声で発しているのかサッパリ分からない。一声は判別しやすい、では二声はとなると分からない、三声とゴッチャになりそうだし、四声は一声にも二声にも聞こえて混乱する。日を追うごとに聞けるようになったが基本的にはまだまだ判別できない。中国語はこの四声の発声を間違うと丸っきり通じないので困る。別の語句になるので意味不明となるらしい。

 耳がこの調子なので発音する時はもっとヒドクなる、自分ではそのように発音しているつもりでも先生に直される。指摘を受けたから出来るというものでもない、何回繰り返しても直される、同じように音に聞こえるので発する音も同じになる堂々巡りである。今頃の若者なら”おんなじヤッシー”と言うだろう、全くもって難しいです。

 帰ってから中国語に割く時間が少なくなった、自戒してマジメに取り組まねばせっかくの研修がムダになる。
 今回の研修旅行は中国語が難しい事が改めて分かったという事が最大の収穫です。分からないということを認識できて、ではどうするかという指針というか道筋が自分なりに見えてきたのが良かった、という以外はありません。

おミヤゲの品

2007年10月29日 09時14分18秒 | 西安留遊
 碑林博物館近くの書画の店が並んでいる通りがある、掛軸を買いたい人がいたのでその辺りの見物を兼ねて一緒に出かけた。南門の近くにある書画骨董街はやはり独特の雰囲気がある。店に入って如何にも書とか画を知っているような顔で眺めたり、店先から覗いたりしながら歩いていた。実は私はその方面の眼は持ち合わせていないのでただ眺めていただけです。

 突然同行の女性が何か声をあげたのでそちらを見ると青年が足早に去って行く。バッグを開けられたとのこと、チャックが半分開いている。バッグを後ろ側にして籠小物を見ていたらジ~っという音がしたので振り向くと男がバッグに手を掛けていたそうだ。油断も隙も見せてはならない、一瞬の気の緩みで盗難の憂き目に合うことになる、特に観光地では気をつけねばならない。普段はバッグを前に抱えているが俯いて品物を見ようとしてバッグを後ろに回したところを狙われたようだ。未遂でよかった。

 無事手元に残った財布を握り、気に入った掛軸を買うために粘り強く交渉して価格も折り合いがつけて手に入れた。別の店に行こうと声を掛けたが余程気に入ったのだろう。傍の者が去ろうとするのを見ると店側もまけてくれるきっかけになるので側面援助の効果もある。本日の街周りの目的が済んだ、日本円で5・6千円の品だったけど”なんでも鑑定団”に出したら「センエン~」というところか。旅の記念品として自分の家で飾る分には申し分の無い軸であるし価格も妥当でしょう。

 通りで売っている甘く味付けした梨や蒸し菓子の味見をしながらブラブラ歩く。書画骨董街なので”安いヨ”と呼びかけられてもオミヤゲにするには高いしその方面に興味も眼も無い。通りのど真ん中に天井からも柱にも小物をいっぱい並べている屋台風のオミヤゲ販売所がある。1平米にも満たない店(?)で路上に並べるよりはキレイで見た目も良い。
そこにネックレスにも腕輪にもなるモノがあった。色付きのビーズやプラスチックに糸を通しただけだが4~5cmごとに磁石が配列されていてその磁石もカットされ飾りの一部をなしている。

 全長90cmほどの紐状なので腕に巻くと磁石同士がくっ付くし、首に巻いて適当なところで留め金無しで長さ調整ができるスグレモノだ。習いたての中国語で「多少銭?」とか「很貴」とか掛け合っている。最初の言い値は40数元だったようだ、それを21元まで下げさせて精一杯と感じたところで買っていた。皆で20本は買っただろう。若い子向けにはいいオミヤゲになる。値段も300円ちょっとなので手ごろだろう。

 別の日に北門の市場へも行った。そこは衣料品関係の店が多いので孫の衣類を買った。また1元で三輪車の荷台に乗り市場見物をした、こういう事は外国で無ければできないことと同行した先日の女性は言う。裏通りにミヤゲ品店が並んでいるので何か適当なミヤゲを探していると先日と同じネックレス兼腕輪がある。私は先日買わなかったので買うことにした、その方ももっと欲しいと変わったデザインを物色している。
「多少銭?」
”三塊銭”と店のご主人
「?・・?」まだまだ中国語に鳴れていない、モノの値段さえ聞けないとガッカリしながらもう一度聞くと、やはり三塊銭という。

先日21元だったモノがたったの3元と言う、私の聞きマチガイではなかった。彼女等も値段を聞いてビックリしていた。私も10個買った。帰り道に話したのは、先日1個21元で買った人にこの店の値段を教えるべきかどうかだった。

 恐るべし中国人の商法。モノには値段がありません。
その店の価格に驚いて値引きやサービスさせるのを忘れて言い値で買ってしまった。帰り道その事を悔やみそして笑った。
ミヤゲ品屋で値引きの言葉をひと言も言わなかったのは初めてです。(笑)
それほどビックリした価格差でした。

延安をあとに

2007年10月28日 14時32分22秒 | 西安留遊
 延安(yan2 an1 )は私にとっても特別な響きがある、学生時代に読んだ「中国の赤い星」の影響でしょう。毛沢東が延安でどのような活動をしたのか分かりませんが、辺境の地なので国民党の攻撃を防御するのに適した地域だったのだろう。ニービより硬そうだが脆くみえる黄土は掘るのが容易いと思われる。崖に彫るので航空機による攻撃も難しい、良いところを選んだものだ。

 西安の遺跡は歴史的な遺産で、延安のそれは歴史的遺産とはいえ自分と重なった時があるので身近であるし、少なからず影響も受けているので接する時の気持ちが違う。棗園の木陰で中国人を見ながら彼等はどのような意識でこの場に立っているのだろう。自分の立場・想いに奇妙さを感じた。
出発前から漠然とだが延安へ行きたいと考えていた、今その地に居る、天気は良く広場ではショーが行なわれており音楽が聞こえる。老いも若きもこの場を楽しんでいる時代は毛沢東から劉少奇路線に変わったが毛沢東を直接批判する声は聞こえない、何故だろう。
私が思うに、この中国を統一したのは秦の始皇帝以来10数名しかいない、漢の高祖、唐の高祖と並ぶ歴史上の偉人である。毛沢東は世界史に残る偉い存在なのだ、その縁の地を訪れることができてよかった。

 延安を出る前に川のほとりで写真休憩があった、川向こうの丘の上に雁塔が見える。木陰では将棋や麻雀を楽しんでいるグループがいる、オキナワでチュンジーと呼ばれているのによく似た将棋も盛んだ。中国の何処の街でも見られる風景だがのんびりしているように見えるので心が和む。ここは市民の憩いの場でもあるようだ。
観光客相手のミヤゲヒ品を売る人、物乞いが手を差し出したり、空のペットボトルを貰う為にバスに寄ってくる人なども観光のひとコマと割り切る。
 
 昼食は市の入口付近のレストランでとる、到着するとウェートレスが前席の片づけをしているターンテーブルを隣に置いてテーブルクロスを食器ごと丸めて、ターンテーブルを戻すと新しくなった席が現れる。
二三皿出てきたがご飯のお代わり、湯のお代り、次の品を早くもってこいと矢継ぎ早に注文する。お昼時なので他の団体も入っていて大忙しだが怒鳴り声のような大声でウェートレスを呼ぶが、ウェートレスも慣れたもので気にする様子は無い。いやはや・・という感じだ。
早めに食事を済ませて外へ出ると店の前には観光バスと並んで大型タンクローリーも数台駐車している。食事かと思ったら目の前の道路標識に”朝昼夕のある時間帯は化学物質や可燃物を積載した車両は市内に入るのが禁止”とある。何の理由だろうか。

 1時半に延安を出て一路西安に向かう、280Km離れているが着いたのが7時半になっていた。280Kmは遠いけどマイクロバスのスピードが遅いのが最大の原因だろう。高速道路なので100Kmでぶっ飛ばせば3時間ちょっとで走れるだろうに。
土日の観光なので満席のバスツアーになったのも誤算だった、平日ならもう少しゆったり出来たと思う。

 このツアーに一人で参加したからこそ色々と勉強になった、中国人気質丸出しのみなさんに感謝します。

写真は棗園の銅像、偉大な主人公たちです。

楊家嶺

2007年10月26日 15時09分21秒 | 西安留遊
 朝食はホテルで簡単に済ませーーカンタンとはいえ中華なので野菜炒めと湯に饅頭、タマゴと皿数は多いーー7時半にはバスは出た。また身動きできない狭いシートに1時間揺られて延安に入る。楊家嶺(yang2 jia1 ling3  ヤンチャーリン)は延安でもハズレの方らしく山側にルートをとり進んでいく、雁塔が見えたのでガイドが何やら説明を始めた。チラシに雁塔のことも書いてあったが、日本風に言えば車窓観光というところでしょう、下車はしなかった。

 革命の聖地の付近は観光客に車、オミヤゲ売りその他で混雑している。その中を入園する、場所が場所革命の聖地は解放軍の管理下にあるのか軍人が案内役となって説明している。その関係の団体なので特別だったのだろうか。軍人とはいえ若い女性兵士なので私もそちらに付いて行きたかった。
党大会が開かれた中央大礼堂が入口から正面に見える、質素なレンガ建てで元々は何だったのか、教会にも見える。集会所として建てたのだろうか。当時のまま保存されていて壁には旗が飾られている、しかしその旗は五星紅旗でなくソビエトのハンマーと鎌に似ていた。
厳かな雰囲気というより何処かの学校の講堂で演壇で記念撮影をする人が列を成している、舞台の前には”毛沢東の旗の下勝利に向かって前進しよう”というスローガンがある、後日飾られたのか、当時のスローガンなのか。共産党第七次全国代表者大会では既に個人崇拝的な面も出てきていたのか。革命に情熱を燃やした闘士が厳しい状況の中白熱した議論を戦わし決意も新たにしたであろう場所に来て懐古趣味だがある種の感慨に耽った。ここでも「中国の赤い星」に書いてあったことを思い出そうとしたが記憶は薄れている。
 党中央本部事務所はガランドウで壁に「東方紅」の歌詞と楽譜が額に入って飾られている、その前で若者のグループが合唱していた、共産党青年部の皆さんかな。入口で党員証らしきものを提示して無料入場している若い女性がいた。軍人もフリーパスと書いてあった。

 周恩来や小平もちろん毛沢東の居宅も見学した、屋敷囲いもある一戸建てで門を入ると小さな広場となり玄関と窓が見える。しかし屋根の奥行きは1~2mで裏山となっている。その山を掘った洞窟住宅なのだ。天井はドーム状になって窓には木枠も窓も填まっている。寝室と事務室のふた間しかない。粗末なベッドに椅子テーブルが置かれて往時を偲ばせている。

 見学している人中国の観光客もなんやら物見遊山的で革命も遠くになりにけりで、私のほうが感慨深げである。(笑)

観光はつづく

2007年10月24日 07時24分27秒 | 西安留遊
 壷口瀑布を出たときは薄暗くなっていた観光客の姿も見えない、オミヤゲ品屋も大半が店じまいしていた。日本のツアーならこの時間になると宿へ一直線だろうがもう一ヵ所寄るようだ。2Km ほど下流に川中島がありそこに大きな像が亀の上に立っているお寺がある、そこにバスが止まった。吊り橋を渡って島に渡る頃には日も暮れかかっている。何を本尊にしているお寺か分からない、もしかして道教なのか。
 小僧さんに堂内に導かれて席に着くと黄色い袈裟懸けの若い坊主が何やら話し始めた、ある人を指差して質問しその返答に対して又何やら解説らしきものをしている。それが長い、途中退席も考えたがそのような雰囲気ではなかった。終りは一人一人に何かを言うて何かをしているが私は全く理解できないのでそのまま何もしないで出た。外はもう真っ暗で時間が勿体無い気がしたお寺観光であり、外の景色や川の流れを見ているほうがマシだった。

 お寺を出て真っ暗な中をバスは走る、久しぶりに星を見たが外に出たらきっと満天の星だろう、真っ暗というのも久しぶりだった。
 8時ごろレストランにはいる。そこが恐ろしいほどサービスの悪い店でたった一個のお椀は油で汚れているので大声でカップを替えて貰う人、それに対して店員はブツブツ文句を言う。客の言うことを聞かないのでツアーの中国人でさえ不快感を持っているようだった。
ターンテーブルが無いのでアチラ側の料理をとるには手を伸ばさざるを得ない、皿を置く場所が無いと重ねて置くなど新たな知識を仕入れた。(笑) 昼食時に仕入れた知識、お茶でカップとお箸を洗うなど日本のツアーでは得ることの出来ない知恵を得た。50元で翌日の昼食までの4食分を賄うので味・質ともこんなものだろう。オバチャンがもっと食べろと言うが食欲は湧かない、ご飯におかずの汁を掛けて食べる。中華料理でご飯を食べる時はこのイヌ飯がいちばん美味しい。
 分かったことはご飯とスープはお代り自由のようだ、何度もお代りしていた皿が小さい所為もあるだろう、ただ店員さんはなかなか持ってこなかったけど。

 宿の交通兵館に8時半に着いた、これほど遅くまで観光するツアーはめずらしい、日本人グループなら文句が出ただろう。予定している箇所をカットする方が問題になるかな。
 部屋割りで私は40才くらいのビジネスマン風の方と一緒になった。電子辞書やら筆記で話をする、南昌から来たようだ。彼が風呂に入っている間街を見に外に出た、雑貨店でビールを買いラッパ飲みしながら歩いたが店じまいしているので人影も無くツマラナイ。飲み終えて部屋に戻り寝る。

 中国人グループと一緒になって旅をすると目には見えない知識が得られます。