どこ吹く風

旅のことを主に書く。

宿

2007年03月15日 08時01分19秒 | 能登
 駅前に設置された観光案内版によると宿は駅から近かったので迎えを頼まず歩いた。
葦原温泉は数百年続く・・という温泉郷ではなくて、明治時代に水不足に悩やみ土地の有力者三名が水を求めて井戸を掘ったところ温泉が出たとのこと。温泉では田んぼの役に立たないだろう、その時の水不足はどうなったのだろうと思いながら歩いていると、その人たちの顕彰碑があった。

 現代は掘削技術が向上しているので、極端に言えば何処でも温泉を掘り出すことが出来る。鉱泉を含めての温泉だが、なにせオキナワでも温泉が出たのだ。1000メートルも掘れば出るようだ。

 グラウディア芳泉というリッパな構えの旅館(?)、ホテル(?)に着いた。高層ビルだが部屋は和室でゆっとりした間取りになっている。下を見ると庭がありその庭を囲むように特別室が配置されて部屋専用の露天風呂まである。そこが覗けるわけではありません、パンフレットにそのように記載されているのと竹囲いで分かったのです。
大平野の真っ只中の温泉地で遠くには山々が朧げに霞んで見える、北アルプスはその山並みの向こう側らしい。

 早速風呂に浸かりに行く。部屋にも風呂はあるが温泉地では大浴場に限る。レジャーセンターの○△ランドのように様々な湯船があるわけではないが、落ち着いた作りでサウナから水風呂、露天風呂がある。湯船を移動したり景色を楽しみながら入ったり、サウナでジーっと我慢したりと久しぶりの大浴場を満喫した。
温泉は何年ぶりかな~。

 部屋に戻ると夕食の準備が出来ている。ビールに地元の銘酒の・・銘柄は忘れた、日本酒は飲む機会が少ないのでこだわりも無い。けっこう高そうなものを注文している。実はこういう場所での飲み賃は高いのでクーラーボックスに入れて持参してきたのだ。丸っきり注文しないとヘンに思われるので適度に注文はした。
仲居さんが料理を持ってきたり、火をつけたりとサービスに来るのでタイミングよく持参の缶ビールや酒を出し入れしなければならない。
オットットッと・・・と口に出すのは、酒を注ぐ時だけでなく、襖が開きそうになる度にオットットと言いたくなった。

 温泉で温まった身体を中からアルコールで温めたので心地好く寝入った。翌朝イビキがうるさかったとブツブツ言う声が聞こえたが、私は全く聞こえなかったヨという顔をしていた。
晴れていたら朝日が山から昇るところが見られただろうに・・・

東尋坊

2007年03月11日 07時15分55秒 | 能登
 田舎の落ち着いた集落を幾つか過ぎて海が近づいて東尋坊に着いた。
バス停の直ぐ前にあるお茶屋さんで、「荷物を無料で預ります」という誘いの声に引かれて店内に入る。無料ならと荷物を預かって貰い、ついでにウドンでも食べようかとなって軽い昼食を取った。この無料預かりの言葉は効く。

 土産物屋がずら~っと並んでいる通りを抜けると切り立った岩が日本海の荒波を受けている所へ出た。日本海と荒波とは私のアタマの中では対句になっているのでそのように書いたが実際は真冬というのに雪のカケラも無く穏やかな海だった。

 遊覧船が出ているので乗った。海に切り立つ岸壁を上から覗き込むの迫力があるが、したから見上げるのもこれまた迫力がある。神社のある島ー橋で繋がっているがー島の裏側まで廻るとなだらかに斜面になっていた。そこに番小屋風の建物があり、船長兼ガイドが昔の密入国船の監視小屋で今では使っていないとのこと。
密入国者を見張っていても拉致をする不審船は見張れなかった事になる、不謹慎だがちょっと笑えた。

 その島は逆層になった柱状の岩が張り出して珍しい景観をしている場所もあった、剣岳の西にある東大谷の岩場を思い出した。三の窓から池ノ谷を下り東大谷側に出て駒草ルンゼを詰めて剣尾根に取っ付いた。尾根の縦走中に突破しようとした壁があり途中まで登ったが、あまりにも逆層で断念し、登り以上に難しい下りを強いられて冷や汗タラリで降りたことを思い出した。
(過去のメモを見ていないので地名に錯誤があるかも知れない。また逆層と書いたが見た目には順層です、引っぱれば抜け落ちそうな形状で列柱を成しているので逆層と書いた。)

 海から陸を眺めるのは久しぶりだ、雪がちらつく荒れた日本海なら遊覧船に乗っただろうか。波の花が舞うような頃だときっと止めただろう。
東尋坊が人の名前だとは知らなかった。
難所の代名詞みたいなところだが少し離れれば海水浴場もあり夏には賑わうようだ。

 行きと帰りにみた風景で雪囲いは珍しかった。雪とは丸っきり縁が無い我が故郷では想像だにしないのでとにかく珍しい。また庭木の雪吊りも珍しかった。テレビで見るのは兼六園の大規模なもの、バスから見えるのは個人の庭なのにリッパに吊るされている、中には雪釣りの先っぽ、棒の天辺に縄で作られた飾りがあるものもある。庭職人の遊び心なのか。

 駅から旅館までは近かったので歩いて行った。広い平原の中の温泉宿に着いた。久しぶりの温泉に胸は高鳴る。名の通った旅館なので楽しみだ。

汽車に乗って

2007年03月08日 10時13分07秒 | 能登
 汽車は私にとって特別な思いがある乗り物だ。初めて汽車に乗ったのは高校の1年生の夏琵琶湖畔饗庭野で開かれたボーイスカウト日本ジャンボリーに参加したときです。鹿児島から蒸気機関車に引っぱられた客車はトンネルに入るたびに窓を閉めて煤煙の侵入を防いだ。石炭の匂いが充満して鼻の穴は真っ黒になった。

 それから4年後大学に入りロッククライミングの練習をしていると汽車が走っていくのがよく見えた。汽笛の音を聞く度に”あっ汽車だ”と口にするので皆に笑われた。汽車は希望・夢を乗せて走っているように見えたのだろう。当時は20数時間を坐って移動するのが一般常識で寝台列車で寝ながら移動するのは夢のまた夢だった。ところが就職試験で東京へ行ったとき費用は受験する企業持ちだったので始めて夜行寝台を使って自慢したものだった。

 先日のエジプト旅行ではルクソールからカイロまで寝台列車に乗った。汽車の旅は日本より国外で利用するのが多い、それも寝台列車は実に久しぶりで40年近く前になる。
中には音と揺れで眠れなかったと人がいたが私はベッドに入るや否や直ぐ寝てしまって妻が呆れていたほどだった。

 というように汽車が全く走っていない地に住む者にとっては特別な感情を汽車に持つ。新大阪駅からサンダーバードに乗る、田園風景はやはり日本の田園風景だ、この景色は我が故郷では見られない風景である、私の目からは外国の風景もニッポンの風景も特色があり違いはあるが、観光という面では同じ意識で見ている。
広い池が見えてきたので琵琶湖だろうと見当をつけた、しかし進行方向の右側に見える、学生の頃北陸へ行くには米原で乗り換えて湖を左側に見て走っていた。路線が琵琶湖のにしを走るようになったのだろう。

それにしても速くなったものだ、2時間程度で葦原温泉駅に着いた。富山までとは比較にならないだろうが、当時は米原で乗り換えて富山には夕方着く鈍行だったので大阪からとはいえ2時間で福井県まで来るとは信じ難い。移動に要する時間で地図を書き換えると日本全体がイビツに縮まっているようだ。
車内は清掃が行き届き清潔で坐り心地も申し分ない、トイレも綺麗だ。乗務員に限らず車内販売の売り子さんまで車両の出入りの際にはいちいち礼をしている、其処までするのがサービスなのかと賞賛と疑問が交錯し複雑な気分になった。

 汽車を降りて東尋坊行きのバスに乗る。スイスならこういう場合はスイスパスでフリーだがここではそうは行かない。乗り合いバスは駅を出て街中を走り抜けて田んぼを通りまた集落に入るのを繰り返す。
ヤマトゥの田舎そのものを見ているうちに海端に出た、東尋坊は近い。

能登の旅 出発まで

2007年03月04日 17時17分08秒 | 能登
 エジプトへは関空発着で出発時間の関係で大阪在の妻の妹宅に前泊させてもらった。帰りはその日に家に帰ることも出来たが、このチャンスを利用して一緒に雪見にでも行こうということになった。そこで義弟が計画を立てることになった。行く先や内容などの全てをお任せして案内人に付いて行くだけの旅行、大名旅行となりました。
 義弟とはいうもの私と同年なので威張っておれる立場では無い。そのうえ定年までの社会での過ごし方、人生が違う、違いすぎる。彼は大手企業に勤めその実績を買われて子会社の社長にまでなったのだから私のようなフラフラ者とは違う。何事も筋道立ててピシャッとしておかねば気が済まないようだ。

 送られてきた計画案見ると実に事細かに記載されている。表題は「永平寺・東尋坊・金沢・永平寺]となっており、JR新大阪駅8:46発サンダーバード、葦原温泉駅10:45着それから永平寺見学と続き昼食とはその後の行動予定が記されている。意見を聞かれても能登方面は知らないし、日本三大名園の兼六公園と輪島の朝市へ行ければ言う事は何も無い。その旨を連絡し暫らくすると第二案が送られてきた。時間の都合からか永平寺が抜けているが別に異論は無い。

 いいよいよエジプトツアー参加のために私たちは大阪へ行った。その前日に怪我をしたのはエジプト編に書いたとおりです。大阪までの便はマイルで溜まった分を利用する事にしていた、しかしその予約は2週間前にしかできない。正月明けなので咳が確保できるかどうか毎日チェックしてたが席がどんどん埋まっていく、ツアー出発の前日の便はアブナイ。迷ったがチケットが取れなかったら正規料金で行くか、最悪ツアーに参加できない事態も予想される。時間は充分ある年寄りなので前々日に出ることにした。つまり大阪で2泊もすることになった。

 義弟に病院を予約してもらい、救急病院で貰い損ねた消毒薬に軟膏、キズを覆う皮膜=絆創膏を貰う事が出来たので結果的には1日早く出てよかった。妹宅では歓迎のご馳走を準備してもらったのにアルコールを口に出来ないのでザンネンだった。

 エジプトから帰ったときは全快とまでは言わないが飲める身体になっていたのでその夜は有名な久保田という日本酒を飲んだ。美味しいと思うも私は日本酒を殆んど飲まない、あれは身体に悪い酒だという想いが強い。単に飲みすぎてヒドイ目にあったのだが、その時の苦しみが脳裏に焼きついて日本酒そのものが悪いとい意識になってしまっている。美味い酒を程ほどに飲むのは全く問題は無い、それらの酒は値段が張るので大量に飲むわけにはいかない、飲むなら高い酒を飲めということか。(笑)

エジプトの余韻も覚めやらぬうちに又明日から旅に出るという贅沢、この気持ちをなんと表現すれば良いものやら。
至福、幸福
こういうことがあっても良いのかな。

写真は葦原温泉での美味しい夕食