島にある駐在所は以前と同じ場所に、同じ姿で残っていた。変わったことと言えば、駐在する警察官の人数が2名から1名に減ったことと、パトカーが普通車から軽四のミニパトに変わったことである。
村誌によれば、1946年に大東警察署が設置された時は署長を含めて10名が勤務していた。1951年に大東警察署が那覇警察署の管轄下になって大東派出所になると警察官は6名になり、1954年には4名に縮小され、さらに1978年には2名となった。駐在所員の人数が減っていったのは、島の人口が減っていったことと関係するようである。だが、二人勤務から一人勤務に縮小されたのは人口の減少とは無関係のようだ。前回に旅行した時の2012年の人口は1260名で、2023年では1190名になり、それほと大きく人口が減っているとは思われない。島では大きな事件も発生せず、治安が良いことから、那覇警察署は経費削減のために駐在所を一人勤務体制に移行したのではなかろうか。
なお、那覇警察署は那覇市内を管轄するが、南大東島、北大東島、久米島、粟国島、渡名喜島、渡嘉敷島、座間味島も管轄しており、管轄範囲は極めて広い。
駐在所の中には視力を検査する装置が置いてあり、ここで視力検査をして運転免許証の更新をしていた。ただ、ここで免許証を発行するのではなく、更新申請書類を那覇に送ると折り返し更新した免許証が返送されてくるようになっている。通常の免許更新はこの方法で良いのだが、高齢者が更新するときはどうするのだろうか。満70歳以上の高齢者が免許を更新する場合には、高齢者講習と実車運転試験が必要となるが、島にはそのような設備はない。もしかしたら那覇まで出掛けなければならないかもしれない。
現在、島には高等学校が無いため、中学校を卒業するとほぼ全員が那覇の高等学校に進学する。卒業する直前には全員が自動車免許を取得して帰ってくるそうです。その昔、1970年代から暫くの間は、那覇の警察署から担当者が出張し、島内で自動車免許の試験を実施していたらしい。路上で運転試験したとは思われないので、中学校の校庭で実施していたのかもしれない。どんな試験方法であったか、知りたいものである。
三段目の写真は、駐在所内に貼られている指名手配のポスターで、内地と同じものでした。しかし、島に住んでいる人達はほぼ顔なじみであり、見かけない人が歩いていれば直ぐ判ってしまう。危ない恰好をした人がいたら、すぐ通報されるでしょう。指名手配のポスターを貼っても、島ではあまり役に立たないのではないかと思われますが。
以前の駐在所では2人勤務であったため、上司と部下の2人が隣り合わせた官舎に住んでいた。このような住環境では、毎日家族同士が顔を突き合わせることになり、上司も部下も気苦労があったと思われる。それが一人勤務ということになると、人を管理することも管理されることも無く、精神的には気楽なものである。しかし、一人で島の治安を担うのは大変なことある。四段目の写真は南大東島空港で搭乗客を監視している警察官である。毎日2便ある定期便の離陸の際には必ず立ち会わなければならない。365日24時間働いているようなもので、コンビニストアーの店長のようなものある。病気などで体調が不良な時はどうするのか、と尋ねたところ、「余程の大病でない限り、多少の熱が出た程度では頑張って警備するために出動しています」とのことだった。
南大東島の駐在所に派遣される警察官は2年から3年で交代するようである。しかし、警察官によっては離島への転勤を希望し、人生の大半を離島の駐在所で過ごす人もいるらしい。不便であるがノンビリとした離島の生活に憧れ、出世は望まずに気楽に生きていこう、という人である。広い日本では、そんな生きかたをする人がいてもいいでしょう。
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