主に願う
2017-02-01 | 日記
人は誰もが「願う」のだと思います。
試験が受かるように、、、
商売が上手くいくように、、
健康が守られるように、、、
好意をもった人に好かれるように、、、
試合に勝つように、、、
時には、悪い願いをもしてしまうのでしょう。
願いはその人自身を表わす鏡です。。。
そもそも、自分の願い自体、偏見と先入観によるものだとしたら。。。
受験に合格したいと願ったけれども不合格。。
この人の人生は負けでしょうか。終わりでしょうか。
受験に失敗した人でも、立派に成功している人も多くいます。。
失敗は成功の母ですね。。
このように考えると、人間にはもっと根源的な願いというものが必要なのでは。。。
教会でもさまざな願いがありますが、
最も切実な願いとは何か??
それは、神様との関係の祝福なのです。
「私は一つのことを主に願った。私はそれを求めている。
私のいのちの日の限り、主の家に住むことを。
主の麗しさを仰ぎ見、その宮で、思いにふける、そのために。」 聖書
なぜ、神様との関係の祝福が何よりの願いなのか??
自分の願い以上の、、人々の願い以上のものだからに違いありません。
自分を肯定的にさせ、前向きに、大丈夫だと実感することができます。
自分のどんな願いが叶ったとしても、神様が与える喜びに勝ることはできないのです。
どん底の時、挫折の時、四面楚歌の時こそ、真の願いが必要です。
この願いが「叶う」からこそ、真の願いと成り得ます。
今日はいつものように祈り会です。
祝福を求めて神様の御前に行こう。。
感謝