対人関係で上手に折り合いをつけて行くことは自分の心にとって
大切なことです。
納得のいかないこと、理不尽なことをされた時、自分が絶対に正しいと思う時、、
自分の願いや望みと違う時、、見捨てられた時、、etr
解決への道筋
個人的にしていることは、まず自分に原因があると考えることです。
他者ではなく、自分に向き合うことは、自分を責めるだけではなく、
自分の心と折り合いをつけるために行っています。それが、他者を憎んだり、むやみ攻撃しないことにつながっています。
もう一点は、神様に取り扱われるという方法です。
私は祈りの中で自分の心に折り合いがなされていることを数多く経験しています。
祈る前は、怒りや、妬み、憎しみで満ちている心の時、結局
「神様に委ね従って行こう」というところに落ち着いてゆきます。
もし、私が祈りにおいて神様に委ね従って行こうと導かれるとするなら、
他の牧師やクリスチャンも同じなのだと思います。そうでない場合もありますけど、、。
私の所属する団体は祈りに重きを置く団体であります。
いけすかない牧師、信仰観の違い、妬み、憎しみ等に駆られることなく
一緒に共存できるのは、祈りの中で神様に取り扱われるからこそだと思っています。
だから、団体の決定事項に対しては、もし自分と相異があったとしても、他とは違って受け入れることが容易なのです。
世の中の人々に対しても、結局、祈るごとに上手に折り合いがなされて行きます。
しかし、それだけではありません。世の中の人々が折り合いがつかないようなことであっても、
関わりを持ち続けてゆくことができるのです。
その原動力となるのが祈りであります。これは、世の中の人々が理解できないことなのだと思います。
皆さんの心の折り合いが上手になされますようお祈り致します。。感謝