いわきアッセンブリー教会ブログ 

恵みをシェアするブログ

あきらめない心

2017-05-30 | 日記

TVで女性は感情と記憶が結びつくことが男性より強いと言っておりましたが
それを見ていて、、、

音楽と記憶ということがイメージできました。

私は時々、ブルーハーツを聞くことがありますが、、、聞いてもいいですよね。。。
彼らの曲を聞くと一瞬にして中学生の頃の記憶がよみがえってきます。。。
そういうことありますか???





最近、ある曲を聞くと大変励まされます。
子どもが歌う(賛美)曲で「あきらめない」と繰り返し歌っています。

あきらめたほうがどんなに楽になれるだろうかと思うこともあります。
心が壊れてくれと思うことさえあります。
こんなこと牧師としてダメなことなんでしょう。

しかし、そういうことも、、、生身の人間なので赦してください。。


そういう中で、私の内にはあきらめさせてくれない素晴らしいものが確かにあります。
壊れずに支え、守ってくれるものがあって

自分でも驚くほどのものです。。。



それを自らの生きざまで証明することが私のいのちの使命なのでしょうか。
恥をかこうが、泥をぬられようが、、、失敗しようが、、、生き抜いてみたいと思う。。。

やるべきことをして、あとは天命に委ねて。。。














外付け

2017-05-26 | 日記

すべての人は重荷を背負って歩んでいます。
そのまま放っておくと壊れてしまうこともあります。
上手に付き合いたいものです。

上手に付き合う方法、、、あるでしょうか。。。。

パソコンは容量が大きいと動きが鈍くなってしまいますが、
軽くするためには「外付け」のUSB等で対処するはずです。。

心理学でもこの外付けの手法が有益だと言われていることをご存じでしょうか。。。
あなたが今抱えている重荷と上手く付き合うために、自分と切り離し、外付けにすることも
必要なことなのだと思います。

外付けできる誰かいるでしょうか。。
外付けして軽くなる何かがあるでしょうか。。。

相手を攻撃したり、、、悪口を言う人は重荷が重くて危ないというサインの表われかもと疑うことも必要ですね。


毎日の歩みの中で、重荷をおいて軽くされ歩んで行きましょう。


私は、キリストの前に重荷を置き、休まさせていただいています。
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」


積極的逃げ道

2017-05-24 | 日記

様々なトラブルおいて「逃げ道」をつくっておくことも必要なのでしょう。


逃げ道を作ることは2種類に区別できそうです。
それは「なぜ逃げ道をつくるのか」という問いによって導かれるもの。。

一つ目、消極的逃げ道、、、勝手に名前をつけましたが、
具体的に、、、根にもたれたり、逆恨みされるから、、、といった自分を優先している理由から逃げ道をつくるにつながっているものでしょうか。

もう一方は、積極的逃げ道というのもあると思います。
この根底には相手本位があり、相手の今後の「回復」、「再生」、「育成」等でしょうか。。。

積極的逃げ道に立つほうが困難なことが多いようです。

なぜなら、自らの権利や主張より、相手を優先させなければならないから。。。

このことにおいてもある人は、偏った思い込みをするのですが、
相手と向き合い、トラブルの原因を追究することも必要であり、、それが、回復、再生、育成につながることは明白なことです。



誰もが失敗する可能性はあるのです。
でも、問題の向こうまで見て対処してくれるこういう上司がいる会社は幸せな会社なのだと思います。。。




一貫性

2017-05-19 | 日記

いわきは今日も春のさわやかな朝を迎えました。


最近、ある人が私しに「誠実に対応して行きます」ということをおっしゃって下さいました。

誠実ということは一貫しているという意味です。
二面性で表向きと裏向き(これが本当の自分の姿)ということでは決して誠実ではありません。


どんな要因がそこにあるのだろうか。



一貫性は子どもを含め、信頼関係において重要な課題の一つですね。祝福


ずれない生き方をするために

2017-05-17 | 日記

「成功者たちの共通点は、成功していない人たちの嫌がることを実行に移す習慣を身につけているということである。
自らの嫌だという感情をその目的意識の強さに服従させているのだ。」アルバート・E・M・グレー

学校、福祉、企業には理念や目的がどこでもあります。
それは原則と言えるもので、個人、家族、あらゆる組織にあてはまることができるもの。

自らの「嫌がるもの」とは何でしょう。
本質的なものですね。。。人は自分の汚い部分、良心に反することが表に出ることを嫌がります。
そうである人の多くは、自分の罪悪感から逃れるために、他者を悪者に仕立てあげるのです。
そして、自分を守るために表面的な解決しかできないことにつながってしまうのです。

解決の道筋は、、、

自らの本質をいつも客観的に見れる人でなければと、、、
自分の本質(嫌なところ)を見ない、気づかない、なおざりにしているから、
理念や普遍的な事柄を最優先できなくなっている人は多いのです。

そのためには、外的要因(状況、環境、感情)に反応するのではなく、一旦たちどまり、客観的に自分を見つめ、、、
これから反応する自分は理念や普遍的なものに反していないか問うことは大事なことです。

たとえば、状況が多数だから、、、ずれていないとは限らない。
言葉が優しいからと言って、、、ずれていないとは限らない。逆もしかり、、、。

教会は教会の存在目的があります。いつもずれないように被害妄想や責任転嫁ではなく、
目的のために意識的に計画し、実行してゆく必要があるのでしょう。



物事の本質からずれないためにどう主体的に生きる(選択)のか、、、、。