いわきアッセンブリー教会ブログ 

恵みをシェアするブログ

学ぶ

2017-08-05 | 日記
ユダヤにはこんな諺がある。
「神が人間に二つの耳と一つの口を与えたのは、話すよりも聞くことを重視したからである。」

ビジネス、家庭、学校、ありとあらゆることに共通していえることでしょう。

耳を傾けて聞くには、いつも「学ぶ」という姿勢が必要なのだと思う。
実際、困難を覚えることが多いのでは。何が妨げているのでしょうか。偏見、先入観、常識、慣習・・。

人とのコミュニケーションで話すことに一生懸命な人を見ることも多いのですが、
自分から話すことは何一つ学ぶことはない。なぜなら、話しているのは自分だからです。話していることは知っているのだから

青山学院大学で箱根駅伝を連覇した原監督は同じことばかり選手に言っていることに気づき、
大学に入り直し学んでいるようだ。


自分が無知であることを知っている人は学ぶ姿勢が違ってくると言われている。

「学べば学ぶほど、自分がどれだけ無知であるかを思い知らされる。
自分の無知に気づけば気づくほど、よりいっそう学びたくなる。アルバート・アインシュタイン」

自分が無知であることに気づかなければと教えてくれる言葉。。

無知に気づき、学ぶことに意欲がある人は、他者の意見、主張、全否定することなくをまず耳を傾けるものである。
それは、すべて鵜呑みにすることではありません。

人の話を鵜呑みにする人は聞き方に問題がありそう。

いつも自分自身に、無知で現状にあぐらをかいてはならないと言い聞かせたい。
また、人の言葉、書物、出来事、、、言われたことを鵜呑みにする聞き方には注意したい。

個人的に例えば、、、他者とのコミュニケーションで相手の話を聞くときに重要視することは、
相手が口にしていない言葉を見分けること。本質的事柄にいつも力点を置いて聞き、学ぶことを実践している。

そうしていると、実に学びが深くなるということを知っているからだ。



生まれた時から、老人になっても学ぶことは尽きません。
今日一日、何か一つ学ぶ歩みをしたい思う。


明日は広島に原爆が落とされ72年を迎える日。。。
どうして、、、戦争、テロ、争いが無くならないのか、戦争なら人を殺してよいのか、
平和とは何か、考えることは深い。この夏何か一つ見出したい。

そのために、聞き、学ぶ




変えられるために

2017-08-03 | 日記
日野原重明先生(聖路加病院名誉院長)が先月、105歳で召天されたことはご存じのことでしょう。
連日、ニュースでも取り上げられ、医療界に留まらす、多くの人々が彼の死を惜しんでいる姿がそこにあった。

個人的にも、改めて先生の生涯を通して、深く考えさせられる機会となりました。 

先生と言えば、、、音楽、、、生活習慣病の奨励、、、生涯現役、、、等。。。他にもあると思いますが、
何と言っても「人のために生きた人」、これが彼の生涯を表わすに相応しいことだと思う。

その転換期となった出来事が、日本初のハイジャック事件に58歳で遭遇。。

生きた心地がしない人質から解放され、価値観が変えられたと証言しておりました。
これまでの生きているから「生かされている」へ
このいのちを自分のためにではなく、「人のため」に使おうと。。。


それからの人生をそのように歩んだ人であった。

100歳過ぎても忙しく、週の2回は講演等で全国を飛び歩き回った。
小学校では「いのちの授業」を行い、人のために生きることを教えられた。

オウム事件の時には陣頭指揮をとり、600人ほどの患者を受け入れた。

ある人は、自分よりも人のために生きる人生なんて信じられないという人もいるのでしょう。

変えられるなら、出来るのだ。

人は誰でも少なからず、変わりたいと思うもの。
ある人がこのように言っていました。
「人が変わりたいと思うようなことは良い事であるが、
 自然に変わってしまうことは悪いことが多いと思う」

確かに、そういう面があり、その間で苦悩することもある。
相手を肯定できるように変わりたいけれど、、、実際は悪口を言って否定している自分とか。。。

変えられる人への道筋はあるか。

日野原先生はこのように言っている。

「私たちの身体は土でできており、身体は早晩、土に還る。私たちは、この土の器の中に、はかりしれない宝を入れることが出来る。
私たちの寿命は、 土の身体に何を容れるかを 模索することで費やされる。器は器のためにあるのではなく、中に何ものかを容れるためにあるからである。」

 自分の内に「何を入れているか」が重要なのだと。。
 彼の宝はキリストに他ならない。もろくて弱い人間だが、その内に持つ宝によって人生は変えられる。
 ハイジャックを経験し、彼を変えた最も大きなことは、キリストという宝を真に見出したからこそのもの。
 
 彼は、「人間の夢見る幸福というのは、 往々にして、貧乏するとか、 仕事に失敗するとか、あるいは病気にかかるということによって、
 一瞬にして不幸に変わってしまうような、儚いものである。」他に宝を捜し、幸福の道を見つけられるよう変えられないといけないのではと
 勧めている。

 「あなたの宝は何ですか」、、、先生の遺言の言葉として