☆ 今日は5月12日(火) 看護の日
看護する心、ケアの心を広く知ってもらおうと、厚生省(現在の厚生労働省)と日本看護協会などがが1991年(平成3年)に制定した。国際看護婦協会(ICN)でも、この日を「国際看護婦デー」としている。12日を含む週の日曜日から土曜日までが「看護週間」となっている。 12月に厚生省が5月12日を看護のひと定めました。
この日は、ナイチンゲールの誕生日です
著書である「看護覚え書」は現在でも看護教育の場で広く読み継がれているそうです。☆
☆ お早うございます。今日もお立ち寄り有難う御座います。☆
☆ 5月12日 松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)
使い捨てと経済性
高度成長の時代に「使い捨て」「消費は美徳」という考え方が浸透しました。私は時どき注射を打ちますけれども、見ていると一度使った注射器をすぐ捨てています。もったいないじゃないかと言ったら、消毒するガス代、水道代、洗う手間を考えたら捨てる方が安いというのです。なるほど、生産の経済性というものがそこまで上がったのかと驚きました。
使い捨てというとたいへんもったいなく思えますが、実は経済の法則にかなっているのです。しかし昔のことを知っている人間には、やはりもったいないという考えはある。その考えは尊く、それはそれで残し、経済性も重んじるということが必要だと思います。
☆【コラム】筆洗
2015年5月11日 東京新聞TOKYOWeb
▼詩の一節を比べていただきたい。一つは<涙が洗ったきみやぼくの苦い指は>。もう一つは<涙が洗ったきみやぼくの若い指は>。「苦い」が「若い」となっている。誤植である。それでも、その詩人は「若い」のままにして詩集に収めた
▼詩人の長田弘さんが亡くなった。七十五歳。誤植を修正しなかったのは詩と言葉、生き方へのこだわりかもしれぬ
▼詩は号令やプロパガンダではない。人の間違いも受け入れ、活(い)かせる器量のある言葉こそ「死んでない詩の言葉」と考えた。「修正するよりもはるかに詩的なことに思われた」(『誤植読本』)
▼誤植の話ともつながるか。長田さんの作品から、聞こえてくるのは自然や人が生まれ、死んでいくことをあるがままに受け入れたい「願い」である
▼<聴く、という一つの動詞が、もしかしたら、人の人生のすべてなのではないのだろうか?>。花を見る。波の光を眺める。窓を開ける。街を歩く、考える。読む。いずれもが「聴くことである」といい、「聴くこと」は「愛すること」と書いている。われわれは叫び、戦い、美しいものを「聴くこと」を忘れていないだろうか
▼「そのとき、ふりかえって、人生は森のなかの一日のようだったと言えたら、うれしい」。森の出口で何とおっしゃったか。長田さんの森から言葉たちが別の人の森へ飛んでいったのならば、うれしい。
☆ 今朝はくもり空です、台風が近づいています。近くの方は注意しましょう。
今朝も目覚まして感謝です
今日も皆さまにとって良い一日でありますように。 ☆
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