Noriko

しあわせさがし、穏やかで心豊かなライフスタイルを求めて・・・ささやかなブログです。

"IMAGINE" by John Lennon "Imagine"ジョン・レノン 日本語の歌詞付き

2012-08-21 07:42:59 | music

 

皆様、下の文章を読む前に、是非とも、先にこの曲をきいてください。 そうしたら、私の願い、希望がより解って頂けると思います。

又、この歌には、たくさんのコメントが寄せられました。良かったら、一言でも、歌を聴いた後、コメントお願いします。

 

http://www.youtube.com/watch?v=dq1z1rkjw-E

This is my life song...my prayer for World Peace....."Imagin" by Elton John. 

I would like to write my favorite Poem by Dorothy Law Nolte titled "Children Learn What They Live"

 

If a child lives with criticism, He learns to condemn.

If a child lives with hostility, He learns o fight.

If a child lives with ridicule. He learns to be shy.

If a child lives with shame, He learns to feel guilty.

If a child lives with tolerance, He learns to be patient.

If a child lives with encouragement, He learns confidence.

If a child lives with praise, He learns to appreciate.

If a child lives with fairness, He leaarns justice.

If a child lives with security, He learns to have faith.

If a child lives with approval, He learns to like himsself.

If a child lives with acceptance and friendship, He learns to find love in the world.

 

私は、3行目からが好きです。

2行目のhostilityは、敵意とか反感です。そんな中で育ったら、人に敵意を持ちケンカや争い、そして戦争まで引き起こしてしまいます。

1行目のcondemnは、~を責める、非難するという意味です。

3行目のridiculeは、嘲笑、あざけり、あざわらい、ひやかしの意味です。

最後の行にあるように、受容され愛され、友情の中で育ったならば、世界に愛を見つけ平和な未来が実現し、ジョン. レノンが言ったように、世界は一つになると信じています。

←これは、ロータリーフェローのパーティー。真中が私。私の右の女性は、親友のスーザン。 スイスのチューリッヒの近くの中世のような素敵な街、St. Gallenに優しいお連れ合いのハンスと3人の子供と住んでいます。右端は、フランス人の研究者。私の左はドイツ人の音楽家、右端は、お名前は、恥ずかしい事に度忘れしましたが、帰国後結婚して双子ちゃんを産み、上智大学でも教えていました。私より7歳位年上で、とても優秀な方でした。名前、思い出したら、後日書きます。

下の写真の右端が私、その右が母。一番右は広島の祖父です。

この原爆ドーム・・・戦争や、原子力の悲惨さをいつまでも、風化させず、平和な地球を願います。

The picture below is the building damaged by the atomic bomb on Aug. 6 in 1945.

I am the tiny girl on the left. My mother is on my right. My grandfather in HIROSHIMA is on the right.

 

 

 


人生、波乱万丈。 My life is full of good and bad accidents.

2012-08-19 12:24:48 | music

これは、ブログに書くか、とても迷いました。でも、書く事にします。 ←今日の朝、、バルコニーから

今年の5月18日に私の6歳年下の弟が,薬物自殺しました。

My small brother got suicide on May 18 by taking tooya much pills.  He has mental disease for a long time, since he got bullying at high school and would not go to school.  He was very kind, compassionate, loving brother for me. He was 49 and got married about 3 years ago. However, I don't know the detail, his wife kicked him out of the house.  He had no place to go....he has a deep faith, and I suppose he chose to go to heaven to meet my mother who passed away 21 year ago. She was 58. ←my younger loving bother.

First, I blamed myself very much, why I could not help him to rise and keep living .....but my sons, friends told me not to blame myself but his faith chose to die to be in peace and serenity. 

I was so upset that I was all in tears and it took 3 months to accept his decision.

It is the song that I send him in heaven by Elton John titled "Your Song"http://www.youtube.com/watch?v=13GD78Bmo8s&feature=related

亡き弟に送る歌です。エルトン・ジョンの"Your Song"です。歌詞が書いてあるので。皆さんも一緒に歌ってみて下さい。

弟は、体が弱く、母は大切に育てました。心が純粋で、優しくて、私は、いつも弟の遊び相手でした。 あの頃、キックボクシングがはやっていて、私は、弟の為に、ボールを握って、弟が足でボールをける練習の相手をさせられました。

弟は、きっとキックボクシングで、強くなりたかったんでしょう。目を輝かせて、一生懸命蹴り続けました。ボールを持っている私は大変でした。 でも、弟が、これで自分に自信を持ってもらえるならと必死で長い間、ボールを持っていました。

弟は、11歳の時、父が広島の国鉄病院勤務になったので、私は、東洋英和女学院の寮に入りました。当時、短大しか東洋英和にはありませんでした。地方からの短大生が入居する、清楓寮と言うのが、今の、六本木のロアビルの斜向いにありました。敷地は広く、緑豊かで、煉瓦作りの立派な建物でした。

そこに、高校2年生(17歳)の時に、他の短大生と一緒に生活を共にしました。だから、実際、弟と暮らしたのは、ほんの11年間でした。

私は、東洋英和の短大に行くように父親に言われました。でも、私は、受験して4年生の大学に入りたかった。しかし、内科医の父の考えていた私の幸せのシナリオは、短大を卒業して、医者と見合いして、医者と結婚させる事でした。その頃は、ゆるぎなく、私には全く自由がありませんでした。それまで、父に反抗した事はなく、自分の意見や気持ちを伝えるという事さえ、私の中にありませんでした。ある意味、自己確立ができていなかったとも言えます。今から思うと、なぜ「私は4年生の大学に行きたい!!」と、言わなかったのだろうと不思議でなりません。だから、友人が、どんどん、入試で4年生の大学を目指しているのをとても羨ましく思いました。

私は、父の言うとおり東洋英和の短大の英文科に進みました。その頃、弟は、広島で、中学時代を過ごしていました。(その頃から、弟はいじめに苦しんでいたのだと思います。) 間もなく父が、新宿のJR総合病院の院長となり、東京に帰ってきました。私が、東洋英和女学院短大を卒業した時です。

その時、私は、父親に、生まれて初めて反旗の旗を振り、上智大学の3年への編入試験を受けました。親に隠れてです。ラッキーにも、合格し、上智大学の外国語学部、英語学年に入学しました。

私は、父親からは、勘当されました。だから私は、阿佐谷の風呂なしアパートを借りて、家庭教師のバイトを、東洋英和の雨宮先生に紹介して頂き、それで、生活費や学費を稼ぎました。勉強とバイトだけの大学生活でした。しかし、第29回「日米学生会議」に参加できたことは、とても有意義でした。

それまで、籠の鳥のように、両親の愛情を一杯受け、その愛情の重さで私は、つぶれそうでした。ですから、父から勘当されて、貧乏な一人暮らしを始めた時は、初めて「自由」になれたという、軽い清々しい思いで、寂しさなどこれっぽちもありませんでした。若かったからでしょう。何をしても楽しく、自由になんでも自分で決めて、時間やお金や空間を自分の意思で決められる生活は、楽しくてたまりませんでした。

この間、弟の修二ちゃんは、広島のの中学を卒業し、千葉の高校に入学していました。私は、上智大学の4年で、阿佐谷の風呂なしアパートから、世田谷の駒沢大学駅の風呂付マンションに住んでいました。勘当されていましたから、毎日、家庭教師のアルバイトと勉強で無我夢中でした。だから、両親や弟の住む家を訪ねる事はできませんでした。後で解ったことですが、その頃、弟は、千葉の高校で、すざましい、いじめに合っていたのです。登校拒否もあったようです。しかし、35年ほど前は、まだ「いじめ」は放任されていたし、「登校拒否」は、その生徒が怠慢と見られ、今のように社会問題にはなっていませんでした。 だから、両親は一生懸命弟を、励まし、何とか高校を卒業させました。特に母の苦労、悩みは人波ではなかったと思います。弟は生まれた時から、体が弱く母は本当に大切に弟を育てましたから、きっと、何が弟をそうさせたのか自分の育て方が悪かったのかと自分を責めたと思います。弟はとても優しい感受性の豊かな男の子でした。でも、それがある意味、気弱な性格に育ち、いじめに合っても、言い返したり先生にその事を伝える勇気や気持ちがなかったのだと思います。私も、似た面があるのでよく解ります。ただ、私は、東洋英和女学院で中学・高校を過ごし、そこでは、キリスト教の精神「敬神・奉仕」という、いじめなど全くない、ほんわかした、優しく自由な校風の中で育ったので、幸せでした。これは、両親と母校に感謝しています。

その後、弟は、パン屋さんに就職しました。 ところが、火を消し忘れ即首。母は、朝早くから、弟の為にお弁当を作り、仕事に送り出していました。でも、首は首です。木を取りなおして、他の就職先を探しては、人間関係でうまくいかず辞めては、就職を繰り返し・・ ちsh・・とうとう、弟は自分に全く自信を無くし、精神の病にかかってしまいました。統合失調症になりました。私が、それを知ったのは、結婚して2人の息子たちの子育てと仕事で忙しかった30代後半でした。

その頃、私は、上智大学を、1979年に卒業して、Rotary財団の大学院課程の奨学金の試験を受けていました。麹町ロータリークラブにお世話になりました。アメリカの大学院への留学に両親は、やはり、反対しましたが、広島の祖母の一言がなければ、留学しなかったでしょう。祖母はこう言いました。「今は、戦争の時代じゃない。平和になった。アメリカを敵国なんて時代じゃない。これからは、女だって、世界に羽ばたきなさい、背水の陣でいきなさい!」と。 上智大学中、第29回日米学生会議に参加した事は、多くのアメリカ人の大学生に出会い、色々なテーマで討論しながら、日本各地を旅行で来た事は、とても有意義でした。

上の写真は:   (ダブルクリックすると、拡大し、はっきり見れます。)

1私の留学を「背水の陣」で行ってらっしゃいと言ってくれた広島の祖母。

2 Hiroshima の原爆ドーム(小さな女の子は私) 

3、幼稚園の入学式で父と 

4 幼稚園で誕生会 

5 11歳の頃「こどもの国」で 

6 日米学生会議の時、長良川で鵜飼見物した時の私・・浴衣姿です(真中)

7 広島の祖母の家の縁側で、祖母と。私が来ている大島紬着物は、祖母の手作りです。

8 Rotary Club Convention (Maryland, Virginia and Washington D.C.)で、スピーチした私。私の左に少し映っているのが当時Rotary International のPresidentだった Mr. Tom Scogginsさんで、IBMの重役でした。)

後の3枚は留学中の私

そして、1979年、3月、上智大学を卒業して、夏の間は、Boston のHarvard University の寮に入り、9月にWashington D.C.のGorgetowun 大学の大学院に入学しました。 言語学科でした。 Social Linguisticsや Bilingual Education (日本語と英語のバイリンガル教育です。 TESOLという、世界中で英語を教えられる資格も取りました。←休み中に行ったフランスのパリ、ルーブル美術館の前で

その後、私は帰国して、直ぐに1981年4月ya、ソニー・プルデンシャル生命創立時の、平井社長と、安藤副社長の秘書となりました。

この頃、弟は、とてもとても自分の精神の病に苦しみ、信仰をもつようになりました。しかし、21年前、母が58歳で亡くなった時、弟は30歳でした。その後は、父が弟を一生懸命支援してきました。父は、母亡き後、再婚しましたが、再婚相手には弟の世話はさせず、週の3日以上は、一人暮らしをしていた弟のマンションで寝泊まりし、自分の病院での仕事もしていたのです。(その父が今84歳で、痴呆で老人ホームに入っています。父の介護が今の私の最大の喜びです。)

私は、その後暫くして、結婚して神戸に行きました。父は、母が亡くなり、本当に苦労の連続だったと思います。私には、神戸での出産、父は家庭に専念するようにと、悩みを一切私には言いませんでした。←割烹着姿の大好きだった母(ダブルクリックで拡大します。)

その父(昭和4年生まれ)、4年前、人間ドックの顧問を辞めてから、急激に痴呆が進み、とうとう私の事も解らなくなりました。

 

千葉の奥の養老ホームに入所している父は、今では、私の事も解ってくれるようになりました。片道2時間かかるので、持病を抱えて、自分が週に1度ヘルパーさんに2時間、看護師さんに一度一時間来ていてもらっている私にとって、父に会いに行く事は、一日がかりです。でも、先日も、父が好物のカステラと甘納豆を持っていったら「美味しい、美味しい、典子ちゃん!」と嬉しそうな笑顔を見ると、母に親孝行出来なかったぶん、父には悔いのないよう、出来るだけの事をしてあげたいと、心から思っています。

両親から、そして、周りの皆さまから、神様から、多くの恵を頂いてきて、今の私があります。アメリカに留学する時、広島の祖母が「今は、戦争は終わった。アメリカを敵国なんて言ってる時代じゃない、女だって、世界に羽ばたいたらいい。 背水の陣で、行ってらしゃい!」と、そっと背中を押してくれた言葉は一生忘れられません。

そして、1981年、ジョージタウン大学の、言語学修士修了と共に、世界中で英語を教えられる資格のTESOLを、取得しました。帰国後、六本木の母校、東洋英和女学院の前にある「国際教育会館」の図書館長だった、東ケ崎民代さんの渋谷の松濤のお宅で緒方貞子さんにお目にかかりました。今、私が一番尊敬する女性です。(生きている中で・・・歴史上には多くいますが。)

帰国して、直ぐに4月、ソニー・プルデンシャル生命(今のソニー生命)の社長と副社長の秘書として、就職しました。何の就職活動もせず、たまたまどこかの求人広告に出ていた記事を見て、なんとなく面接に行き、社長や副社長と会い、英語のやり取りや筆記試験で受かったのは、今から考えると本当にラッキーだったと思います。1981年、今のソニー生命がアメリカの最大生命保険会社、プルデンシャルと合弁会社創立の年です。青山一丁目のツインタワーに本社がありました。それまでの保険会社と違い、男性の営業マンが活躍、掛け捨ての保険を中心にした新しい型の会社でした。品川のソニーの本社に行き、盛田社長、井深重役など、ご挨拶に行ったものです。仕事は、楽しく、平井社長が日本生命、第一生命、安田生命など色んな会社の社長との会食の手配や、副社長の書いた原稿を英語に直してFaxでアメリカに送信したりと頼まれた事は、すべて勉強でした。 

そして、アメリカ留学中、知り合った元夫の(矯正歯科医)帰国を待ち、神戸で結婚。(元夫は、神戸の人でした。) 神戸での生活が始まりました。 子供の出産。育児。育英高等学校(1995年頃甲子園優勝)や、神戸大学、甲南大学、神戸松蔭女子大学など、無我夢中でした。

しかし、弟が30歳の時、最大の支援者だった母が亡くなり、父は、精神を患った、でも優しい弟の世話で苦労をしていたのです。今、84歳で痴呆で一時は私の事も解らなくなった父が、このころから20年余りの苦労を思うと胸が痛くなります。再婚相手は、全く弟の面倒をさせて苦労をかけたくなかった父の配慮は、普通の人にはできない事だと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

,


2 additional my favorite songs by Westlife お気に入りの曲をもう2つ(^^)

2012-08-18 08:52:54 | music

Since the 2 songs by Westlife got so many comments that I put up the additional song by Westlife called "My Love" today

http://www.youtube.com/watch?v=ulOb9gIGGd0&feature=autoplay&list=AL94UKMTqg-9BTwRvwszpZy5xB7vXibO10&playnext=2

 

Westlifeの2つの曲がとても、反響があり、世界中の方々からのコメントを頂いたので、もう一曲紹介します。

題名は My Love です

写真は、六本木のGold Stoneでアイスクリームを食べてご機嫌んな私。

毎日、蒸し暑い日が続いています。皆さま、どうぞご自愛下さいね。

 

 

 

 

もう一曲は、"I'll See You Again" これは、歌詞がかいてあるので、解りやすいです。

Hope you enjoy this one, too LOL

http://www.youtube.com/watch?v=P7IbQyG9PL4&feature=autoplay&list=AL94UKMTqg-9BTwRvwszpZy5xB7vXibO10&playnext=3

 

These days, I am visiting my 84 year-old Dad becaue he is losing his memory so fast.

He quit working as a doctor 4 years ago. I feel so sad he could not recognize me one day....and then tried to visit him as many times I can though it takes 2 hours one way to visit him.

He recovered to recognize me after my several visits. I would like to do the best I could do becuase my mother passed away 21 yeas ago at the age of only 58. I could not do anything for Mam. I suppose I would like to live long and dedicate my life for World Peace...that's my lifework.

Below is the pictures of my father.  The one on the left is about 6 years ago: Me and Dad

The middle one is current Dad and me

The picture on the right is the tomb of "KOHNO" Family. My mother lies in there. This is the picture when I visited it on Aug. 10. I don't think I would get in there. I am asking my sons to have no funeral, no tomb for me, i hope them to put my ashed to the ocean because I love ocean, swimming, diving, walking on the shore, water fall, mineral water, anything to do with water. If I had a life after my death, I would like to be a fish. A tiny fish like the fish in the Children Book called "Swimmy" by Leo Leoni (spelling) He also wrote " Very Hungry Catapillar" and "Rainbow Fish"

He is now very calm in the nursry home. I alway bring him his favorites.

I feel so happy when he call me "Noriko-chan" and he take my hands tight. We are connected by heart by heart without any words. His smile is contagious and makes me smile. 

I would like to plant the seed of World Peace all over the world and hope the world would be as one as the song "Imagine" by John Lennon. They are still seeds, but with sun's love and water, they grow to be a beautiful flower of World Peace some day!! I believe in God.  God Bless you!! 

私は、21年前58歳で亡くなった母のお墓参りと、4年前人間ドックの顧問を辞めてから、急激痴呆が進み、一時は私の事も解らなくなった、84歳の父に会いに、昨日入所している介護ホームに行きました。父の好物の、カステラと甘納豆を持って行きました。 ちょうど、おやつ時間だったので、出されたおやつは控えて、そのカステラと甘納豆を美味しそうに笑顔で食べてくれました。 典子、典子と手を握って笑顔で美味しそうに食べてくれました。 嬉しくて、目頭が熱くなり、涙、涙でした。

私を、心から愛し、育んで育ててくれた父の為に、私の出来る限りの、悔いのない、親孝行をしたいと思います。内科医だたった父は、次男が交通事故で頭がい骨骨折で、広尾の日赤に救急車で運ばれたり、私が肺が弱く、肺炎で何度も入院したり、気胸で入退院を北里大学研究所病院にした時も、直ぐ駆けつけてくれ、レントゲン写真を見ながら、修辞地に指示を出したりしてくれました。「父の出番!」と言う時に、本当に頼りになる父でした。

アメリカの大学院に留学する時も、心配で大反対でしたが、飛行場まで見送りに来てくれました。普段は、あまり、多くを語る父では有りませんでしたが、私は父の後ろ姿を見て育ちました。

次男の諒も、サークルや勉学、バイトなどで多忙ですが、9月10日に、一緒に父に会いに行く予定です。

私は、16年前に元夫のDVで離婚して、親権を次男しか撮れませんでした。でも、長男29歳も、今東京に住み、元気に働いています。3人、東京の下、一人暮らしですが、心は一つです。時々会います。私が、健康で明るく笑顔で暮らしている事が一番大切です。息子たちに迷惑をかけないよう、「こんな、おふくろだったら、放っておいても大丈夫。」と安心してもらえたら嬉しいです。だから、私は、58歳で逝ってしまった母の分まで、細く長く生きて、ライフワークに取り組んでいきたいと思います。皆さん、応援して下さいね。ブログにコメント、お待ちしています。

12歳の頃、川崎大師で母と 

 


My 2 favorite songs by Westlife 長い間、大好きで歌ってきたお気に入りの2曲

2012-08-14 00:30:34 | music

 

 

今日は、内容は全く違いますが、Westlifeが歌った、お気に入りの2曲を紹介します。

1 If I Let You Go

2 You Raise Me Up

1If I Let You Go

http://www.youtube.com/watch?v=17Tpxa1fhBw&feature=fvwrel

最初のCMは、右下をクリックしてスキップして下さい。

この曲は、日本の「明日がある、明日がある」って感じの、可愛い、純粋に、愛にときめく心を歌っています。歌詞があるので、ゆっくり意味も理解できます。If I Let You Goという題名の曲です。 

 

2 You Raise Me Up

http://www.youtube.com/watch?v=9bxc9hbwkkw&feature=list_other&playnext=1&list=AL94UKMTqg-9BTwRvwszpZy5xB7vXibO10

この曲を聞くと、心から感謝の気持ちが湧いてきます。今私があるのは、いろんな方々のお陰・・・・・そして、私はくりすちゃんでは有りませんが、何か神様の存在のようなものを感じます。歌詞は書いてありませんが、ゆっくりなので、何度も聞くうちに解ってくると思います。カラオケとかで歌うにはとてもいいです。カラオケでは、歌詞が書いてあるので、歌いやすいでしょう。(笑)


東京から近場のお勧め温泉 Hot Spa near Tokyo

2012-08-12 23:46:46 | music

東京の近場で、お気に入りの温泉があります。

私は、ここの温泉が大好きです。都内の「スーパー温泉」なるものは、ほとんど試しましたが、ここのは、全国屈指の、美肌効果が高い美人の湯、自噴温泉温度57度。 まず、都内のは値段が、大体2500円位だが、ここは、700円!銭湯が、確か、今は450円だと思う。

場所は、埼玉県久喜市西大輪2丁目19番地1 東北自動車道久喜インターより10分

詳しくは、こちらをどうぞ。http://www.100kannon.com/

色々、8種類ほどの温泉で、私が好きな入り方は、熱湯と水風呂を交互に入る。まるで、「カツオのたたき」の気分!(^^)

2時間くらいは、いつも、ゆっくり入っている。

伊豆や福島、山梨、長野など色々行ったが、ここは都内から、車で、混んでいなければ1時間半で来れる。あっ、神奈川にも横浜の近くにあった。詳細は忘れたけれど、。

今、探しているのは、千葉市周辺。どなたか、ご存知の方、是非とも、コメントで教えて下さい。もちろん、日本全国、ここは秘境と言う所があれば、お願いします。温泉大好きな典子です。(^^)

写真は、この温泉とは関係ありません。