Noriko

しあわせさがし、穏やかで心豊かなライフスタイルを求めて・・・ささやかなブログです。

The way I fall in sleep 眠りに着くとき・・・・This is Noriko with gentle words

2012-08-19 00:51:29 | エッセイ

When I go to bed , each and everynight, I do the same thing after I wash my face and brush my teeth.

1 I put the CD on called "Westlife--The Love Album" which is a present from Ms Junko Tano, who is one of the best friend for a long time.  She is the master of Japnese dance called "Jiuta-Mai" , have lived in NYC for more than 40 years. has 2 childen --a boy and a girl.  has 2 grandchidren.

2 I pray for God, feeling gratitude the day passed in safe and pleasant. when I have a friend who is sick or in sorrow, I pray for them.

3 I try to review the schedule of the next day and hope everything goes OK

4 I feel so serene and fall in sleep in peace.

私が、寝る前にする事って、こんな事。 顔と歯を磨いたら。

1 CDプレーヤーに、大好きなWESTLIFE,の”The Love Album”を、Playにします。これは、5年ほど前に、ニューヨークに住む親友の田野純子さんからの、プレゼントです。最初の曲が、前に紹介した”The Rose"です。純子さんは、白金小学校卒業で、3歳から日本舞踊を始め、地唄舞の師範です。プリンストン大学や国連でも活躍しています。お子様2人は、アメリカ人と結婚して、お孫さんも2人います。アメリカ滞在も40年になるでしょうか。一年に一度は帰国して「純の会」という、地唄舞の舞台パーフォーマンスをします。とても、美しい舞です。

2 私は、クリスチャンではないけれど、無意識のうちに手を合わせ、お祈りします。今日が無事に終わった事を感謝します。お友達で、病気の方や哀しみの中にいる方の為にも祈ります。

3 翌日のスケジュールを、頭で確認して、明日も無事終える事を願います、

4 そしたら、いつの間にか、CDの歌を聞きながら、穏やかな気分で眠りについています。

←お花が好きです。ルピナスの花が好きです。ガーベラとバラも好きです。でも、タンポポやスミレ、すずらんや、野に咲く小さなお花も大好きです。子供の頃、父と、トマト、ナス、きゅうり、ネギや、ホウレンソウなどの水やりをしていました。

父は、私に、命は人間だけじゃない事を教えてくれました。動物も花も、野菜も、アリさんの命もみーんな大切だと、育てながら、世話をしながら、教えてくれました。 父は、お母さんを早くに亡くしました。それで、命を救えるように医者の道を選んだそうです。仙台の、東北大学の医学部では、作家の北杜雄と、卓球仲間の親友だったそうです。博士号は、九州大学の医学部で修了。内科医として、多くの患者さんに優しく接していました。特に、呼吸器科など、レントゲンを見ての診断に関しては、ずば抜けていました。私が、肺炎や気胸になって、入退院をしていた時も「父の出番」でした。諒が、8歳の時、交通事故で「頭蓋骨骨折」の時も「父の出番」でした。とにかく、対応が早かった。頼りがいのある父でした。そんな、父は私の誇りでした。

父は、犬や猫も好きでした。でも、ペットは死んじゃうととっても哀しいので、飼うのを辞めました。私は、小さい時、犬と猫に噛まれた経験があるので、いまでも、少し猫や犬が恐いです。長男の淳は、ハムスターと金魚を大切に育てていました。ハムスターは、沢山赤ちゃんを産むので、世話が大変だし、金魚は7年くらいの間に鯉のように巨大になって、水槽を洗うのが大変でしたが、頑張っていました。8歳違いの、弟の諒の世話も良くしてくれて、ごはんを食べさせたり、お風呂に入れてくれました。保育園に迎えもいってくれました。おむつも、一緒に洗って、干してくれました。だから、兄弟仲がいいです。私は、それが幸せです。

 


東洋英和 虹の会 修養会 8月16日 

2012-08-17 09:35:58 | エッセイ

「ルピナスさん」作・絵 バーバラ・クーニー(私の、一番のお気に入りの絵本です。私も、ルピナスさんの世に、「平和」の種を蒔いていきたいと思います。ライフワークです。・・・上に大きな写真が入ってしまいました。どうしてかわかりませ~ん!ごめんなさい。

「虹の会」とは、東洋英和の先生や卒業生が、毎週、木曜日、幼稚園の場所をお借りして、山北宣久牧師を囲み、聖書を読み、讃美歌を歌い、北支先生のお話を伺い、メンバーの皆さまと交流を持っている会です。

普段は、木曜日の午後2時間程ですが、今日は、朝の10時からランチを挟んで、午後3時まで、穏やかで楽しい交わりを持ちました。

西村澄子様が、お世話の中心となられ、とても心和む時間が過ごせます。私は、体調や他の用があってなかなか出れないのですが、何時出席しても、優しく、温かく皆さまの交わりに入れて下さいます。

 この日は、「ルカ9・1~6」の聖書を、拝読し、「遣わされるわたしたち」のテーマで、山北先生のお説教を伺い、讃美歌546、166Ⅱ191、220、325などを、みなさんで歌いました。

私は、クリスチャンでは有りませんが、思春期の頃から毎日、朝の礼拝で、聖書を読み、お説教を聞いて、讃美歌を歌って育ちましたので、何か辛い事があったり、友達に不幸があると、手を合わせて、無意識のうちに祈っています。

最近は、表参道にある,Tokyo Union Churchに、時間が有る時は行きます。世界中の方々がいらしています。礼拝は、全て英語です。

西村さんと→  ↓小林さんと小山さん  

同級生の鈴木さんと、(ごめんなさい)逆さ目で治し方が解りません。

 

 

 

 

 


Lunch with 2 of My Best Friends on Aug. 2 2012 2人の親友とのランチ 2012年8月2日

2012-08-04 13:48:29 | エッセイ

It's always a great joy to have lunch with good friends.

Akiko is an old friend from my elementary school days. So we have known for more than 46 years now.  Gyokuka was a friend of Keiko but we are good friends for several years. Gyokuka is a chinese but she has lived in Japan for more than 20 years.

Keiko is always smiling and so kind ....a good picture drawer. Gyokuka has 1 son(17) and a translator and interpreter of Chinese.  She is always a hard worker and positive person. Good listener and give me good advices when I have some concerns.

I am so lucky to have good friends all over the world.  They are my treasure that we cannot with money.  We trust, love and share both good & bad days.

Here's the picture of us 3! (^^)

←if you click twice, it will be enlarged.

親友とのランチは最高に楽しい。この日は、小学校4年生の時からの親友の彰子さんと、彰子さんの友達で数年前からの親友、ぎょくかさん。 彰子さんは、いつも、笑顔で優しく、絵を描くのが上手。ぎょくかさんは、中国人ですが、日本の男性と結婚していて、高校3年生の息子さんがいます。2人とも、横浜住まい。じょくかさんは、中国語の翻訳や通訳をしています。

世界中に、お友達がいる私は、本当に幸せです。信頼や愛情で固い絆で結ばれています。友情はお金では買えない宝物です。

上は、3人の写真。 真中が私。私の左が彰子さん、右がぎょくかさん。


被災地を訪れて I had a 3-day trip to where the places the big earthquake and tsunam damaged.i

2012-07-24 05:22:54 | エッセイ

I visited the northern main island where huge earthquakes and tsunami hit on March 11 last year.  My heart was broken to see all the temporary houses and the open area where all the houses were washed away.  It made me remember the time when I lived in Kobe for 16 years. I was in Kobe when the great Hanshin-Awaji Earthquake hit in 1995.  Then, I was teaching at Kobe University, Kobe Shoin Girls' University, Kohnan University etc.

Lots of my students passed away and and friends' houses were torn down and got fire because it was in the morning breakfast time.

I took a train that was rebuild lately at Miyako in Iwate Prefecture. There were a heao if rubble of the houses washed away.....I was all in tears to see them.

先日、2泊3日で、被災地の岩手の三陸宮古や宮城県に行って来ました。 多くの仮設住宅が立ち並んでいました。 津波で流された土地は、雑草がはえ、とても寂しかったです。震災復興列車に乗りました。 私は、阪神淡路大震災が1995年の3月に会った時、神戸に住んでいました。その頃は、神戸大学、神戸松蔭女子大学、甲南大学で教えていました。 

その前、1993年頃甲子園で優勝した、男子校の育英高等学校でも、英語を教えていました。育英高等学校の校舎は、避難所になり、教職員が一生懸命、避難者のお世話をしていました。その教職員の中にも、家が焼けおちたり、家族を亡くした方々が沢山いました。 私が教えていた大学の学生で、阪神沿線に住んでいた地方からの学生の中にも亡くなったり、家族を亡くした学生、両親をなくした子どもたちが長田区の小学校などに避難していました。幸い、私の住んでいた阪急沿線は山側だったので、水道や電気の復旧もはやく、被災したお友達に来て頂いて、お風呂など入ってもらいました。 地震が起きたのが早朝で、朝ごはんの支度時期だったので、中宅の板宿商店街や、靴の製造工場など、一気に火の気が広がり、火の海となりました。

当時、4歳と12歳の息子たちの寝ている所に行き、二人を両脇に川の字になり、「もうすぐ明るくなるまで、動かないでいるのよ。」と、いったい何が起こっているのか、テレビもラジオも報道がありませんでした。 携帯電話はまったく繋がらず、公衆電話なら何とか繋がると、公衆電話に長い列ができました。

家の中は、台所の食器やグラスは全て割れ、テレビやパソコンなども2m位吹っ飛んでいました。 地震が起きた時、私はベッドから転げ落ちました。部屋のドアが曲がって、夫が力尽くで開けました。

今回、三陸地域をバスで回り、被災地のところどころに、仮設の店舗があり、一生懸命商売を開催していました。 仙台の松島の辺りのお土産屋さんは、全て被災しましたが、立て直し営業を開始していました。笹かまぼこ、ずんだもち、牛タンなど売っていました。 中尊寺も行きました。 杉の木が倒れている所も沢山ありました。被災地 を歩いたり、地元のガイドさんの説明などを伺い、17年前の神戸の地震を思い出し、涙がでました。 でも、アジサイやつつじの花は綺麗に咲いていました。それが、私の心を癒してくれました。

写真を2度クリックすると拡大で観れます。 旅館、中尊寺、松島などで撮った写真です。 再建して、営業を再開した、旅館の方々は、笑顔で一生懸命、私たちを美味しいお食事などでもてなして下さいました。 バスガイドさんや、被災地で津波を録画したホテルの社長さんが、いらして、「これからも、頑張ります。又来て下さいね。」と笑顔でおっしゃっていました。 復興の為に、日本政府や地方の都道府県の、より一層の支援が必要とされていると、実感しました。

 


100歳の映画監督 新藤兼人さんの死去 映画「一枚のハガキ」

2012-06-01 09:13:14 | エッセイ

昨日、4月29日(2012年)、100歳の映画監督の新藤兼人さんが亡くなりました。

新藤兼人監督の、去年上映された「一枚のハガキ」について、私のブログの「記事一覧」で、ご覧下さい。映画のチラシの写真と共に8月15日付けで、書きました。 山田洋次監督や緒方貞子さんたちのコメントもあります。

「戦争をしてはいけない。 自分の戦争に行って、生き残った一人として、生きていく限り、映画を撮影し続ける。」と生き抜いた100年でした。 自分の撮りたい映画だけを撮り続け、その数50本程、脚本200以上。

山田洋次監督は「新藤監督の映画は、肉声の映画だった。寂しい。」と語っていました。

戦争の悲劇を、映画を通して、語り続け、「生き残って、強く生きて、前向きに前進しよう。」と、全身の力を振り絞り生き抜いた100年でした。

私が、生まれたのは戦後ですが、それから、ベトナム戦争、ボスニアや世界の沢山の国々で今も、民族紛争や、政治や宗教の問題で、多くの罪のない一般人が、毎日犠牲にとなり、命を落としています。

今、私は、大切な事に気がつきました。「世界」を目指す前に、まず、アジアの平和と、有効的な経済発展に貢献したいと思います。 その中でも、ベトナム。 私が小学生の頃、ベトナム戦争がありました。 その頃は、良く解りませんでしたが、歴史を勉強してきて、日本とベトナムとの友好協力にとても興味を抱くようになりました。 共にアメリカに翻弄された国という、共通項が(Common Ground between Vietnam & Japan)あります。 

私は、「一枚のハガキ」は、もっとも世界中の人々に観てもらいたい映画のひとつだと、強く思います。

新藤兼人監督に心から、追悼の念を表します。

100-year-old movie director, Mr. Kaneto Shinto passed away yesterday on April 29, 1012.  His main theme was "to keep the memories of unthinkable misery of WAR to the next generations, to keep living forward posive in peace." These pictures of flyer below are about his movie he took last year called "One Postcard".  The young Japanese man was sent to join the war just by getting one postcard that order to join the military.  Just one postcard destinated each and every young Japanese men's lives....and mostly passed away.  NO right to reject the order, then.  How cruel that must have been!!  INJISTICE!! 

One thing I realized after I the movie was that before I think of "World Peace", I would like to start focus on the Peace and mutual economic development of South East Asia, especially that of Vietnam & Japan.  We have common ground between Vietnam & Japan regarding the Vietnam War and Atomic Bomb dropped in Hiroshima and Nagasaki. 

I hope strongly this movie, "ONE POSTCARD" would be featured in all over the world!!