My favorite things 2025

不定期でジャンルもバラバラです。 お気軽に寄って見て下さい、 

ラテントピック・一語一絵 その5

2021-02-11 09:33:06 | ラテントピック・一語一絵
Luis Gonzaga

ルイス・ゴンザーガ

1912-1989

ブラジル人なら誰でも知ってる国民的存在と
言っても良い。

ブラジルの北東部(ノルデスチと呼ぶ)に
ベルナンブーコと言う地域がある。
リオから見たら一地方、田舎という印象があるが
ブラジルは広い。国土を半分にしてもその辺の国なら
スッポリ入る。乾燥した土地が広い。

地方には地方の文化がありその土地の音楽が存在する。
ノルデスチで昔から根付いている音楽にバイオンがある。
主にサンフォーナ(アコーディオン)とトライアングルで
演奏されるが中でもルイスゴンザーガが圧倒的な存在だ。
名曲「アザ・ブランカ」(白い翼)を知らない人はいない。
ノルデスチ出身者ならなおさら強い郷愁を感じる曲だろう。

話はずれるが、60年代末だったかブラジルでは一時軍事
政権が強く何かにつけて難癖をつけ文化人や音楽家を
取り締まった時期があった。Anos de Chumbo 鉛の
時代と呼ぶ。これを嫌い海外に逃げた音楽家は少なくない。
カエターノ・ベローゾもその一人だ。

強烈な革新を嫌えば伝統的なことになびくのは世の習いだ。
カエターノは古いことの存在を大事にして地方の音楽にも
光をあてたと言う。ルイスゴンザーガは再びスポットライト
を浴びた。ここはいわゆるトロピカリアの絡みがある。

やがてルイスゴンザーガは地方の英雄から全国レベルの
バイオンキングと知られるようになって行く。
乾燥したノルデスチから飛んだ白い翼は人々の脳裏に
焼き付いて行った。ブラジル全土にアザブランカは知れ
渡った。

Um rei que emociono um pais

映画の中にあるサブタイトル。
国中を感動させたバイオンキング、と言う
ところか。

息子のゴンザギーニャは歌手だったが婚外子だ。

ブラジルではそんなことは誰も気にしない。
島国根性の日本とは違う。

ルイスゴンザーガは有名になりすぎて、息子は
親とは違うことを主張したいようになり一時は
親子間に距離が出来てしまう。何の世界でも二世に
はよくある悩みだ。父親は体制派、息子は反体制派、
社会派だった。親が有名なら子供には何かとそれが
抵抗になるものだろう。

時間の経過と共に疎遠関係は消えやがて親子は共に働く
ようになる。しかしゴンザギーニャは父親の死後二年も
経たずに交通事故で死んでしまう。

当時このニュースには驚かされた。


ゴンザギーニャ

芸に生きる親子の確執ねえ。市川猿之助と香川照之の
関係を思い出す。澤瀉屋の家庭も複雑だからね。

ゴンザーガに「大きい」を意味するaumentativo
を付けてゴンザガァンと呼ぶがこれは息子のゴンザギーニャ
の名前との対比だろうね。

この二人の親子関係は映画化された。

サンフォーナの名手シブーカとも共演している。
バイオンはサンフォーナばかり目立つがトライアングル
でビートを出すのが難しい。

そうそう、パンデイロのジャクソン・ド・パンデイロも
いるんだよね、この時代は。またの機会にするけど。

一語なんて言ってる割には長たらしい文章ばかりでいけませんや。
何とか描けたが顔のわりに手がやけに小さすぎた。それにしても
独特のコスチュームだ。帽子も独特だし良く見ると腰から
拳銃をぶら下げてサンフォーナを弾いている写真もある。
本物なら怖いね。

余談だが、ブラジルで公演した宝塚出身の生田恵子が
当地で録音している。その時にバイオンの指導をしたのが
ルイス・ゴンザーガで1951年のことだ。生田は帰国後に
レコードを出しバイオン娘として大人気になった。



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ラテントピック・一語一絵 ... | トップ | ラテントピック・一語一絵 ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿