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花井お梅 - その弐

2007-11-08 23:47:44 | 江戸由縁東京旧聞
回向院へ犬のお墓参りに行った際、鼠小僧の墓の近くに
竹本義太夫の墓があり、気になって調べたら大正期に銀行
の頭取をやっていた大岡育造が建立したものだった、という
のは先日書いたのですが、この人物には明治期に稀代の毒婦と
渾名された花井お梅の弁護人の依頼があったことまで解りました。
これもついでに書き添えてはおいたのですが、どうにも花井お梅
のことがずっと気になってしまい、もう少し書き添えて見たい、と
思っていたところへ、この大岡育造の名前が浮き上がって来
たという次第。やはりこれはもう少し掘り下げねばなりません。

この両者を近くで見ていた人物はいないだろうかといろいろ
探しました。花井お梅の名はいまや知っているひとも少なく
なり、歴史的な観点から見ても、単なる殺人犯で終わってし
まう程度の、新聞で言えば三面記事にしか載らない、そのく
らいの扱いでしょう。しかし個人的には、まだ江戸の情緒を
残す明治の東京での、この事件は多いに興味を引かれるので
あります。

美人で頭が良くて、と評判の花井お梅、浜町河岸で待合「粋月」
を営んで、あっちからもこっちからも引っ張りだこ。そこに
絡む妬みと金銭、果ては箱屋の峯吉を殺めてしまうことに。

とまあこんなところが巷間伝わる筋書きですが、果たして
実際のところはどうだったのか。これが知りたくて、あちこち
探してみました。職場に近い京橋図書館で当時の記事を見ても
それほど突っ込んだものもなく、ちょいと期待外れ。まあ、
こんなもんです。

それで岩波文庫で見たところ、明治期のことを聞き及んで書き
残した「明治百話」に載っておりました。
この本は篠田鉱造というひとが、明治の頃の話を、あらゆる職業に
従事したひとに取材して直接聞いたことを口語体でまとめたもので、
当時の話しかたや、いまや使われない言葉などに溢れ、いかにも
当時の東京はさぞありなんという感じを彷彿させるものです。

では早速「実話花井お梅」から少々長くなりますが抜粋して
みます。これはあるとき上野公園の梅川亭で明治の頃の話を
する会があり、ひととき済んだところへ梅川の女将が挨拶に
顔を出します。座にいた田中翁が、「女将は昔話がサゾあろう」
といえば女将「ソレはございますとも、早いお話が、水月の
お梅さん、花井お梅ですね。何でもお芝居や講釈ですと、大変
毒婦のような、大胆なような趣向(すじ)になっていますが、
実際はあなた、ホンのハズミで、峯吉が馬鹿々々しく殺されて
しまったことですよ。あの晩、私も浜町の常盤で、殺しのある
前、一所だったンです。一体お梅さんは変な質(たち)で
(中略)発作なんとかやらで嚇ト逆上せる質なんでした。

その癖顔立といったら、綺麗でいて、こうした女にはエテ険の
あるものですが、柔らかみのあるスッキリと襟から胸元の
かけてなだらかで、よい姿の女でした。けれどもソノカット
するのが瑕でした。コレにはちゃんと原因があったんです。
あの晩だって、峯吉に浜町河岸で、ピタと出会い、峯吉が
「マア姉さん、どうしたというンです、お父さんは河村さんに
合わす顔がないといって、坊主になると、詫びていらっしゃい
ましたよ。恩を忘れちゃアいけませんぜ」(河村銀行の
頭取が旦那でした。)「なんだとェ、余計なことをお言いで
ない、恩だとェ、恩を忘れるとは、お前のことだ。ナマを
お言いでない。生意気をお言いだと殺してしもうよ」
「殺す、姉さんに殺されりゃア本望だ」といったから「何を
いいやがる」と、例のカットなって、帯際に挟んでいた出刃で
横ッ腹をグサと刺してしまった、「ヤッ刺ったな」といって
峯吉は逃げ出し、阿波様のワキの車宿へ転げ込む。こっちは
お梅さん、一つ刺しておいて、これも我が家へ転げ込んで、
腰が抜けてしまったものです。」

といった具合で話は進み、この後久松署へ自首するよう勧め
たり、お梅の、気が触れている母親の存在を知ることが以前に
あったり、そもそも芸妓になって、銀座の役人で高利貸しだった
三十三国立銀行の頭取である河村伝衛を旦那にもち、その金を
歌舞伎役者買いに消費したりする話が前後してずっと続きます。

もう少し梅川の女将の話を。

「そこで河村さんはいっそ待合をさせようと家を捜し当てた
のが浜町の二丁目、ちょうど藤田茂吉さんの跡でござんした。
待合の粋月がここなんです。この家が聞いてみると厭なん
ですよ。以前両国のならび茶屋の女中が首を縊り、その跡へ
蛎殻町の相場師が住んで発狂したんだそうです。そんな
ことはないでしょうが、考えて見ると何か因縁がありそうに
思ったものでした。待合開業の日が、明治二十年の五月十四、
十五、十六、の三日間でなか々盛んでした。名義はお父さん
の花井専之助でしたが、これが峯吉殺しの原因となったん
です。人間何が不仕合せの原因になるか判りませんね。」

この後話しはまだまだ詳細に及び、なぜ凶行の及んだ晩に
出刃を持っていたのかとか、次の日河村の勧めで大阪見物に
行くはずだったのに、峯吉と偶然会ったが故の思わぬ凶行に
いたるいきさつや偶然の重なりなど 身近な同業者ではなく
ては知りえない話が続いていきます。

お梅が出所後に話したこの事件の後日談もあるのですが、
いずれにしても、峯吉や父親とのギクシャクした関係から
心理的に追い込まれて、ついには凶行に及んだことは間違い
のないところでしょう。出所後にも問題をおこしていること
からもついキレてしまい易い性質なのか、またまだ社会が
未熟でつねに加害者が悪であるとするような時代背景が
お梅を「毒婦」にさせてしまったのか。警察の調査や取材が
まだいい加減な時代ですから、はたして真実はどうだった
のでしょうか。

また犯行に使用された出刃包丁はそのために買ったものでは
ないとされてはいますが、この包丁は老舗の「うぶけ屋」のもので、
この店は現在も人形町で連綿と歴史を重ねて営業をしており
「東都のれん会」に名を連ねる名店であります。因みに屋号は
うぶ毛も切れる、というほどの切れ味をネーミングとしており、
包丁はもとより、爪切り、剃刀、毛抜き等々を扱っています。
商品を包む包み紙には店舗を前から見た絵が印刷されており
江戸好みの洒落た味わいを感じさせます。


これはうぶけ屋さんのショウーウインドの中にあります。

この「明治百話」上下で文庫本で岩波から出ております。
他にも首斬朝右衛門八世による斬首刑のリアルな話など載って
おり、新聞記者であった著者の地道な取材は明治の文化や風俗
を知る上でも貴重な文化史となる内容で溢れております。
興味のあるかたはどうぞご一読を。



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