外から見た吉良邸の様子
大江戸両国・からくり祭りの帰りに寄り道をしました。
回向院の裏を出ると吉良邸まですぐです。現在は本所松坂町
公園として名を残していますが、かつては吉良上野介の広大
な上屋敷があったところです。といっても、最近の若いひとは
忠臣蔵といっても通じないことがあるし、赤穂浪士の討ち入り
なぞ、なんのこと?って言われそうですが、ともかくここがかつ
ての吉良邸の跡なのです。
吉良上野介の首を洗った(?)という井戸
公園というと大きなスペースを想像しがちですが、こちらの
吉良邸屋敷跡はとても狭いです。初めて行くと通り過ぎる
かも知れません。ビルに囲まれた一帯の角地にありそこだけ
海鼠壁が外に面しています。中には井戸と稲荷と少々のスペ
ースしかありません。もはや往時を知るよしもなし、という
ところでしょうか。しかし地元の方々の好意で今に残されて
います。僅かなスペースでもこうして残されているのは嬉しい
ことです。
かつてはおよそ2千500坪の広さがあったという吉良家の
上屋敷。高家肝煎ですから身分は高かったのですね。
松坂稲荷大明神
見学に訪れる人達は皆さんご年配です。あまり若いひとは
いませんねえ。このへんがちょっと不満です。
大江戸両国・からくり祭りの帰りに寄り道をしました。
回向院の裏を出ると吉良邸まですぐです。現在は本所松坂町
公園として名を残していますが、かつては吉良上野介の広大
な上屋敷があったところです。といっても、最近の若いひとは
忠臣蔵といっても通じないことがあるし、赤穂浪士の討ち入り
なぞ、なんのこと?って言われそうですが、ともかくここがかつ
ての吉良邸の跡なのです。
吉良上野介の首を洗った(?)という井戸
公園というと大きなスペースを想像しがちですが、こちらの
吉良邸屋敷跡はとても狭いです。初めて行くと通り過ぎる
かも知れません。ビルに囲まれた一帯の角地にありそこだけ
海鼠壁が外に面しています。中には井戸と稲荷と少々のスペ
ースしかありません。もはや往時を知るよしもなし、という
ところでしょうか。しかし地元の方々の好意で今に残されて
います。僅かなスペースでもこうして残されているのは嬉しい
ことです。
かつてはおよそ2千500坪の広さがあったという吉良家の
上屋敷。高家肝煎ですから身分は高かったのですね。
松坂稲荷大明神
見学に訪れる人達は皆さんご年配です。あまり若いひとは
いませんねえ。このへんがちょっと不満です。
私も知りません・・・・なんて若ぶってみたい。
ついでに“海鼠壁”もご存じないだろうし、“なまこ”の本来の姿も知らないでしょうね、若いお人達は。
ご年配の人しか来ないのですか?これも本当に寂しいですよね。
東京に住んでいたら、何年かかってもいいからこの様な所を巡ってみたいものです。
屋敷を構えてあるものですが、事件後
本所あたりに屋敷換えされているところ
を見ると、見捨てられていたとしても
不自然ではないですね。
そうかあ、「海鼠壁」が分からないか。
そもそも「海鼠」の実態を分からないかも
知れませんね。フムフム。螻蛄とか蝦蛄に
なったらなおさら分からないかも。
本所両国回向院のあたりは日曜になると
歴史ツアーの方々がたくさん歩いている
姿を見ることができます。2人だったり、
6、7人だったり。でも残念ながらご年配
の方が多いですね。
江戸古地図を持って巡り歩き往時に思いを
はせる、なんて最高の道楽なんですけど。
昔なら、ちょいと出会い茶屋あたりを
覗いてみたり、なんて出来ただろうに、とか。
不謹慎です。ハハ。