いそがしのトトロ

きたぐにのせいかつ日記。 

パッチワーク 少しづつ

2025-01-14 09:20:03 | 洋裁

寒い日が続く。庭植えにしたレモンの木は寒さ除けをしてるものの、零下5℃ぐらいが限度だというので、耐えられるかしら? 零下3℃ぐらいにはなっている。

仙台市内の最大規模の布地専門店だったマブチが、ついに閉店することになった。先日11日に行ってみたら、店内商品がすべて半額というセールをやっていた。スタッフが少ないので、レジまですごい列ができていた。布を裁断してもらうのに並び、レジにまた並ばなければならない。1日がかりになりそうな人ごみだった。

私は、輸入品で高価だが、半額になるんだったらと、思い切ってニットのカットしてある布だけを買った。レジまで30分並んだ。

 

マブチがなくなるのは寂しい。裁縫が趣味で、前から布を買いに、道具を買いに出かけたものだ。今はネットでなんでも買えるが、布地は実際目でみて触っってみないとわからないものだ。着るものを作るのも、洋服は買ったほうが安いという時代なのかもしれない。

 

パッチワークは順調にすすんでいる。

12ある幾何学もようのキルティングのパターンの6つができた。ところどころ茶色いシミがあるけれども、完成してから洗えば薄くなると思う。糸をなめて結び目を作ったりするので、雑菌がついてるのかな。

なんせ20年ぐらい前に未完成でしまいこんでいたものなので、しつけ糸も黄色くなっているのだ。

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新年になってしまった!

2025-01-01 14:31:58 | 日記

2024年は、時々ブログを書こうと思いながら、ずいぶんさぼってしまった。

今年はもう少しがんばってみたい。

お節料理は毎年作っているが、今年は、詰めてみて、どうしても空きを埋めることができなかった。来年はひと箱で収めよう。でも、どれも自分で作ったし、うまくできたと思う。

(画像を回転させることができなかった!)

年末に、NHK出版の ”すてきにハンドメイド” を見て、このうさぎのぬいぐるみをどうしても作ってみたかった。もう、年末とはいえ、時間は何とでもできるので、せっせと針仕事に取り組んだ。

思ったより面倒で、大変だったが、出来てみるとやっぱりかわいい。

物入れを片づけていたら、20年も前だろうか、作りかけで中断したパッチワークが出てきた。2025年は、これを仕上げるという目的ができた。

デザインが決まって、ピースをつないで、あとはキルティングをするだけの段階になると、ほっとして気が緩む。そして20年以上も放置してしまった。すっかり忘れていた。1か所、すごく黄ばんだピースがあって、思い切って、取り換えた。

あとは根気だけ。でもできあがりを楽しみに今年の冬仕事ができた。

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洋服を作る

2024-12-14 09:37:06 | 洋裁

先日、買ってきた3種類の生地でさっそく着るものを作った。まず、白いニットの生地は、インナーにした。幅が広かったので、1.5mで二つできた。えりぐりを変えてみた。

布地は、見ただけではわからないところがある。出来上がりは、まあ満足だったが、着てみると少し、肌触りがいいとは言えない。なんせ、500円で買った生地なので、こんなものかもしれないと思った。

もうひとつの、グレーのシマのニット地で、パジャマの上を作った。ズボンはユニクロで買ったものだ。大好きだった友人から、パジャマの上着だけをもらったのを着ていたが、大きすぎるのと、襟あきが開襟なので寒い。思い切って切って大きなりぼんのアップリケにした。これで、彼女の思い出も残せる。

2階のベランダの干した柿が1か月たって、食べごろになった。

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沖縄へ行ってきた その3

2024-12-06 16:34:45 | 旅行

2日間、息子の家族と会って会食をして別れた後、バスに乗って、”対馬丸記念館”を見に行った。”波の上神宮” の近くの公園の中にある。 なぜか波の上神宮の前には、観光バスが何台も停まっていて、中国系のひとでごったがえしていた。パワースポットらしい。

対馬丸は学童疎開の船で、アメリカの魚雷に沈められた。犠牲者1500人ほどもでた貨物船の名前で、この事故のことは、口外しないように言われていたため、長いこと表沙汰にならなかったらしい。

私も数年前に知った。1944年、戦争がはげしくなるにつれ、足手まといになる子供たちを連れ出すため、食料を確保するため、危険な海域を九州に向かったという。悪石島のあたりでアメリカ船の魚雷に沈められた。近くにいた漁船に助けられたり、流れ着いて奄美大島にたどり着いた人たちもいたが、ほとんどは助からなかった。

そのアメリカ船は、原爆を広島・長崎に投下したエノラ・ゲイとともに博物館に展示してあるらしい。

波の上ビーチという市民ビーチが近くにあって、素晴らしく水がきれいだった。白人の人たちが何人も海に入ったり、砂浜に寝そべったりしていた。日本人で泳いでいる人は見かけなかった。身近にこんなきれいなビーチがあって、在日の白人は太陽と海を満喫しているのに、人目を気にする日本人特有の事情が、楽しむのをためらうんだろうか。

波の上ビーチの隣は公園になっているが、数人のホームレスらしき人たちも見かけた。

公園を通り抜けると、びっくりするほど大きなクルーズ船が止まっているのが見えた。ここにクルーズターミナルがあるのを知った。

先ほど波の上神宮に来ていた観光バスは、このクルーズ船で来た人たちなのかもしれない。このあたりには、孔子廟などもあり、中国と関係の深い地域らしい。

 

最終日は、ホテルをチェックアウトした後、空港にトランクを運んでチェックインの手続きをした。那覇空港はチェックインの手続きも、手荷物の検査もすべて機械で、自らしなければいけなくなっていた。

そんなに戸惑うこともなく手続きが出来て、飛行機は午後の便なので、モノレールで街まで戻り、お昼を食べることにする。小禄で降りて、”うるかそば” をさがして歩いた。

少し遠かったが、探し当て、念願の沖縄そばを食べた。

ここの沖縄そばは、さっぱり系で、肉もほろほろとくずれる柔らかい肉が私好み。

これで、今回の沖縄旅行のしめくくりだった。

 

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沖縄へ行ってきた その2

2024-12-06 15:51:24 | 旅行

次の日は、モノレールで旭橋駅から終点のてだこ浦西まで行った。2年前来た時、モノレールが延長したのを知って終点まで乗ってみた。てだこ浦西駅の周辺は、まだ空き地で、造成中の何もないところだった。

今は、バス乗り場もできて、イオンのスーパーや、JINSなどの店舗が駅周辺にできて、近くには、マンションも建設中だった。でもあいかわらず、空き地が多く、降りる人はほとんどいない。またモノレールに乗って、首里にもどり、孫の高校を見に歩いて行った。20分ぐらいかかった。途中、民家の庭に黄色いパパイヤがなっていた。

モノレールで県庁前まで戻り、リウボウの中にある ”楽園”カフェでお昼を食べた。夫はカレー、私はサラダランチ。

外に出たら、雨が降りそうなので、リウボウ前からバスでホテルに戻った。

夕ご飯は、“ジャッキーステーキ”へ。席の予約はできないというので、4時45分頃に行って待った。わりとすんなり座れた。10年ぐらい前の、値段は倍ぐらいになっていた。

でも、肉はじゅうじゅうと熱い焼きたてのが運ばれてきて、脂身のほとんどない柔らかい肉だった。ミルクのスープもおいしかった。夫は200g、私は150gのをたのんだ。

これで、このたびの旅行で食べたかったもののひとつを食べることができた。

 

 

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