いそがしのトトロ

きたぐにのせいかつ日記。 

2月になってしまった!

2025-02-04 17:15:45 | 洋裁

1月中頃からひどいかぜをひいてしまった。せきがひどかった。熱は出なかったが、10年ぶりぐらいかもしれない。これで少し免疫力があがったかもしれない。

常に同居せざるをえない夫が今、同じようなかぜをひいている。

家にこもりっきりで、やることといったら、パッチワークだった。おかげですごくはかどった! やることがあって良かった。熱はなかったので、ちくちく縫う作業はなんなくできた。きょう大きなピースができあがったのでバンザイだ。

あとは縁のピースをこつこつキルティングしていけば1か月ぐらいで仕上げることができるかもしれない。

食欲はなかったが、

時間はあったので、ネットで干し芋の作り方を見て、干し芋を作った。

大きなさつまいもをもらったのがあった。

蒸し器で2本、50分ぐらい、柔らかくなるまで蒸した。

熱いうちに皮をむき、切って、ざるに並べて、3・4日干した。

色は少し悪くなったが、オーブントースターで、さっと焼いて食べると美味しかった。

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パッチワーク 少しづつ

2025-01-14 09:20:03 | 洋裁

寒い日が続く。庭植えにしたレモンの木は寒さ除けをしてるものの、零下5℃ぐらいが限度だというので、耐えられるかしら? 零下3℃ぐらいにはなっている。

仙台市内の最大規模の布地専門店だったマブチが、ついに閉店することになった。先日11日に行ってみたら、店内商品がすべて半額というセールをやっていた。スタッフが少ないので、レジまですごい列ができていた。布を裁断してもらうのに並び、レジにまた並ばなければならない。1日がかりになりそうな人ごみだった。

私は、輸入品で高価だが、半額になるんだったらと、思い切ってニットのカットしてある布だけを買った。レジまで30分並んだ。

 

マブチがなくなるのは寂しい。裁縫が趣味で、前から布を買いに、道具を買いに出かけたものだ。今はネットでなんでも買えるが、布地は実際目でみて触っってみないとわからないものだ。着るものを作るのも、洋服は買ったほうが安いという時代なのかもしれない。

 

パッチワークは順調にすすんでいる。

12ある幾何学もようのキルティングのパターンの6つができた。ところどころ茶色いシミがあるけれども、完成してから洗えば薄くなると思う。糸をなめて結び目を作ったりするので、雑菌がついてるのかな。

なんせ20年ぐらい前に未完成でしまいこんでいたものなので、しつけ糸も黄色くなっているのだ。

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新年になってしまった!

2025-01-01 14:31:58 | 日記

2024年は、時々ブログを書こうと思いながら、ずいぶんさぼってしまった。

今年はもう少しがんばってみたい。

お節料理は毎年作っているが、今年は、詰めてみて、どうしても空きを埋めることができなかった。来年はひと箱で収めよう。でも、どれも自分で作ったし、うまくできたと思う。

(画像を回転させることができなかった!)

年末に、NHK出版の ”すてきにハンドメイド” を見て、このうさぎのぬいぐるみをどうしても作ってみたかった。もう、年末とはいえ、時間は何とでもできるので、せっせと針仕事に取り組んだ。

思ったより面倒で、大変だったが、出来てみるとやっぱりかわいい。

物入れを片づけていたら、20年も前だろうか、作りかけで中断したパッチワークが出てきた。2025年は、これを仕上げるという目的ができた。

デザインが決まって、ピースをつないで、あとはキルティングをするだけの段階になると、ほっとして気が緩む。そして20年以上も放置してしまった。すっかり忘れていた。1か所、すごく黄ばんだピースがあって、思い切って、取り換えた。

あとは根気だけ。でもできあがりを楽しみに今年の冬仕事ができた。

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洋服を作る

2024-12-14 09:37:06 | 洋裁

先日、買ってきた3種類の生地でさっそく着るものを作った。まず、白いニットの生地は、インナーにした。幅が広かったので、1.5mで二つできた。えりぐりを変えてみた。

布地は、見ただけではわからないところがある。出来上がりは、まあ満足だったが、着てみると少し、肌触りがいいとは言えない。なんせ、500円で買った生地なので、こんなものかもしれないと思った。

もうひとつの、グレーのシマのニット地で、パジャマの上を作った。ズボンはユニクロで買ったものだ。大好きだった友人から、パジャマの上着だけをもらったのを着ていたが、大きすぎるのと、襟あきが開襟なので寒い。思い切って切って大きなりぼんのアップリケにした。これで、彼女の思い出も残せる。

2階のベランダの干した柿が1か月たって、食べごろになった。

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沖縄へ行ってきた その3

2024-12-06 16:34:45 | 旅行

2日間、息子の家族と会って会食をして別れた後、バスに乗って、”対馬丸記念館”を見に行った。”波の上神宮” の近くの公園の中にある。 なぜか波の上神宮の前には、観光バスが何台も停まっていて、中国系のひとでごったがえしていた。パワースポットらしい。

対馬丸は学童疎開の船で、アメリカの魚雷に沈められた。犠牲者1500人ほどもでた貨物船の名前で、この事故のことは、口外しないように言われていたため、長いこと表沙汰にならなかったらしい。

私も数年前に知った。1944年、戦争がはげしくなるにつれ、足手まといになる子供たちを連れ出すため、食料を確保するため、危険な海域を九州に向かったという。悪石島のあたりでアメリカ船の魚雷に沈められた。近くにいた漁船に助けられたり、流れ着いて奄美大島にたどり着いた人たちもいたが、ほとんどは助からなかった。

そのアメリカ船は、原爆を広島・長崎に投下したエノラ・ゲイとともに博物館に展示してあるらしい。

波の上ビーチという市民ビーチが近くにあって、素晴らしく水がきれいだった。白人の人たちが何人も海に入ったり、砂浜に寝そべったりしていた。日本人で泳いでいる人は見かけなかった。身近にこんなきれいなビーチがあって、在日の白人は太陽と海を満喫しているのに、人目を気にする日本人特有の事情が、楽しむのをためらうんだろうか。

波の上ビーチの隣は公園になっているが、数人のホームレスらしき人たちも見かけた。

公園を通り抜けると、びっくりするほど大きなクルーズ船が止まっているのが見えた。ここにクルーズターミナルがあるのを知った。

先ほど波の上神宮に来ていた観光バスは、このクルーズ船で来た人たちなのかもしれない。このあたりには、孔子廟などもあり、中国と関係の深い地域らしい。

 

最終日は、ホテルをチェックアウトした後、空港にトランクを運んでチェックインの手続きをした。那覇空港はチェックインの手続きも、手荷物の検査もすべて機械で、自らしなければいけなくなっていた。

そんなに戸惑うこともなく手続きが出来て、飛行機は午後の便なので、モノレールで街まで戻り、お昼を食べることにする。小禄で降りて、”うるかそば” をさがして歩いた。

少し遠かったが、探し当て、念願の沖縄そばを食べた。

ここの沖縄そばは、さっぱり系で、肉もほろほろとくずれる柔らかい肉が私好み。

これで、今回の沖縄旅行のしめくくりだった。

 

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