モロッコ最古の王都フェズの街歩き午後の部に入る前に
午前の最後に訪れた2つの大事な場所を書き忘れていたので追記。
ひとつはメディナの中にあるザウィア・ムーレイイドリス廟。
フェズの建設者イドレス2世の墓があり非イスラム教徒は入場できない。
だが外から祈りを捧げる人々を見ることができた。
そしてもうひとつは北アフリカ最大級のカラウィン・モスク。
ここもイスラム教徒以外は入場できないが
入口から垣間見える中庭が美しい。
そうなのだ。モロッコは敬虔なイスラム教の国なのだ。
一日5回のお祈りを欠かさず、施しの精神を片時も忘れず
何ごとも神様が決めたこと…と考えるらしい。
そして昼食休憩のあと
再びくねくね迷路の街歩き再開。
「この先に幼稚園あり」と書いてあるらしい。
日本ではあり得ないような乳製品の売られ方だったり
陶板に文字や模様を刻んで見せる実演販売だったり
店の軒先に大きなお肉がぶら下がっていたり…と
行く先々で物珍しい光景に出会うたびに驚きながらの街歩き。
午後最初に訪れたのは、ブ・イナニア・ネドレセという神学校。
アトラス杉でできた重厚かつ繊細な木彫りの門が有名だそうだ。
窓には偶像崇拝禁止のイスラム教の建物らしく
幾何学模様の美しいステンドグラスが施されていたり
大理石の壁はアラビア語の文字やモザイクタイルで飾られていたり
入口のアーチにはこんなに細かな彫刻が施されていたりして
人間ってすごいな…と素直に心から感動した。
カラフルな道沿いの壁を通り抜けながら次に向かった先は
この街にある一般家庭のお宅でミントティーのおもてなし。
モロッコのミントティーは独特で、ミントの葉にお茶を注ぎ
たっぷり砂糖を入れていただくのでかなり甘い。
このお宅のご主人はとてもサービス精神旺盛で
私たちを楽しませるために様々な楽器を演奏してくれた。
それとは対称的にとても恥ずかしがりやの奥さま。
疲れてホッとひと息、ソファーでくつろぐガイドのマイタさん。
それにしても豪華な家具や調度品だこと!
このお宅が普通なのか、お金持ちなのかわからないが
猥雑な路地の奥にこんなに素敵な室内空間が広がっているとは
中に入るまでは全く想像できなかった。
まだ明るい夕方にカフェでゆっくり寛いでいる人々を見ていると
国の豊かさや人の幸せって何だろう…とふと考えてしまう。
絶対に日本人は働き過ぎだと思う。
街歩きの最後はフェズ・エル・バリの入口、ブージュルード門。
9世紀から21世紀まで、どれだけ多くの人々がこの門をくぐったことだろう。
まさにこの門は、その長い歴史の生き証人と言えよう。
門を出たところで懐かしい光景に出会った。
私が子どもだった頃の日本でよく見かけた靴磨きのオジサンだ。
今ではすっかり見かけなくなってしまったが
異国で顔見知りの人に出会ったような、何だかホッと温かい気持ちになった。
こうしてフェズの街を丸一日かけてたっぷりと回ってきたわけだが
私にとってこの街はいろんな意味で刺激的な街だった。
一つには、この街のあらゆるところで感じた
古さと新しさ、貧しさと豊かさ、汚さと美しさ、暗さと明るさ
大胆さと繊細さ、猥雑さと静謐さ、そしていかがわしさと誠実さ…。
こうした両極の価値観が、まるで光と影のように共存し
極めて強烈なコントラストを放ちながら
混然一体の世界観を創り出していることへの驚き。
そして少なからず感じた戸惑い、矛盾。
これは私にとって刺激的だった。
しかしこの街の人々は
そうしたギャップや矛盾などものともせず
いや、感じているふうでももなく
明るく笑いながら日々を送っているように見える。
この逞しさやエネルギー溢れるパワーはどこから来るのか…。
こうした人々のタフな精神力と柔軟な対応力
そして清濁併せ呑む懐の深さに、さらなる刺激を受けた。
そして最も大きい刺激は何と言っても
この街の風景や人々の光景から受けた様々な刺激だ。
今まで見たこともない景色や人、もの、色彩、形、大きさ。
聞き覚えのない生活音や珍しい音色、雑踏の騒音。
あのなめし皮の何とも言えない強烈な臭いや花の香しい匂い。
ミントティーの甘ったるい味や美味しい料理の味。
そして、陶器やシルクの手触り、肌で感じる空気感など…。
今もなおその時の感覚がリアルに甦ってくる。
それはおそらく
こうした初めての出会いがもたらす刺激によって
それまで私の奥深く眠っていた様々な原始的な感覚が呼び覚まされ
五感を総動員して刺激を受けとめようとしたからだろう。
これまでの旅日記で見つけた
何を求めてモロッコへ?…の3つの答え。
1.絵葉書にならない風景を見るため。
2.来て、見て、聞いて、初めてわかることを知るため。
3.絵葉書の景色を実感するため。
これに、ここフェズで見つけたこの答えを加えたい。
4.様々な体験から刺激を受け、感覚を呼び覚ますため。
続きはまた。