最近、図書館で借りて、『蘇我氏の研究』(客野宮治)を読みました。
古代史的には、どの時代でも謎だらけですが、蘇我氏の存在感は断トツです。
この本は、著者はお医者さんだそうで、本業の傍らの研究なのでしょうが、私はなるほどと思えました。
昔から、蘇我氏の系図や名前に、違和感を覚えていましたので、この方の言う通りなら納得できると思ったのです。
ずばり結論から申し上げると、『日本書紀』や『古事記』は勝者の歴史書なので、書きたくないことは書いてないという話です。
それでも、それらの本を丹念に読むと、真実が見えてくるというのです。
そういった話は、これまでにも読みましたが、いまいち納得はできなかった私にとって、この本の言うことは、画期的でもあり、感心もさせられました。
突然、登場した蘇我稲目大臣は、天皇家に娘を嫁がせていますが、生まれた皇子たちは、天皇になっています。
これは不思議なことなのですが、この本の言うように、稲目が天皇の子だったら、何の不思議もありません。
継体天皇が大和入りする以前から、福井から連れてきた安閑天皇は子どもがいないと書かれていますが、どうやら、その皇子で臣下に下って大臣になったらしいとのことです。
今までの疑問が氷解するような気分になって、うれしいことです。
稲目の子は、馬子、孫は蝦夷、ひ孫は、入鹿です。
入鹿とか、蝦夷とかの名前も、絶対におかしいと思っていますが、倒された一族なので永遠に謎のままですね。
入鹿つながりで、以前から愛読している漫画『天智と天武』(中村真理子・園村昌弘)について、おおっと思ったことがあります。
天智と天武は、皇極天皇の皇子で、父親も同じ舒明天皇と伝わっていますが、天武天皇の生年を書いてない不自然さから、いろいろな説が出回っています。
それで、この漫画では、舒明天皇がなくなった後、皇極天皇と蘇我入鹿が愛人関係になって、天武天皇が生まれたことになっていました。
これも、なるほどと思えました。
天武天皇は、兄の天智天皇の娘4人を嫁にもらっているわけだから、兄より大層若いということに納得できます。
『日本書紀』だかに、皇極天皇の御世になって、フクロウが蘇我蝦夷の倉に卵を産んだという記述があるらしくて、それが、天武天皇の生まれを暗示しているのではないかと思います。
どなたかの研究で、鳥の記述からいろんな史実がわかるというのがありました。
今回読んだ蘇我氏が皇孫だったら、天武天皇が壬申の乱を制圧できたのも納得がいきます。
でも、歴史は正しい方へ常に舵切りしながら進んでいってくれているのでしょうか。
勝者の都合の良い方へと、流れていくものでしょうか。
昭和から平成、そして新しい御世へと、軌道修正がなされるように願ってやみません。
何が正しいのかなんて、後世から常に歴史に学んでいかなければなりません。
書いてる私も、今のところ、平成から軌道修正がなされたほうがいいんじゃないかと思う気持ちの方が強いのですが、こればかりは答えはわかりません。
古代史的には、どの時代でも謎だらけですが、蘇我氏の存在感は断トツです。
この本は、著者はお医者さんだそうで、本業の傍らの研究なのでしょうが、私はなるほどと思えました。
昔から、蘇我氏の系図や名前に、違和感を覚えていましたので、この方の言う通りなら納得できると思ったのです。
ずばり結論から申し上げると、『日本書紀』や『古事記』は勝者の歴史書なので、書きたくないことは書いてないという話です。
それでも、それらの本を丹念に読むと、真実が見えてくるというのです。
そういった話は、これまでにも読みましたが、いまいち納得はできなかった私にとって、この本の言うことは、画期的でもあり、感心もさせられました。
突然、登場した蘇我稲目大臣は、天皇家に娘を嫁がせていますが、生まれた皇子たちは、天皇になっています。
これは不思議なことなのですが、この本の言うように、稲目が天皇の子だったら、何の不思議もありません。
継体天皇が大和入りする以前から、福井から連れてきた安閑天皇は子どもがいないと書かれていますが、どうやら、その皇子で臣下に下って大臣になったらしいとのことです。
今までの疑問が氷解するような気分になって、うれしいことです。
稲目の子は、馬子、孫は蝦夷、ひ孫は、入鹿です。
入鹿とか、蝦夷とかの名前も、絶対におかしいと思っていますが、倒された一族なので永遠に謎のままですね。
入鹿つながりで、以前から愛読している漫画『天智と天武』(中村真理子・園村昌弘)について、おおっと思ったことがあります。
天智と天武は、皇極天皇の皇子で、父親も同じ舒明天皇と伝わっていますが、天武天皇の生年を書いてない不自然さから、いろいろな説が出回っています。
それで、この漫画では、舒明天皇がなくなった後、皇極天皇と蘇我入鹿が愛人関係になって、天武天皇が生まれたことになっていました。
これも、なるほどと思えました。
天武天皇は、兄の天智天皇の娘4人を嫁にもらっているわけだから、兄より大層若いということに納得できます。
『日本書紀』だかに、皇極天皇の御世になって、フクロウが蘇我蝦夷の倉に卵を産んだという記述があるらしくて、それが、天武天皇の生まれを暗示しているのではないかと思います。
どなたかの研究で、鳥の記述からいろんな史実がわかるというのがありました。
今回読んだ蘇我氏が皇孫だったら、天武天皇が壬申の乱を制圧できたのも納得がいきます。
でも、歴史は正しい方へ常に舵切りしながら進んでいってくれているのでしょうか。
勝者の都合の良い方へと、流れていくものでしょうか。
昭和から平成、そして新しい御世へと、軌道修正がなされるように願ってやみません。
何が正しいのかなんて、後世から常に歴史に学んでいかなければなりません。
書いてる私も、今のところ、平成から軌道修正がなされたほうがいいんじゃないかと思う気持ちの方が強いのですが、こればかりは答えはわかりません。