絵合わせ日記

日常の暮らしで、あったこと、思ったこと書きとめています…ただ今、ペットは猫と金魚です。

銅鐸不思議

2019-02-07 11:40:19 | 雑感
昨日放送の歴史ヒストリアを録画で見ました。

銅鐸って、私見ながら、正倉院宝物にもないと思うし、『日本書紀』にも書かれてないと思うのですが。

弥生時代、前4世紀から紀元後2世紀までに現れたとのことです。

奈良県の纏向遺跡などでは、破壊された形で出土しているのです。

番組を見て、おおっと思ったのは、銅鐸の鳴らし方と、銅鐸の絵が、水田稲作の四季についてだろうというところです。

昔、子どもが幼稚園の頃、橿原考古学研究所附属博物館に連れて行って、鳴らすための模造品の銅鐸を、館内中に響き渡る音で叩いて鳴らされたことが思い出されます。

ちょっとと思いましたが、昨日の番組のように、ひもの結び方や、取り付け方が工夫されて鳴らされていたかもしれないと思うと、胸アツになりました。

研究が進んでよかったなと、淡路島の松帆銅鐸に感謝したいですね。

水田用の祭祀なら、鳴らしていた実用的な頃は、夏から秋にかけての雀追いのためですかね。

水田中に網でもかけないことには、雀が弥生時代にいたら、稲の花から穂まで食べて大変な被害をこうむります。

雀を追うのは、人間が出向いて、暇とこんでやっていたのでしょうか。

やはり、銅鐸は、祭祀用かしら。


ところで、番組の中で、唐突に、卑弥呼が纏向や、伊勢遺跡にいたかのように言われたのには、引っ掛かりを覚えました。

いたかもしれないし、いなかったかもしれないし、本当のところはどうなのでしょう。

大和入りしたのは、神武天皇だから、卑弥呼は、それ以前に大和にいたのか、神武天皇がいた九州にいたのでしょうか。


それから、番組の中に、出雲に大量銅鐸が出土したことが取り上げられてなかったのは、残念でした。

「壊せ」といった命令が、纏向とか中心地の時にあったと思うので、出雲では、壊しがたくて大事に埋めたのだろうなと思います。

淡路島のもそうだったのでしょう。


ああでもない、こうでもないと歴史は、つきないロマンがあります。

ただ、親の趣味で、幼稚園、小学校と博物館に何度も足を運びましたが、子どもは、考古学には全然興味がなくてちょっとちょっと期待外れです。

まあ、子どもの人生ですから、いつか興味がわいてくるのか知れないし、いいかと思います。

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