私たちが生活する上で、漢字には本当にお世話になっています。
こうして文を書く作業でも、新聞を読むのにも、回覧板を見るときでも、漢字は必須です。
でも、漢字だけではなくて、和語というのか大和言葉があって、素直にうれしいなと思います。
姓名だけでも、大部分の人は、和語で名前を付けていると思います。
それが昔からの伝統なので、よくぞここまで守ってきているなと感心します。
漢字を使いこなしているという自負がわいてきます。
中国以外にも漢字を歴史上使っていた国はあったと思うのですが、現在は、中国、台湾以外では、日本ぐらいですか。
戦後、よくなくさなくてよかったと思います。
ひらがな、カタカナだけでは、文は読みにくいし、ローマ字を使うのみになっていたりしたら、文章を読み書きするのにかなり困難をきたしたと思うのです。
パソコンを使う現代、ローマ字入力まで普通にこなしていますけれど。
ところで、常々不思議に思っていることがあります。
紙や箸は、中国から伝わったと聞いていますが、音読みのシやチョではなく、大和言葉の訓読みのかみやはしで使っています。
これは伝わったときに、すでにそのものがあって、かみやはしと呼んでいたからでしょうか。
それとも、伝わったときに、紙や箸は、かみやはしという音でそのものと伝えられたのでしょうか。
さあ、どちらと思うわけです。
使っていたんじゃないのかなと思うんですよね。
かみやはしという言葉が、先に使われていたと思うのですが。
その言葉で伝えられたという考えも捨てがたいです。
物がなければ、漢字の音読みだけで現代に伝わると思うのです。
箸と言えば、匙も不思議な言葉です。
訓読みでさじだと、思うのですが、こちらは、今すぐには、音読みが出てきません。
浅はかな考え方かもしれませんが、言葉から、色々思いを巡らすのは、面白いです。
こうして文を書く作業でも、新聞を読むのにも、回覧板を見るときでも、漢字は必須です。
でも、漢字だけではなくて、和語というのか大和言葉があって、素直にうれしいなと思います。
姓名だけでも、大部分の人は、和語で名前を付けていると思います。
それが昔からの伝統なので、よくぞここまで守ってきているなと感心します。
漢字を使いこなしているという自負がわいてきます。
中国以外にも漢字を歴史上使っていた国はあったと思うのですが、現在は、中国、台湾以外では、日本ぐらいですか。
戦後、よくなくさなくてよかったと思います。
ひらがな、カタカナだけでは、文は読みにくいし、ローマ字を使うのみになっていたりしたら、文章を読み書きするのにかなり困難をきたしたと思うのです。
パソコンを使う現代、ローマ字入力まで普通にこなしていますけれど。
ところで、常々不思議に思っていることがあります。
紙や箸は、中国から伝わったと聞いていますが、音読みのシやチョではなく、大和言葉の訓読みのかみやはしで使っています。
これは伝わったときに、すでにそのものがあって、かみやはしと呼んでいたからでしょうか。
それとも、伝わったときに、紙や箸は、かみやはしという音でそのものと伝えられたのでしょうか。
さあ、どちらと思うわけです。
使っていたんじゃないのかなと思うんですよね。
かみやはしという言葉が、先に使われていたと思うのですが。
その言葉で伝えられたという考えも捨てがたいです。
物がなければ、漢字の音読みだけで現代に伝わると思うのです。
箸と言えば、匙も不思議な言葉です。
訓読みでさじだと、思うのですが、こちらは、今すぐには、音読みが出てきません。
浅はかな考え方かもしれませんが、言葉から、色々思いを巡らすのは、面白いです。