晴れのち曇りのち晴れ。午前7時半18℃。娘が昨夜来て泊まった。京都の叔父の来阪と日原墓参の日程を立ててくれている。着駅ホームや乗り換えホームへの写真付きガイドまでつけて。サンキュー。あさ。わが家から出勤。
きょうは10月10日。10月12日の芭蕉忌が近い。といっても陰暦の話なので季節感は異なる。津雲台のスーパーへ買い物に出たついでに千里南公園の芭蕉句碑を見る(写真)。きれいに草刈りされて「婦る池や蛙飛込む水の於と/はせを」と読める句が浮かぶ.新潮古典文学アルバムに載っている柿衛文庫蔵の発句短冊写真にそっくりの文字。芭蕉は「古池」をなぜ「婦る池」と書いたんやろろ?
この池も古池(写真)。千里丘陵地の昔溜池。いまは鯉釣り池。蛙はいない。筏で葦や木を育てている。「木が斜めになってるねえ」「筏の木って珍しいね」「大きな鯉が岸まで来てたのに水が減って来んね。ぼくはそれ見るのが楽しみやのに」(写真)。散策老人と古池談笑。
芭蕉研究の権威井本農一さんは著書「芭蕉―その人生と芸術」で「古池や」句を「高雅隠逸の詩境」の句と評されているがそういう日本の風景はもう見当たらない。芭蕉自身、俳諧を遊芸から文芸へ詩興を絶えず自己改革し、唐詩に学び、風雅から人生を詠う句作に道を拓いた。
その象徴は、「猿を聞旅人捨子に秋の風いかに」(甲子吟行)。旅中、芭蕉は捨て子に食べ物を与えて立ち去った心の内を句に。
「狂句 こがらしの身は竹齋に似たる哉」は、私は滑稽小説の主人公「竹齋」みたいなもんだっせという挨拶句で名古屋近在の俳人たちに自己の生き方を表白した。
風狂にわれまた生きん翁忌来 昇龍子