ノーやん日記パート2

「ヒロシマのおとうさん」と「おこりじぞう」

 曇りのち晴れ。あさ、「異邦人は君ヶ代丸に乗って」の続きを読む。済州島・大阪間の連絡船で何万という人が貧しい島から出稼ぎなどで大阪へ渡航したという。だが、その居住や生活実態は劣悪を極めた。言語の障害もあり日本人からのひどい差別に抗しての毎日だった。「税金のことなら朝鮮人商工会へ!」への立て看板写真がその一端を物語る。
 食パンなど買い物がてら千里図書館へ。予約した「絵本 ヒロシマのお父さん/ヒロシマの心を子どもたちに」(高橋昭博・文/四国五郎・絵)と「絵本 おこりじぞう」(山口勇子原作/沼田曜一・語り/四国五郎・絵)(写真)と「新修 豊中市史 通史一」を借りる。「悪魔の兵器」を“われらの核兵器はー”などと胸張るG7ヒロシマビジョンを狂発信した岸田首相ら面々にもぜひ読み聞かせしたい本。
 「新修 豊中市史 通史一」は、地域別の生活史も分かるように編集されているよう。わが上新田についていえば、まちの有力者たちの伝承による聞き語り資料と同じ話(奥野慶治「新田温故録」)が載っている(昨日が愚老の誤記だった)。例えば頼山陽が上洛中、上新田・山口家の酒屋立ち寄り伝承説は、本書でも薬酒醸造山田家(現在の山口家)の「歳寒堂」を訪ねたという逸話として記述されている。
 早とちりせずニュートラルで考えねば(誤記をお詫びします)。おひるは、讃岐のきつねうどん。粟や稗の食生活をしていた済州島の人が大阪の「うどんがうまい」と語っていたという挿話に刺激されて。京の揚げを炊いて。ゆんべのブロッコリー・ソーセージ炒めものせて。
 おじぞうの涙のしずく広島忌 昇龍子
 
 
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