曇りのち俄か雨のち曇り。町内を徘徊中突然の激しい雨(写真)。さいわい、ビニ傘携行中で濡れずにすんだ。きょうは父の30年目の命日。あの日も葬儀中土砂降りの雨で出棺のときすかっと上がった。岡崎の姉が「これ、おじいちゃんの人徳のおかげや」とかなんとかつぶやいたのを覚えている。お昼は讃岐のざるうどん。薬味はネギとショウガとゴマ。副菜に炊いた小松菜とエリンギ・ベーコン炒め。デザートにぶどう。
緑化リーダー会のMさんから千里局花壇の秋花壇植え付け作業日程の連絡をいただく。来春の春花壇のデザインもカタログ写真を付けて用意してくださるという。たのしみや。
きょうは1950年の朝鮮戦争勃発の日でもある。小中学生のころだった。米軍占領下の日本は最前線基地となり特需景気にウハウハしていた。カネヘンとかイトヘンとか戦争はもうかるという大人の話に強い抵抗感を抱いていた。名古屋市瑞穂区内方町の実家の向かいの家が朝鮮人だった。ときどき、鐘を鳴らしながら近隣の在日が民族衣装の円陣をつくって踊る姿を覗き見た。あれからもう70年か。
南北同じ民族。日本と縁は深い。和平と統一への思いはどちらも強いはずだが、ときに激しい対立感情を表すのはなんでかな。隣国日本はなぜ、戦争終結・和平と南北統一へ動こうとしないのかな。日本がアメリカ言いなりだからか。
父逝きし30年の驟雨くる 昇龍子