晴れ。あさ、町内の秋耕田の畝になにやら一列、二列、疎らまきごとに発芽していた(写真)。大根か白菜か青菜か?
わが長屋裏ではシラカシが小粒の実をつけていた。千里南公園のアラカシも。ともに常緑でブナ科(写真)。生態観察同好会でしばしば宿題に出る植物。違いは葉形と樹皮のいろかな。
お昼は、即席のパスタ・ペペロンチーノ。しょっぱかった。南千里のフードショップで4コ499円のトマトと3尾299円の味醂漬けアジのひらきを買う。
きょうは陰暦と異なる10月12日だが芭蕉忌とされるのでそれに倣って雑感。芭蕉は1694年(元禄7年)10月12日午後4時ごろ、「南の御堂の前静かなる方」(各務支考)で門人に看取られて51歳の生涯を閉じた。いまも御堂筋や南御堂にもその標や石碑がある。
芭蕉は何しに大坂へ来たのか、来て何をしたのか、そしてどうなったんか、愚老はそれを知りたくて21年ほど前、支考ら付き人や芭蕉の日記などを手掛かりに来坂した芭蕉の足跡を追っかけた。その一部は「大阪民主新報」の「大阪の芭蕉を訪ねて」(2002年10月~)に掲載していただいた。
芭蕉は門人間の不和を俳諧の場で解消しようとしたのに果たせずその前にわが身が病に没してしまった。人生フィナーレへのその無念の思いが「此の秋は」句や「旅に病んで」句などに表白されたのではないか。
人はみな悩むことあり芭蕉の忌 昇龍子」