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ノーやん日記パート2

お盆の帰省旅


 曇り。午前中、診療所へ定期検診。血圧上104下60。「ちょっと低いですね。体調は?」「ここ2,3日外を出歩いていて冷房の効いた建物に出たり入ったり。喉の調子が変です」。「水分を小まめにとるといいですよ」。お昼は納豆ぶっかけ素麺。午睡。夕方雨。16日~18日の日記を以下に記す。  

 16日は晴れ。妻の末弟が家を継いでいる島根の実家にお盆がえり。台風10号の進路だったが影響なしだった。山間を走る高速バスの車窓から高津川と人家や田畑の様子を眺めた。川は清流のまま。田の稲穂も倒れず生育していた。道路もまちもいつも通りの様子。実家の仏間には亡き父母・兄弟らの写真が額に飾られ人気のない仏壇に回り灯籠が回っていた。線香を焚いてお参りした。お昼は甥っ子が釣った鮎の塩焼きと素麺をいただいた。家の裏山には母が植えたというキウイが鈴なり、表の畑には西条柿が生り放題だった。どこの家も現役世代や継ぎ手がいない。葬式など昔は集落が共同して賄いごとをしたものだがいまは老人ばかり。そういう風習は廃れた。替わって猿やイノシシが出没し田や畑を荒らす。熊の出る村もあるという。荒む村。妻は、昔ぞろぞろと通った学校への通学路を懐かしんだ。山林など資源を生かしてまちを蘇らせる道はないものか。津和野の街並み(写真上)と妻の母校を見て回る。広島までバックしてホテルで一泊。 台風の去りし山村鷺一羽 昇龍子

 17日晴れ。広島のホテルから高速船で宮島へ渡り世界遺産厳島神社(写真中)を見物。外人客も多くすごい繁盛ぶりだった。半ば観光商業施設やなあ。呉で戦艦大和の引き上げ品を展示した「海底に眠る軍艦」を見る。世界一の戦艦大和とは。太平洋戦争末期にあいついで撃沈した戦艦の歴史を知ろうとしたがむつかしかった。竹原港からフェリーで大崎上島に渡り「きのえ温泉ホテル清流」泊。露天風呂につかりながら四国愛媛の島々を眺める(写真下)。人々が生業をもつ島。鶴姫伝説の残る島の歴史に想いを馳せる。湯上りの会席料理に生き返る思いがした。なだらかな瀬戸内巡る船の旅 昇龍子

 18日晴れ。フェリーで竹原港に戻り、竹原のまちなみ保存地区をそぞろ歩く。頼山陽の祖父が営んでいたという紺屋の町屋をはじめ竹原塩田の一番浜地に建てられたという森川八郎邸など見学。呉線で西条へ行き、酒蔵巡りをする。酒に使う湧水が道路脇に出ていた。媼が湧水をペットボトルに汲んでいた。夕刻、広島から新幹線で帰阪。娘が全部旅程を立てガイドしてくれた。お疲れさん。酒の水汲み終え媼口漱ぐ 昇龍子
       竜宮をいでし心地ぞ盆終わる 昇龍子
          
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