limited express NANKI-1号の独り言

折々の話題や国内外の出来事・自身の過去について、語り綴ります。
たまに、写真も掲載中。本日、天気晴朗ナレドモ波高シ

ミスター DB ㉗

2018年07月25日 12時03分53秒 | 日記
「カンファレンスです。会議室へご案内します。」
研修医が病室を訪れ、私を会議室へ案内する。今日は火曜日だから、大学病院の「外来」は「休診」である。この日は、精神科の医師・研修医・看護師・精神医学講座の学生が参加する「カンファレンス(症例検討会)」が朝から開かれている。
大学病院と言えば、ドラマではお馴染みの「教授回診」を思い起こされる方も多いと思うが、精神科の場合は「個別回診」が原則である。患者一人一人の「症例」が違う上に発症した「原因」も様々。大っぴらに病室で話など出来ないし、個人の情報が知れ渡ってしまうのはご法度なのだ。故に、休診日を設けて1日かけて個々の患者と向き合うのである。
まず、担当医が患者の症状や経過を出席者の前で報告、主治医の見解を聞き取った上で、患者本人が会議室に呼ばれる。やり取りは助教授の質問に答えるというものだ。応対が終わったら、出席者全員で情報共有をし、今後の治療方針が決定される。看護師はケアの方針を決めるし、担当医には面談や回診の指示がなされる。ただ、入院患者全員を対象とするには時間が足りない。大体、呼ばれるのは2週間毎である。でも、私の場合「不良入院患者」のレッテルが付けられていたせいなのかは知らないが、入院初期・中期では毎週呼び出されたものだ。毎回聞かれる事は決まっているので、機械的な応対でも問題は無いし、お小言や苦言を呈される事もない。しかし、時間に拘束されるので呼び出されるまでは病室で待機していなくてはならない。朝の検温の時に「午前10時半くらい」と予告はあるのだが、大概の場合遅延するのが常だ。まだHさんが担当の頃は「今日のカンファレンス、覚悟して行くのよ!この間の事で何か聞かれたら上手く逃げてよ」と耳打ちされたものだ。Mさんになってからは「しっかり怒られて来なさい!!」に替わったが・・・、怒られたことは無かったと思う。逆に私が「ブチ切れた」事はあるが。
何故、「ブチ切れた」かと言うと、後から私の病室へ入室して来た老人が決まって「午前4時になると明かりを着けて、ゴソゴソと動き出す」と言う迷惑極まりない患者だったからである。病棟の規則では「起床午前7時」であるので、午前4時ならば明かりを着けるのは勿論、動き回るのも禁止だ。どうやら、この迷惑老人は「時間の概念」が崩壊していたらしく、勝手気ままに振る舞う傾向が強かった。同室の他の患者さんからも「おかしくない?迷惑千万!」と不満の声が上がるのは当然で、担当医やMさんにも「厳重抗議」をしてはいたのだが、迷惑老人の暴走を抑えることは出来なかった。そこで、直近の「カンファレンス」の席で迷惑老人の「所業」を話して「非常に不愉快だし、迷惑極まりない」と半分怒りを込めて言い放ったのだ。助教授は勿論、出席者全員がざわめいたのは言うまでもない。感情を露わにしたのは初めてだったし「意外過ぎる反応」が患者から発せられたのだから「ただ事ではない」と察したのだろう。その日の午後には、迷惑老人は「鍵付きの個室」へ引っ越しさせられていったし、翌日には教授自ら「どうです?安心して眠れましたか?」と病室へ訪ねて来た。異例の対応ではあったが、教授御自らのご出馬とあれば文句の付けようもない。「ありがとうございます」と深々と頭を下げた次第。
さて、私がこうして病棟での「問題」を解決していた頃、遠くベトナムへ「遠流」されていたDBが、横浜へ戻っていた。次なる任務は「倉庫番」と言うか「入出庫管理」を命ぜられ、横浜の倉庫へ潜り込んでいた。暖房も冷房もないプレハブの事務所で、苦手のパソコンを相手に格闘を繰り広げていたのである。バーコードリーダーを片手に広大な倉庫から「出庫」する部品をピッキングして発送、ベンダーからの部品の受け入れ処理と保管。普通にパソコンやバーコードリーダーなどの携帯機器が使える人なら「苦も無く」やりおうせる事だが、DBには「かなり難しい」任務だった様だ。入出庫台帳と在庫数が合わないのは「日常茶飯事」でデータークラシュも度々起こしていたらしい。台帳と実数を突き合わせての「整合性」の確保やクラッシュさせたデーターの復旧の為に連日深夜までパソコンと格闘している内に、睡眠不足と脱水症状でダウンすることも頻繁にあったらしい。DBは「配置換え」を懇願したようだが、Y副社長が認める事はなかった。頑なにDBを叱咤し続けたようだ。かつて、私がDBにやられた事を「そっくりそのまま倍返し」にされたのである。DBは「国外へ赴任させられてもいい」と譲歩したそうだが、Y副社長は黙殺し続けた。「部下に対してやった仕打ちをそっくりそのまま受けるがいい」と言わんばかりだったそうである。深夜、疲れて風呂にも入らないまま横臥するので、DBの身体からは絶えず「異臭」が漂い「ドブ親父」と呼ばれ、誰も近づく事は必要な時以外はしなかったそうである。そこまで「貶められても」会社にしがみついたのは、ひとえに「復讐の機会」を伺っていたからだ。恐るべき執念である。やがて、社内の風向きが変わり始め、DBも「定年」へのカウントダウンが近づくのだが、ヤツの「異様な執念の灯」は消えることなく灯り続け、悪夢の「復活劇」へと繋がっていくのである。