なかよく

2004年06月12日 | 記してみました
今日は絵に書いたようなフキゲン

でも晴れたからお洗濯はしました。
相変わらず奥様はお仕事です。
放置されています

掃除機は嫌になったのでかけてません
奥様が「汚い」と言っていますが
当たり前です。誰も掃除してないもん

今日の夕御飯は奥様作
ゴマとオクラのマグロヅケ丼
モヤシとワカメのみそする

たまに人の味付けで食べると美味しい

67.4/23.5/40/50/40
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みえないトコロも

2004年06月12日 | 聞いてみました
見えていない部分を気遣うのが女性のたしなみ。

と聞いて育った気がするんですけど、
実例にそのように教育されたように見受けられる
女性に出会った事がありません。僕の気のせいでしょうか?

先週の朝日新聞だったかな?
男性が女性の審美眼を持っていなくて良かった
という趣旨のコラムがありました。

筆者は女性で
夏になると女性たちが冬の寒さに隠していた部分を
世の中に晒すようになる。
男性は見えない部分が見えると言う事で、
女性の薄着を単純に歓迎しているようだが
女性から見ると、夏の女性は綺麗ではない。
処理をし忘れた部分や見苦しい部分は
隠しておいた方が女性としては愛らしい。
男性が女性の審美眼を持っていたら
女性としてはいかに生きにくい世の中であったか。

という意味合いの事を書いていました。
(例によって内容もウロ覚えでスマヌ)

ワタクシも男性ですから女性の薄着は単純に嬉しいです。
が、審美感覚が女性よりなのか、単に口うるさいだけなのか
このコラムニストの意見に賛同する部分も大きいです。
出来ればツルリンとした手足を見せ付けて欲しいし、
おセナも綺麗にしてあった方が安心できます。
女子高生が大股開きで座っているのも嬉しくないし、
ヒップハングのパンツからストッキングが覗いているのは
「がくぅ」と音がするほどのガッカリ感があります。
というか、眉をひそめてしまいます。

30も過ぎれば女性が美しくなるために
どれだけの努力を必要としているかは知っているので
単純に「みづくろいをキチンと」と言うのも
敵を作るだけだというのは判っていますが
世の婦女子には、男子のドリームを出来る限り
尊重していただきたい。与し易いカワイイやつらだと思って
そんな奴等のために、ますます自分を磨いていただきたい。

で、ここからが本題なのです。
相変わらず前振りが長くてすいません。
夏は薄着の季節なのですが、それでも見えない部分って
あるじゃないですか?
数年前にキャミソールをアウターとして着用する事が
市民権を得てから、隠れている部分の面積は
確実に減りましたが、それでもやっぱりヒミツの部分が
あるわけで、ソコはどうなってるの?と婦女子に問いたい。

パンツブラはお揃いなの?

それが見えない部分であったとしても男子としては
やっぱりオソロイであって欲しいわけで、
というか、剥くとか剥かないとか
脱ぐとか脱がされるとかにかかわらず
勝負をかけておいて欲しいわけですよ
ゼヒ大多数の女子にYesで回答していただきたい
質問の一つであるわけですよ。
男子ドリームとしては。ドリームを追い求める性としてはっ。

実際どんなカンジなんすかね?

・普通おそろいでしょ?
・普通バラバラでしょ?
・勝負時のみオソロイです。
・気が向いたらオソロイ
・ローテーションの偶然の一致
・気が向く予定が無い

ちなみに奥様に訴える度に、オソロイであることの
無益さを逆に説かれます。力説されます。……はふぅん。

風流ってそういうものじゃないだろう!(論点ずれてきた
ウナギの蒲焼には山椒でしょ?無くても全然平気だけど
無いと寂しいでしょ?そういうモノだよ。(例えが不明

まぁ、自分はどうなんだ、というのはおいといて。
ほら、アレだ、なんというかスネ毛ツルツルの男子って
気持ち悪いでしょ?(と論点をずらす
とりえあず、も少し筋肉付けてから走りこみます。
スンマセン。反省してます。

で、実際のトコロどうなの?

Peaky Speaky:見せていいブラにトラックバック
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ささらさや(幻冬舎文庫)加納朋子

2004年06月12日 | 読んでみました
「パパ」

ささらさや(幻冬舎文庫)加納朋子

事故死した夫が成仏出来ずに幽霊となって
奥さんと子どもを見守り続け、
不思議な事件を解決するために、少しだけ顔を出す。
そういう表現をすると、身も蓋もなくチープな物語なのですが
この物語の良さはそこではないのです。
ミステリという分類すら不要な気がします。

死してもなお愛する人を守る、というシチュエーションは
「ゴースト」を思い出させますが、ボクはむしろ「黄泉がえり」を
思い出してしまいました。なんででしょうね?切なさでしょうか?

天涯孤独で頼りなさげな未亡人「さや」と、
赤ん坊「ゆうぼう」を中心に「ささら」という土地で
物語は進んでいきます。

そしてその中で「ゆうぼう」の少しずつの成長と
「さや」の共に周りに支えられながら成長して行く様子が
短編のカタチで、一話ずつ語られていきます。

個性的な登場人物たちが、一人ずつそれぞれの事情を抱え
ちょっとした不思議なエピソードと共に「さや」の前に現れ
ご近所さんとして見守っていきます。
この物語は、さやの視線で語られているのですが、
多くの読者は、さやを見守る登場人物たちの視点で
さやを見つめているのではないでしょうか?

最初から最後まで、ほんわりとした幸せな気分と、
いつか来る終わりの予感とで、切ない気分も感じながら
一気に読み終わりました。
最後は電車の中で、泣きそうになっちゃいました。

加納さんの小説は「ななつのこ」を以前に購入していたのですが
積ん読のままでした。何を感じて購入したのかも忘れたのですが
その感覚は間違っていなかった、という気分と
今まで読まなくてスマンという気分で「魔法飛行」まで
追加で購入してしまいました。

あ、ちなみに「魔法飛行」の帯の
『(どうです、ちょっと興味を惹かれるでしょう?)』
というセリフは蛇足というか、脱力感を誘って
購入意欲を無くすのでやめて欲しかったです。
とにかく読もう。楽しみ楽しみ。

やさしい気分になりたい時に、ちょっぴり寂しい気分の時に
登場人物たちと一緒にさやを見守りつつ
さやと一緒にゆうぼうを見守りつつ
少しずつ成長する強さに癒されてみてください。
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