そんなコンナなで倒れ続行中
日本人って無宗教というか、
生活の中に宗教が根付いていないというか
宗教を基本として生活をしている人は少数派というか
そんな民族だなって感じてます。
なので、宗教を根っこにした戦争に対して
イマイチ共感できないっていうか、
「そっか~、そんなに大事なモノなんか~」
という茫洋とした感想しか持てない自分に
世界レベルのバランス感覚が欠けているのでは
なかろうかと、ちょと不安を覚えたりもします。
あと、中国と韓国の国策としての反日というよりは
嫌日感情の煽り方も、システムとしては理解できるけど
問題点が具体的ではないままに、
感情を暴走させることが出来るのは何故なんだろう?
と、これまた根本的には理解しがたい感が
拭えません。もちろん、アチラの言い分を
全く理解できないわけではないのですが…
まぁそんな、宗教戦争にもあまり縁が無く、
ナショナリズムといえばスポーツの時にしか
発揮されない、太平楽な国の一員として生活しています。
あ、ほんでね、何がいいたいかっていうと
こないだ「恵方巻」を食べたんですよ。
2月3日の節分に。
ていうか節分ってなんだか判らないままに
豆まきをして鬼を祓い、福を呼び込み
豆を食い、恵方巻を食べているんですよ。
正月には、神社にお参りをし、
2がつの節分限定で豆をまき
桃の節句には女の子の幸せを祝い
バレンタインデーと称して愛を語り
端午の節句ならぬ子供の日には子供の成長を祝い
クリスマスにはケーキを食し
さまざまな神様の前で愛を誓い
還暦、古希、喜寿、傘寿、米寿、卒寿、白寿と
各年齢を祝い、最後には仏様になっていく
宗教という観点でいうと「なんだそりゃ」って
カンジなんですけど、確固とした宗教観が無いというか
あっても大乗仏教の優しい愛に満ちた、
困った時は助けてあげる、的な神様が一般的な
国民にとっての、ひとつの儀式なんだろうなって思います。
祝い事とか縁起物っていう名前の儀式。
全ての行事が商業化の延長上というか
口先三寸で世の中を動かせる人たちに
踊らされているだけなのは判っているのですが
だからって、豆まきをしないとか
恵方巻きをムグムグほおばらない
っていうのは何だか気持ちが悪いのです。
恵方巻っていつから食ってたっけ?
ていうか縁起物というより、流行りモノだよね
という疑問からの一考察でした。
日本人って無宗教というか、
生活の中に宗教が根付いていないというか
宗教を基本として生活をしている人は少数派というか
そんな民族だなって感じてます。
なので、宗教を根っこにした戦争に対して
イマイチ共感できないっていうか、
「そっか~、そんなに大事なモノなんか~」
という茫洋とした感想しか持てない自分に
世界レベルのバランス感覚が欠けているのでは
なかろうかと、ちょと不安を覚えたりもします。
あと、中国と韓国の国策としての反日というよりは
嫌日感情の煽り方も、システムとしては理解できるけど
問題点が具体的ではないままに、
感情を暴走させることが出来るのは何故なんだろう?
と、これまた根本的には理解しがたい感が
拭えません。もちろん、アチラの言い分を
全く理解できないわけではないのですが…
まぁそんな、宗教戦争にもあまり縁が無く、
ナショナリズムといえばスポーツの時にしか
発揮されない、太平楽な国の一員として生活しています。
あ、ほんでね、何がいいたいかっていうと
こないだ「恵方巻」を食べたんですよ。
2月3日の節分に。
ていうか節分ってなんだか判らないままに
豆まきをして鬼を祓い、福を呼び込み
豆を食い、恵方巻を食べているんですよ。
正月には、神社にお参りをし、
2がつの節分限定で豆をまき
桃の節句には女の子の幸せを祝い
バレンタインデーと称して愛を語り
端午の節句ならぬ子供の日には子供の成長を祝い
クリスマスにはケーキを食し
さまざまな神様の前で愛を誓い
還暦、古希、喜寿、傘寿、米寿、卒寿、白寿と
各年齢を祝い、最後には仏様になっていく
宗教という観点でいうと「なんだそりゃ」って
カンジなんですけど、確固とした宗教観が無いというか
あっても大乗仏教の優しい愛に満ちた、
困った時は助けてあげる、的な神様が一般的な
国民にとっての、ひとつの儀式なんだろうなって思います。
祝い事とか縁起物っていう名前の儀式。
全ての行事が商業化の延長上というか
口先三寸で世の中を動かせる人たちに
踊らされているだけなのは判っているのですが
だからって、豆まきをしないとか
恵方巻きをムグムグほおばらない
っていうのは何だか気持ちが悪いのです。
恵方巻っていつから食ってたっけ?
ていうか縁起物というより、流行りモノだよね
という疑問からの一考察でした。