父の三度目の命日が近付いてきた。
自宅で看取ったため、何につけ、いろんなことが思い出される時期…。
プロの看護師さんと違い、素人の身内には、精神的なストレスと、結果的・強制的な満足感みたいなものが…。
(それについて、自分はもう、「あれでよかった」と思うことにしている。
でも! 国が一律に「在宅」にシフトすることには、激しい怒りを覚える。
あたしは失業中だったし、父はがんの再発で、長くないとわかっていたけどさ。
今年の頭に、伯父90代が亡くなった。頭はまともだった。
年末、体調を崩して入院。看取ってもらう前提で、系列病院に転院させたのに、主治医がやけに「在宅、在宅」と言う。本人も帰りたがる。でも、子供たちは皆、フルタイムで働いているし、年末で忙しく、すぐには対応できなかった。自宅には、伯母・90代の妻もいて、在宅の手伝いというより、「看取りと支援」になってしまい、子供たちも対応できないし、伯母本人も頭がまともで、事態がわかっていたはず。
主治医の物言いを我慢し、入院を続けることにした。
同じことでも、主治医の言い方・対応ひとつで、あんなに悲しい思いをしなくてもすんだのに…!!!)
それはそれとして、だ。
我が家と、お寺さんの決め事で、春と秋の彼岸と「命日を一個にまとめた日」、計・年に3回、自宅に来ていただく。
ワタシが家にいるので、継続。
(外へ働きに出たら、相談して、お寺さんの方に合わせていただく!)
命日の分は。
長年、父の両親、つまりワタシの祖父母の命日をあわせ、5月末に来てもらっていた。
母が6月30日に亡くなり、その日に統合。
でも、父が10月に亡くなり…。
昨年は、父の三回忌があったから、お寺で法要、命日分はなし。
今年。
「命日分」いつにしましょうと相談になり、一般的には新しい仏さんにまとめるけど、6月30日にしておけば、3人分命日が近い、というのだが。
やっぱ、まだ亡くなって三年、新仏の日にしてくださいとワタシが言ったため、もうじきお寺さんの来る日だ!
住職、同年代。
浄土真宗のせいか、「現世にいるものが、縁を結んでいただく機会」みたいな位置づけ。
ついこないだ、9月のお彼岸も、なんか、住職の最近の健康状態を話題にしてしもうた…。
お彼岸は、住職とその弟が、檀家をまわるとわかっており、お菓子は、持ち帰りやすい個装。
でもっ。
仏壇にも、供えなきゃならないっ。
ワタシは太っているが、なぜか、甘いものはあまり食べない。
父の存命中は、もらったお菓子とか、仏壇に置いておくと、いつのまにか食べてくれた。
今は、そうはいかない。
そこで、「なにかの集まりごとに奥さんたちが配るお菓子」を断り、「お菓子はもらわない」ことをアピール。
脱出に成功。
でも、お寺さんが来る日は、仏壇のお供えと、お寺さんにお茶出すときの菓子と、自分用の菓子。
最低でも、3個用意しないとっ。
普段、仏壇は、水は毎日とりかえ、お花はすでに造花、それも、家にあったダイソーの「ラッピング用品」の花をくるくるっとまとめて、なんとなく形にしたやつ。
自分が外泊するときは、ミネラルウォーターの500mlボトルを脇に置く。
お菓子は、「すごく日持ちする小さい羊羹」か「缶詰の水ようかん」などを、お供えしている。
お寺さんが来るときだけ、生花を生け、お菓子を供える。
それ…あとで自分が食べなきゃ!
お父さん、栗蒸し羊羹、好きだったな…。
季節的にも、適切。
だけど…。
ミックスナッツの小洒落た小袋、みたいな商品ないかなー。
その方が、あとで、自分も食べやすい。
聞いたことないけど、住職も、実は甘党とは限らないしー。
(お寺で法事を営むときの、お供え。「お寺さんとご家族が召し上がる」と、葬儀屋のアフターサービス係が言っていた。特殊なものでないなら、日持ちする方がいい。で、母の49日以来、「お米」に決めている。お寺さんと家族が召し上がるのだ、銘柄がお好みでなくとも、菓子よりは米じゃないか?)
お墓は、お寺の敷地にあり、命日や彼岸・年末など、花はお供えに行く。
お寺もお墓も、家から近い。
お墓、ほぼ段差もない。
今、同級生からも、すごく羨ましがられる…。
将来、甥たちがどうするかは…そのとき、甥たちが決めればいいことだ。