西湘ケチおばRIN

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コロナで変わる葬儀・少人数化 …若い人たちの経験について

2022-04-11 08:28:09 | 日本再構築計画

『少人数・通夜なし・いまだ対面なし…コロナで変わる葬儀「価格競争も激しく」』
gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/yomiuri/life/20220409-567-OYT1T50294


コロナ以前から。
「何年も施設にいた高齢者」
の葬儀を、ご家族だけで営むケースは、結構多かった。
これは基本的な流れだ。

大昔は、職場の誰かの親御さんが亡くなっても、同僚がそろって参列したり、受付など手伝うこともあって、ワタシも若い頃はそういう経験がある。
しかし、そんな時代でもないし。

何年も施設にいた高齢者となると、本人のオトモダチも、呼ぶ相手がいなかったりする。

だから、葬儀の少人数化は、それほど驚くことではない。

ただ…。

実は、今年だけで、親戚の葬儀が2回あった。

大晦日に、伯母が老衰で亡くなり、年明け一番に、家族葬となり、自分と弟も行った。
親戚の人数自体少なく、「家族葬に含まれるメンバー」だった。

もうひとり、七十代で亡くなった親戚は、友人の多いひとだったため、わりと普通に通夜・葬儀をやった。
これも、私と弟が、ひとりは通夜、ひとりは告別式にと、参列した。

しかし。

本来なら、家族全員で参列したはずのところ、コロナを意識して、全員ゾロゾロは行かなかったわけで…。



若い甥たちが、本来なら行ったはずの葬儀に参加せず。
日本じゅう、こうなのかな、と少し気になる。

少子化と核家族化で、参加すべき、死の儀礼がもともと減っている。

知るべきこと、体験すべきことを、ますます、できなくなっている。

葬儀屋にのせられ、あるいは悲嘆のあまり、また一般人には不慣れなことで、やたらと大がかりな葬儀をやってしまうのは、ナンセンスかもしれないし、費用も不透明となると…縮小はいいことかもしれないが。


平和な日本で、死に出会う機会は少ない。

いわば、年長者が、若者に、最後に教えてやれる、「人としての現実」なのに。

そんなことを、ちょっと思っている。


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