直木賞の由来となった人物
宮あおい主演の大河ドラマ「篤姫」を見て、初めて「お由羅騒動」を知りました。
ナレーションで「いわゆる、お由羅騒動である」と説明がなされ、有名な事件であることが分かりました。
中学校で一通り、日本史を学びましたが、
(高校では世界史を選択)
当然のことながら、それくらいでは、まだまだ足りず、もっともっと積極的に学んでいかなければなりません。
さて、「横浜金沢魅力帳」(横浜市金沢区のガイドブック)を読んでいたら、
この「お由羅騒動」を描いた小説『南国太平記』の作者、直木三十五の邸宅が、
ここ横浜市金沢区(神奈川県)にあったことが分かりました。
直木三十五について
なおき さんじゅうご、1891年(明治24年)2月12日 - 1934年(昭和9年)2月24日
本名、植村宗一。
日本の小説家である。また脚本家、映画監督でもあった。
現在、エンターテインメント系の作品に与えられる直木三十五賞(通称「直木賞」)は、彼に由来する。
代表作は『南国太平記』。
(ウィキペディアより、一部加筆)
直木三十五賞について
無名・新人及び中堅作家による大衆小説作品に与えられる文学賞である。通称は直木賞。
大衆文学における直木の先駆的功績を記念して親交のあった文藝春秋社社長の菊池寛が
1935年に芥川賞とともに創設した。
かつては芥川賞と同じく無名・新人作家に対する賞であったが、現在では中堅作家が主な対象とされていて、
ベテランが受賞することが多々ある。
(ウィキペディア、横浜金沢魅力帳より)
あの「直木賞」の直木氏ですか!!
神奈川に来て、初めて知りました。
(すみません。)
すごい人が住んでいたのですね。
すでに邸宅は老朽化のため、取り壊されてしまいましたが、
文学碑はきちんと残っているとのことなので、見に行きました。
慶珊寺脇の路地を上ったところに文学碑はあります。石柱が目印。
途中、無縁仏供養塔などがある墓所を通ります。
その墓所には『女のいくさ』で直木賞を受賞した佐藤得二氏のお墓があります。
当時、64歳5か月。最年長受賞記録第4位となっています。
路地を行くと、すぐ目に入ります。
「直木三十五の文学碑」です。
昭和35年、横浜ペンクラブによって建てられました。
碑には「芸術は短く貧乏は長し」と刻まれています。
邸宅は取り壊されているおり、跡地は草木で鬱蒼としていました。
文学碑の近くにある長昌寺には、直木三十五の墓があり、毎年命日の2月24日前後の休日に、
彼の代表作『南国太平記』にちなんだ「南国忌」の名称で供養と、直木賞作家の講演会が開催されるとのこと。
私、講演会に参加してみたいなぁ、と思いました。
(引き続き、区報をしっかり読みたいと思います。)
折角、神奈川に住んでおりますので、ぜひ、神奈川に縁のある作家の作品や、
神奈川県が舞台になっている小説などを読もうと思っております。
まずは、直木三十五の代表作『南国太平記』を読んで、歴史の勉強をしたいと思います。
(その次に吉川英治の『私本太平記』!)
幸いなことに、アプリ「青空文庫」で作品が読めることが分かりました。
ガンガン読もう!
参考文献
『横浜金沢魅力帳』(横浜市金沢区地域振興課 発行)