コツコツ歩き隊!

北海道・街の一コマ : 伊達屋敷 <江別市>

小さい発見でも楽しいもの。
たとえ小さくても積み重ねていくと、さらにまたそこから発見があるかもしれません。
ウォーキング中に「発見」があると、ウォーキングがやめられなくなります。
色々関心を持ってみるといいですよ。


北海道開拓と伊達家との関わりは深く、よく「伊達」の名をここ北海道で見かけます。

札幌市白石区は伊達政宗公の重臣・片倉小十郎景綱とその子孫が代々治めてきた白石藩の家臣団が開拓しましたし、伊達市は伊達政宗公の親戚でやはり重臣の伊達成実公を初代藩主とする亘理藩の第14代当主・邦成公とその家臣団が開拓した地であります。
そして、邦成公の実兄である邦直公(岩出山伊達藩10代当主)とその一団は当別町を開拓しました。

そんな訳で、このバス停を見た時はすごく驚きまして、江別(えべつ)市も伊達家の一門が開拓したのかと、早速調べてみることにしたのでした。



このバス停があるのは、北海道江別市「白樺通」であります。
伊達家一門の方の住まいがあったのでしょうか。

江別市情報図書館によると、明治10年代、この辺りは宇和島藩(愛媛県)伊達家の開墾予定地であったそうです。
(事務所用の小屋はあったらしい。)
しかし、伊達家による開拓は実現せず、「北越殖民社」が入地することになりました。
「屋敷」というのは立派な邸宅という意味だけでなく、「家とその敷地」という意味もあり、この場合は後者の意味で使用されていました。
元殖民社の方によれば、伊達家の開墾予定地全てを「伊達屋敷」と呼んでいたわけではなく、入地する前からあった仮事務所用の小屋があった辺りを「伊達屋敷」と呼んでいたそうです。

…。
そんないきさつでも地名って残るのか、と調べていてとても面白く思いました。
「伊達屋敷」の地名は、公園にも残されているようです。

2回目の江別市訪問で、初めてバスを利用しましたが、早速、興味深いバス停を発見し、俄然、江別に興味を持ったのでありました。


※宇和島藩は伊達政宗公の長男・秀宗公が入部してから幕末まで、その子孫が代々治めた。

<参考資料>
  • 江別市情報図書館2018年10月通巻343号「伊達屋敷のひみつ 江別と四国、もう一つのつながり」

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