全能神は真理です

全能神―主イエスの再臨

全能神教会の映画「邪魔しないで」天国に入ることを阻むのは誰か 予告編 日本語吹き替え

2018-09-20 17:14:38 | 全能神教会予告編

 

 りー・チンシンは、長年にわたって主の信徒として中国の家庭教会の伝道師を務めてきました。彼女は常に熱心に福音を広めるという主の働きを行い、天国へと引き上げてもらうために、主が来られるのを心待ちにしています。ここ数年で教派は分離し、教会が未だかつてなく荒廃していくところをリー・チンシンは見てきました。中国の共産党政府と宗教界による激しい非難と迫害があるにもかかわらず、東方閃電はかつてないほどに一層活気を増しています。様々な教派や宗派のさらに多くの良き羊達が、東方閃電を受け入れています。このことで、リー・チンシンは自分を見つめ直してみることにしました。特に、宗教界の牧師や長老たちがためらいもなくあらゆる風評やたわ言を捏造し、全能神教会の名を汚し非難してきた姿を見てきています。彼らは東方閃電の証人を逮捕しようと、中国共産党政府に協力さえするのです。彼女は牧師や長老たちのこうしたふるまいや行動が、主の道からはずれていると感じ、中国共産党や宗教界が逆らい非難しているものは真の道であり、主の働きの現れではないかと考えるようになるのです。すぐに何人かの同労者たちと東方閃電について探求し、学ぼうと決意するのですが、牧師や長老たちのあらゆる妨害に見舞われます。全能神のことばを読んだり、全能神教会の伝道師による証しを聞いて、リー・チンシンとその仲間たちは、牧師や長老たちによる風評や詭弁を見抜く力を得ることになります。それによって、真の道を追求しようとする信者に対する妨害に潜む卑劣な意図や、悪意ある企みに気づき、偽善者という牧師や長老たちの本質がはっきりと見えるようになるのです。りー・チンシンとその仲間たちは、教会の牧師や長老たちに対して声の限りに叫びます。「邪魔しないで」最後には、牧師や長老たちの罠や束縛を完全に振り払い、神の王座の前に戻るのです。



全能神の発表「神の業と人間の実践」抜粋 6

2018-09-19 16:55:18 | 全能神の発表

 ビジョンが関連する物事は、おもに神自身の業を指し、実践が関連する物事は人間がなすべきであり、神とは無関係である。神の業は神自身により完遂され、人間による実践は、人間自身で実現される。神自身により行うべき物事を人間が行う必要は無く、人間が実践すべき物事に神は無関係である。神の業は神自身の務めであり、人間とは無関係である。この業を人間が行う必要は無く、また人間は神により行うべき業を行うことができない。人間が実践するよう要求されている物事は、それが自分のいのちを犠牲にすることであれ、サタンの所へ行き証しに立つことであれ、全て人間が実現する必要がある。神自身は、神がなすべき全ての業を完遂し、人間が行うべき物事は人間に対して示され、それ以外の業は、人間に委ねられる。神は、追加の業を行わない。神は、神の務めに含まれる業のみを行い、人間に道を示すのみであり、道を開く業のみを行い、道を整える業は行わない。人間は、この点を理解すべきである。真理を実践するということは、神の言葉を実践することを意味し、それは全て人間の本分であり、人間がなすべき事であり、神とは無関係である。人間と同様に神も真理の中で苦痛と精錬を受けるよう人間が要求したならば、人間は不従順である。神の業は、神の務めを行うことであり、人間の本分は反抗することなく神の導きの全てに従うことである。人間は、神が業を行う方法や生きる方法を問わず、実現するよう義務づけられた物事を実現する必要がある。人間に対して要求することが出来るのは、神自身のみである。つまり、人間に対する要求を行うのに適しているのは、神自身のみである。人間は一切自分で選択してはならず、完全に服従して実践する事以外に何もすべきではない。これが人間が備えるべき理知である。神自身が行うべき業が完了した後、人間はそれを段階的に経験する必要がある。最終的に、神の経営全てが完了した時、人間は神により要求された物事を、まだ完了していない場合、人間は罰せられるべきである。人間が神の要求に満たない場合、それは人間の不服従に起因する。それは神が業を十分徹底されていないことを意味するものではない。神の言葉を実践出来ない者、神の要求を満たせない者、自分の忠誠を捧げ、自分の本分を尽くせない者は、全員罰せられるであろう。現在、あなたがたが実現するよう要求されている事は、追加の要求では無く、人間の本分であり、人間全員が行うべき物事である。あなたがたが自分の本分を尽くすこと、それを十分に行うことさえも出来ないのであれば、自ら問題を招いているのではなかろうか。あなたがたは死を招いているのではなかろうか。あなたは、どうして依然として将来や展望を期待することが出来ようか。


全能神教会の御言葉カード

2018-09-18 10:48:11 | 全能神御言葉カード

全能神は言われた。

 「本物の被造物は創造主が誰か、人間はなぜ創造されたか、被造物としてどう責任を果たすか、万物の創造主をどう礼拝するかを知り、創造主の心、望み、要求を理解し、把握し、知り、大切に扱わなければならない。そして創造主の道、つまり神を畏れ、悪を避ける道に従って行わなければならない。」


全能神教会の御言葉 「神の働き、神の性質、そして神自身 2」 その5 パート2

2018-09-17 13:32:53 | 全能神教会御言葉朗読

終わりの日のキリストの語られる言葉 

真実で清く、偽りのないヨブの姿
ヨブの愛と憎しみの分別
ヨブの心の優しさと誠実さ
神がヨブをサタンに渡したことは神の業の目的とどう関連するか
神の試みを受け入れ、サタンの誘惑に勝利し、あなたの存在全てを神のものとされる
ヨブの証によって、後の世代に警告と啓きが与えられる

 

 

おすすめ動画:

終わりの日のキリストの語られる言葉「唯一の神自身 1 神の権威(その1)」抜粋(舞台版朗読)




全能神の発表「神の業と人間の実践」抜粋 5

2018-09-16 16:25:02 | 全能神の発表

 

 人間が真に経営の業の結晶となるのであれば、腐敗した人間の反抗を完全に駆逐する必要がある。それには、人間が様々な場合に適した実践を行い、それに対応する業を神が人間に対して行う必要がある。こうして初めて、最終的に、経営の業の結晶たる人々の集団を得ることが出来る。神の人間に対する業は、それだけでは、神自身の証しに立つことが出来ない。そうした証を実現するためには、生きていて、神の業に適した人間も必要である。神は、まずそうした人々に対して業を行い、そうした人々により、神の業が表現される。そのようにして、創造物に対して、そうした神の心の証しがなされる。そして、この点において、神は業の目的を達成されたことになる。神は独自に業を行ってサタンを倒すことが無い。なぜなら、神はあらゆる創造物に対して、直接的に自身の証しに立つことが出来ないからである。もし神がそうしたならば、人間を完全に確信させることは不可能であり、したがって神は、人間を征服するために、人間に対して業を行う必要があり、そうして初めて神は全ての創造物の証を得ることが出来るようになる。神が単独で業を行い、人間の協力が無いとすれば、あるいは人間が協力することを要求されていないとすれば、人間は決して神の性情を知ることができず、神の心に永遠に気付かないであろう。このような場合、それを神の経営の業とは呼べないであろう。もし人間だけが懸命に努力して求め、しかし人間が神の業を理解しなかったとしたら、人間は悪ふざけをしているようなものであろう。聖霊の業が無ければ、人間の業はサタンのものであり、人間は反抗的であり邪悪を行う者である。腐敗した人間が行う事全てにサタンが示され、神の味方となる事は一切無く、全てサタンの表れとなる。述べられた物事全てのうち、ビジョンと実践が含まれていない物事は一切無い。人間は、自らの観念を捨てて従来備えて居なかった物事を得ることが出来るように、ビジョンの基礎の上に実践を確立し、また服従の道を確立する。神は、人間が神に協力すること、人間が神の要求に完全に服従することを求め、人間は神自身が行う業を目の当たりにすること、神の全能の力を経験し、神の性情を知ることを求める。概括すると、これが神の経営である。神の人間との同盟が経営であり、最大の経営である。


全能神教会の御言葉カード

2018-09-15 12:11:29 | 全能神御言葉カード

全能神は言われた。

 「神であるすべて、神が持っているすべて、神の本質、神の性質は、全て神の言葉の中で人間に知らしめられている。神の言葉を体験する時、人間が神の言葉を実行する過程において、神が述べている言葉の根底にある目的、神の言葉の根源と背景を理解し、意図されている効果を理解するようになる。」



全能神教会の御言葉 「神の働き、神の性質、そして神自身 2」 その5 パート1

2018-09-14 11:57:29 | 全能神教会御言葉朗読

終わりの日のキリストの語られる言葉 

 ヨブについて

 ヨブの日々の生活に完全さ、正しさ、神への畏れ、悪を避ける生き方を見ることができる

 試みの中でのヨブの人間性の現れ(試練の中でのヨブの完全さ、正しさ、神への畏れ、そして悪を避ける生き方を理解する)

 ヨブの理性


おすすめ動画:

終わりの日のキリストの語られる言葉 「唯一の神自身 3 神の権威(2)」 抜粋(舞台版朗読)



全能神の発表「神の業と人間の実践」抜粋 4

2018-09-13 10:19:18 | 全能神の発表

 経営の業は、人間が原因となって行う。つまり、それは人間の存在により生み出される。人間が登場する以前、あるいは天と地と万物が造られた時、経営は存在しなかった。神の業全てにおいて人間に有益な実践が無かったならば、すなわち神が腐敗した人間に適切な要求を行わなかったならば (神が行った業に人間の実践に適した道が無かったならば)、その業は神の経営とは呼べないであろう。神の業全体に含まれるのが、腐敗した人間に対して実践の取り組み方を伝えることだけで、神が自身の企てを行わず、神の全能性や知恵を少しも示されなかったとしたら、神の人間に対する要求がどれほど高度であったとしても、神が人間の中でどれほど長く生活したとしても、人間は神の性情について何も認識しないであろう。そうした場合、この種の業は尚更、神の経営と呼ぶ価値が無いであろう。簡単に言えば、神の経営の業は、神が行う業であり、神の導きの下で、神のものとされた者により行う、全ての業である。そうした業は、経営としてまとめることが可能であり、人間に対する神の業と、神に付き従う者全員による神への協力を指す。こうした物事の全てを、経営と総称できる。ここでは、神の業をビジョンと呼び、人間の協力を実践と呼んでいる。神の業が高度であればあるほど (つまりビジョンが高度であればあるほど)、神の性情が人間にとって一層明瞭となり、人間の観念と一層異なるものとなり、人間の実践と協力も一層高度になる。人間に対する要求が高度であればあるほど、神の業は人間の観念とは一層異なるものとなり、その結果、人間の試練と、人間が満たす必要のある基準もまた一層高度になる。この業の最後には、全てのビジョンが完遂されており、人間が実践することを要求されている物事は、完全を極めるであろう。この時は、各人が分類される時でもある。なぜなら、人間が知ることを要求されている物事は、この時既に人間に示されているであろうからである。したがって、ビジョンが絶頂に達する時、業もそれに従って終わりを迎え、人間の実践もまた絶頂を迎えるであろう。人間の実践は、神の業に基づき、神の経営は、人間の実践と協力のおかげがあって初めて、完全に表出される。人間は神の業の傑作であり、神による経営の業全ての目的であり、また神の経営全体の成果でもある。もし、神が単独で、人間の協力無く業を行うとすれば、神の業全体の結晶化として機能するものは不在であり、その意味で神の経営には少しも重要性が無いであろう。神の業以外にあり、その業を表現し、その全能性と知恵を証明することが出来る、適切な対象を選択することによってのみ、神の経営の目的を達成し、この業全てを用いてサタンを完全に打倒するという目的を達成することが可能となる。したがって、人間は神の経営の業において不可欠な部分であり、人間は神の経営を結実させ、その最終目的を達成することが出来る唯一の存在である。人間以外には、そうした役割を果たせる生物は無い。


全能神教会の御言葉カード

2018-09-12 15:18:44 | 全能神御言葉カード

全能神は言われた。

 「ある者が何年間にわたり神を信じているかに関わらず、その者が神の言葉を経験することも認識することもかつて無かった場合、その者が救いへの道を歩んでいないこと、その者の神に対する信仰は実の無いものであること、そしてその者の神に関する認識が皆無であることは確実であり、またその者は神を畏れることとは何かについて、全く見当もついていないことは言うまでもない。」


全能神教会の讃美歌「神の本質は全能で実際的である」

2018-09-11 14:56:45 | 全能神教会御言葉讃美歌


神は実際に業を行う間
その性質と自分の全てを表す
神の全能性は
人ができない業を行うことに示され
その実際性は
神がその業を自ら為すことに示される
神は全能で実際的である
神の言葉は全能の力とともにあり
神は権威とともにある
神が言ったことは実現する
神が話す時、結果よりも前にその全能性が現れる
心に留めよ
神の本質は全能で実際的
これらは互いに強め合う
神の業は神の性質と神とは何かを示す
神の存在には、全能と義と威厳がある

律法の時代にある出来事があった
神はヨナにニネベへ行くよう命じた
その時、神の実際性がこのようにして示された
ヨナは神から受けた命令を拒否し
彼は大魚に飲み込まれた
しかし彼は
そこで3日間、死なずに生き延びた
神はヨナにしたことで全能であることを示した
神はいつもその業で自分の性質と自らの全てを示す

神はふたつの本質を持つ
それは全能と実際的であること
それらはあらゆる神の業の段階と
神が為すことのあらゆる点に見ることができる
これが神を知る道のひとつ
心に留めよ
神の本質は全能で実際的
これらは互いに強め合う
神の業は神の性質と神とは何かを示す
神の存在には、全能と義と威厳がある
神の存在には
義と威厳がある
義と威厳がある
『言葉は肉において現れる』より