1960年代生まれの音楽のメモ。

あの時観た映像や好きな音楽をクリップしておくブログ。

小林亜星さん。

2021-06-22 06:39:15 | 音楽
小林亜星さんがお亡くなりになりました。小林亜星さんは「独りよがり」な音楽など音楽として意味がないとして、口ずさんで歌える歌の作曲を追求したのだと、テレビで言っていました。

大学で音楽サークルの活動に熱中してプロの音楽の世界・ミュージシャンの道に進むような人は、1945年以降の日本では、多分にアメリカの音楽に憧れて、の部分があるでしょうから、それは1945年に近いほど濃いでしょうから、1960年代に作曲家としての出世作を出した亜星さんは、たとえば下のティン・パン・アレーのような楽曲を/あるいはジャズなんかを本当は好きで志していたのだけど、1960年代の日本ではそれは広くは受け入れられなくて、1960年代の日本で広く人々に受け入れられる曲風を探し求めているうちに、あの楽風が生まれたのではないか、と、そのテレビのその話を見て、思い巡らしました。
アニメのタイトル曲。
にんげんっていいな
魔法使いサリー
ガッチャマン
ひみつのアッコちゃん
CMソング。
この木なんの木
チェルシーの唄

たとえばティン・パン・アレーのような楽曲。
アップル・ノッカー/ティン・パン・アレー 1975年 LIVE
ティン・パン・アレー (バンド)
こっち側のアプローチも、「もう日本語で歌おうよ」と言って、亜星さんのアプローチに近づいていくアプローチもあったんですね。でもどこか違いますね。
風をあつめて
風をあつめて LIVE
恋は桃色
終わりの季節

こんな人も居ましたね。
Down Town - Sugar Babe
 ・DOWN TOWN - EPO

下2つのアプローチは、1980年代のレコード屋さんでは、「ニューミュージック」と括られて売り場に並んでいました。
2021年の今、全力で時代を生きたいくつものアプローチに拍手。感謝。(TT)(自分は、幕末に日本の生き残りをかけて生まれたあんな思想やそんな思考の勃興を連想します)