<北方領土>択捉の日本人墓石 ロシア人修復「友達だから」
この人が、プーチンに代わって大統領になったら、北方領土問題も丸く収まるのだろうが・・。
北方領土・択捉島の元島民2世らにより7月、同島の紗那墓地で倒れた日本人の墓石4基を復元する作業が始まったが、一緒に汗を流した同島在住のロシア人、セルゲイ・クワソフさん(63)がその後一人で墓石をすべて据え直した。本格復旧は来年以降と考えていた関係者は「まさかここまでやってくれるとは」と感激している。【本間浩昭】
今年度のビザなしロシア側最終訪問団の一員として富山県を訪れたクワソフさんが15日、帰港前に根室市で日本側の関係者に詳細な経過を明らかにした。
墓石の復元プロジェクトは、1級建築士の井桁(いげた)正美さん(58)=東京都中野区=が12年前に初めて紗那墓地を訪れた際、曽祖父・柏谷幾次郎さんの墓が倒れているのを目の当たりにしたのをきっかけで始まった。
「何とか修復できないか」と数年越しで計画を温め、今年7月にビザなし日本側訪問団として択捉島を訪れた際、井桁さんら11人が1912(大正元)年に同島で亡くなった高橋直孝さんの墓の修復に着手。土台にセメントを流し込み、来年墓石を据える予定だった。
その作業を手伝ったクワソフさんによるとセメントが固まった8月、推定350キロの高橋さんの墓石を小型クレーンを使って一人で据えた。さらに墓地内に倒れていた日本人の墓石を次々と据え直したという。
重さ約1.3トンもある「明治30年1月 故柏谷幾次郎」と書かれた墓石は「斜面に曲がって倒れていたので起こすのに3日かかった。いつも花を手向けています」とも話した。
根室市で井桁さんと再会したクワソフさんは直した墓石の写真のコピーを示しながら「近くに母の墓があり、行くたびに倒れた日本人の墓石が気になっていた。友達だから協力した」と伝え、堅い握手を交わした。さらに、墓石の下から見つかった皿も渡した。
井桁さんは「元島民は島を離れるとき、墓の近くにいろいろなものを埋めてきたと聞いている。きっとその一つだと思う」と感謝。「来年は元島民のおばやいとこを、復元された墓に連れて行きたい」と喜んだ。
◇「叔父の病気、日本人が治してくれた」
倒れた日本人の墓石をボランティアで修復したクワソフさんによると、母は戦後間もない1945年、ロシア中部・ボルガ川流域のサラトフから祖母に連れられ、きょうだい6人と一緒に択捉島に移住した。生前には「日本人と同じ学校(紗那国民学校)に通い、子供のころから日本人を友達だと思っていた」と話していたという。
同校は、北方領土にいまも残る数少ない木造建造物。「僕も1年生のとき(61年)まで通った。でも現在は使われておらず、いずれ壊されてしまうだろう」と寂しげな表情をした。
クワソフさんは母から聞いた日本人との親交のエピソードも語った。「叔父が病気になったときは、日本人医師が治療してくれて治った」「日本人は敵ではなく、友人だった」
その母も数年前、同島で亡くなり、紗那墓地に埋められた。紗那郊外にある同墓地は、日本人の墓とロシア人の墓が混在する状態で葬られている。
クワソフさんは「日本人とはかつて一緒に仲良く暮らしていたし、将来も一緒に住めると思う」と語った。
この人が、プーチンに代わって大統領になったら、北方領土問題も丸く収まるのだろうが・・。
北方領土・択捉島の元島民2世らにより7月、同島の紗那墓地で倒れた日本人の墓石4基を復元する作業が始まったが、一緒に汗を流した同島在住のロシア人、セルゲイ・クワソフさん(63)がその後一人で墓石をすべて据え直した。本格復旧は来年以降と考えていた関係者は「まさかここまでやってくれるとは」と感激している。【本間浩昭】
今年度のビザなしロシア側最終訪問団の一員として富山県を訪れたクワソフさんが15日、帰港前に根室市で日本側の関係者に詳細な経過を明らかにした。
墓石の復元プロジェクトは、1級建築士の井桁(いげた)正美さん(58)=東京都中野区=が12年前に初めて紗那墓地を訪れた際、曽祖父・柏谷幾次郎さんの墓が倒れているのを目の当たりにしたのをきっかけで始まった。
「何とか修復できないか」と数年越しで計画を温め、今年7月にビザなし日本側訪問団として択捉島を訪れた際、井桁さんら11人が1912(大正元)年に同島で亡くなった高橋直孝さんの墓の修復に着手。土台にセメントを流し込み、来年墓石を据える予定だった。
その作業を手伝ったクワソフさんによるとセメントが固まった8月、推定350キロの高橋さんの墓石を小型クレーンを使って一人で据えた。さらに墓地内に倒れていた日本人の墓石を次々と据え直したという。
重さ約1.3トンもある「明治30年1月 故柏谷幾次郎」と書かれた墓石は「斜面に曲がって倒れていたので起こすのに3日かかった。いつも花を手向けています」とも話した。
根室市で井桁さんと再会したクワソフさんは直した墓石の写真のコピーを示しながら「近くに母の墓があり、行くたびに倒れた日本人の墓石が気になっていた。友達だから協力した」と伝え、堅い握手を交わした。さらに、墓石の下から見つかった皿も渡した。
井桁さんは「元島民は島を離れるとき、墓の近くにいろいろなものを埋めてきたと聞いている。きっとその一つだと思う」と感謝。「来年は元島民のおばやいとこを、復元された墓に連れて行きたい」と喜んだ。
◇「叔父の病気、日本人が治してくれた」
倒れた日本人の墓石をボランティアで修復したクワソフさんによると、母は戦後間もない1945年、ロシア中部・ボルガ川流域のサラトフから祖母に連れられ、きょうだい6人と一緒に択捉島に移住した。生前には「日本人と同じ学校(紗那国民学校)に通い、子供のころから日本人を友達だと思っていた」と話していたという。
同校は、北方領土にいまも残る数少ない木造建造物。「僕も1年生のとき(61年)まで通った。でも現在は使われておらず、いずれ壊されてしまうだろう」と寂しげな表情をした。
クワソフさんは母から聞いた日本人との親交のエピソードも語った。「叔父が病気になったときは、日本人医師が治療してくれて治った」「日本人は敵ではなく、友人だった」
その母も数年前、同島で亡くなり、紗那墓地に埋められた。紗那郊外にある同墓地は、日本人の墓とロシア人の墓が混在する状態で葬られている。
クワソフさんは「日本人とはかつて一緒に仲良く暮らしていたし、将来も一緒に住めると思う」と語った。