こちらは今大変な事になっています。
応援してね この戦いが1日も早く終わりになるように
ここの動物の納骨堂にお嬢の毛が納められています
お参りして
寺院の方へもお参りに
孫娘の説明によると
寺紋が2つ上り雨龍に泉だから龍泉院という名が付いた
雨龍は雨を司るから日除けにもなる
これはあくまでも私の憶測だから真意の程は定かではないからと言われました
が、この年齢にしてまだまだ孫から教わる事ばかりです
それにしても私は今まで一体何を考えて生きてきたんだろう
お嬢が旅立って一年になります。
今何処にいるの
かな・・
おとうさんと会えたかな・・
くまちゃんも一緒
かな・・
娘からメールがきました
先程、お香と共に読経しました。
もう1年ですね。
1年、色々なことがありましたが、もーさん、ばあちゃんのことを見守ってくれてるのかな。
ありがとう
遠路はるばる娘が帰省してきたもんで
息子と娘と私とで
延び延びになっていたお嬢の納髪を昨日犬山の龍泉院で執り行いました
このお堂でお経をいただいて
こちらに移動して
ペットの納髪場
ここでもお経をいただいて
これでお嬢もやっと天国へ行けたのかも
中川清蔵主小牧長久手の戦いの際、
秀吉側の池田信輝が犬山城を奪取しますが、その時に城主中川定成留守の犬山城を守っていたのがこの人。
寺の住職ですが、その戦いで討ち死に。定成の伯父だったのだそうです
境内には
吾唯知足
吾(われ)唯(ただ)足(た)る〔こと〕を知る
満足することを知っている者は貧しくても幸せであり、満足することを知らない者はたとえ金持ちでも不幸である
という意味だそうです
お昼に近くのパスタ家さんへ
暖かいいい天気
犬山城が
息子と娘と私で各々持っているお嬢の写真を共有することになりました
カメラで撮ったもの、携帯で撮ったもの、月日はよく分かりませんが・・
そこから少しづつお嬢との思い出をupしてみようかな・・と思います
ちょうど15年まえぐらいかな
ちょこっと大きくなった頃かしら
へそてん
お嬢の合同慰霊祭が龍泉院で行われました
初めてのことでの戸惑いとすごい人混みでのもみくちゃで
読経の中での焼香もやっと済ませる事ができました
衰えていく体で厳しい夏を超えなくて済んだだけでもよかったのかと思ったりしています。
1週間前の12日の14時42,3分、私の腕の中で静かに息を引き取りました
お人好しで、首かしげ なぁに の仕草にみんな笑顔になれたよ
3月7日に生まれて4月28日にうちに来たね。
1.6kしかなくて出目金みたいだった・・その日から絶対私から離れなかったね
門脈シャントの大手術も乗り越えて、椎間板ヘルニアで歩くのも辛かった時も
そして腎不全、腫瘍ができてたなんて知らなかった・・ごめんね・・ほんとよくがんばったね
おとうさん、虹の橋のたもとで待ってるよ・・いつものように遊んであげてね
ありがとね・・15年間、おまえといっしょでみんな幸せだったよ.
忘れないでね、私たちの事
昨晩は夜中に大量の下痢を2度
何にも食べてないのに・・
今日は水も受け付けないしもう大きな声で呼ぶ事もできない
頭のずり落ちを直そうとするだけでゲツゲツ戻すし
3,4日入院しただけで形相が変わってしまったしちょっとの気配にもびくびくして
が、夕べ辺りからびくびくも無いし穏やかな元の顔つきに戻ってきてちょこっと安心
庭の花が咲き競い始めたのに心は重い
去年の今頃もそうだったし・・
年齢を重ねるにつれ悲しい事ばっかですね・・
一昨夕は夜中の2時半に起こされて4時過ぎまで背中からお腹を擦って
昼間も何度も呼ぶ。擦るとすやすや眠る。痛いのか不安からか
おむつの取り替えが又大変。する方もされる方もくたびれてしまう
昨晩は息子が当番で1時間おきに水やりや擦りに起こされて睡眠不足という
朝、水少し与えたらそれと一緒に吐血した。
もう水を与えるのも怖い
さっきは手足ばたばたして痙攣、もう駄目かと思ったけど抱きかかえて擦ったら眠った
もう目も見えないようだし私が誰だか自分が誰だか分からないみたいだけど
犬如きにと笑う人もいるけど私たちには家族だからちゃんと面倒みたい
最近はペット介護士とかペットの介護職があるらしいが
今日は暖かくありがたい
昨日は右足を捻った精か右足痛と腰痛でかがむ事もできなかったけど
湿布貼りまくったお蔭か今日は随分楽になった
お嬢の介護が始まったというにいざというときほんと間に合わない困った私
注射器で水を少しづつ舌の上に乗せる、時間をかけて根気よく
他のものは受け付けない
下顎の骨折で水が飲めなくなって一気に腎不全が悪化したよう
入院させたら腎不全少しは良くなると思ったけど
下顎の骨折の原因が分かっただけで立つ事もできなくなった、
入院させなければよかったんだろうか・・
大きな目を開けて眠るんだけど