燈籠 その2
金刀比羅神社燈籠その1のつづきになります。
境内下側の燈籠に刻まれた文字について少し書いてみました。
風化が激しく読み取れない文字があるのが残念です。
東側燈籠 東面
東側燈籠 西面
東側燈籠 南面
東側燈籠 北面
この燈籠に刻まれた名前と一致する文献が網干町史に『興騒動』という題で載っている。明治8年10月の騒ぎの事のようだ。事の起りは加東郡に近藤文蔵という長者(山形県酒井の本間氏より長者だったようです)が居て、万延元年11月興・濱田・苅屋三ケ村地先の開発の為、近藤文蔵から資金七百二十貫目を借受けた。その時に丸亀藩網干郡代と奉行から、保証のために所持の田畑質入を承諾せしめた依頼状の最後に井口善右衛門・河野與次右門・堀仁左衛門・八木重郎右衛門・福本新平・寺田平右衛門・八木又左衛門・植田仁八郎・金田丹之助・山田久太夫の名前がある。
この文字が刻まれている東側の常夜燈は天保14年のものである。
天保14年は1843年、万延元年は1860年、燈籠寄進は興騒動の際の覚書から17年前の事のようだ、覚書にある名前の本人かご先祖さんだろうか。皆さんもこの古(いにしえ)のロマンに浸ってください。
西側燈籠 西面
※ □は解読不明の文字