ひとつ年下の小野周文とは仲がよく、よく家にも来ていたようで俳句仲間であった。ふたりの俳句が書かれた短冊も沢山あり、鼎は【大拙(だいせつ)】という号を名乗っていたようだ。
周文さんの短冊
家に居る時は、渡邊家の古文書や顧問をしていた大覚寺の古文書を整理し、執筆に明け暮れていたとの事である。
当時使っていた、文机(床に座って使う低い木製の机、座って使うので座机とも言う)と硯箱と懐中時計が今でも大切に保管されている。
つづく
ひとつ年下の小野周文とは仲がよく、よく家にも来ていたようで俳句仲間であった。ふたりの俳句が書かれた短冊も沢山あり、鼎は【大拙(だいせつ)】という号を名乗っていたようだ。
周文さんの短冊
家に居る時は、渡邊家の古文書や顧問をしていた大覚寺の古文書を整理し、執筆に明け暮れていたとの事である。
当時使っていた、文机(床に座って使う低い木製の机、座って使うので座机とも言う)と硯箱と懐中時計が今でも大切に保管されている。
つづく