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姫路市網干区余子浜にある加藤家では、毎月第2土曜日の夜「土曜サロン」と題して会員制のサロンがある。
毎月いろいろな方面の方々が話しをされるのだが、今月は大津区平松の吉江さんだった。
魚吹八幡神社の資料編纂にかかわっておられる話と、網干町の時代の繁栄ぶりを話して頂いた。
知らなかった網干の世界を本日の資料を抜粋して紹介する。
網干商工会が1939(昭和14)年4月1日に発刊した「網干案内」という冊子から
「網干芸妓共同事務所」が網干町新在家101番地にあり、14軒の置き屋が掲載されている。ちなみにその当時姫路には5,6軒しかなかったとの事。
1.稲田 2.今栄 3.渡辺 4.小谷 5.加賀 6.藤原 7.福本 8.梶原 9.児玉 10.児玉 11.新茶 12.酒江 13.稲田 14.熊野
旅館・料理・仕出し・カフェー・喫茶店
1.東雲 2.福徳 3.墨井 4.大浜 5.富美世 6.花家 7.魚叉 8.春日亭 9.大多福支店
仕出し屋
1.まる万 2.富士屋 3.ニ元屋 4.名田忠 5.山中 6.山中
カフェー
1.お多福本店 2.稲作 3.天龍 4.菊水 5.白鳩支店 6.第二お多福
喫茶店
1.千登世 2.三笠 3.ブラジル 4.銀星 5.あけぼの 6.大森 7.奴 8.万直し 9.更科 10.塩野 11.すし熊 12.大和屋 13.貝賀 14.白鳩本店 15.三七十本店 16.三七十支店 17.きてや 18.加納 19.網干楼 20.井上 21.平松 22.前田
昭和21年に網干町は姫路市と合併後衰退していったというお話だった。
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