サーモンピンクのガーベラ

徒然に、気まぐれに、日々の出来事をちょろちょろっと書いてみます。
主に食いしん坊日記🍴

教訓1

2016年02月15日 16時56分54秒 | Weblog
迷い悩むことが多いので、必然的に自己啓発であるとか、教訓的なものに食指が動きやすい。


最近心を動かされたもの。

千葉県の自然酒の酒蔵「寺田本家」の家訓



特に響いたのは

「人は与えたものが与えられる
喜びも自由もお金も親切も空っぽになるまで与え続けよ」

「人は愛と調和と光を発している
お互いに助けあい、支えあい、共に生き、自ら灯りをともせ」

「人は迷惑をかけながら間違いながら生きている
どんな事でも堪忍せよ」

である。

どうしても自分の為になんでも溜め込もうとしてしまうけれど、空っぽになるまで惜しみなく与え続けたらそれがいずれは還ってくるという。
与えること、最近していたかなぁと省みる。
与えているつもりで、自分の立場や自分にとってよくなるようにと打算的に与えていることのほうが多い気がして。


自分自身も回りも、自分が光を発することで明るく見通せるのだろうなと。
誰かの光を頼りにしない、自分自身が光っていればいいんだよね。
そして、かすかな光かもしれないけれど、すでに、多分光を発しているはずなんだけど、どうしても回りの強い光に目がいきがち。
自分から発しているものにまず気が付こうと思う。


迷惑をかけ、間違いながら生きているってこと、ほんとうにその通りだと思う。
年齢を重ねてもそれはずっとそうで、完璧な存在なんてない。
仕事していると、年齢を重ねた方ほど、色々なことに気づいていて、気付かない人々に苛立っているけれど、
それは当たり前のことなんだよね。
経験が浅いんだから、それだけ気付かない、間違えることがベテランより多い。
だからこそ、教育が必要で、文句を言うことではないんだよね。
教えられるほうも常に謙虚でいなくてはならない。未熟なんだから。

自分も含め、お互いにその事に気づけていて、できる人が教え、教えられた人がそれを受け継いでいく姿勢が大切だと感じる。

うちの会社も朝礼でこういう家訓みたいなの唱和したほうがよっぽどみんな気が引き締まるんじゃないかしらとか思う。

常に自分を省みる。おごらずに、素直で、謙虚でいたいなぁ。段々打算的になってきちゃってるから余計に。反省を込めて。


旬な人2

2016年02月12日 22時59分02秒 | Weblog


批評家の若松英輔さん。

内村鑑三の著作「代表的日本人」を読み解く番組の解説者として出演されていたのだが、

まあなんとも腰が低く、謙虚。

発せられる言葉がなんとも思慮深く、淡々と紡ぎ出される言葉のひとつひとつに魂が宿っているように感じられた。

こんな先生に国語とか教わったら勉強楽しくて仕方なかっただろうと思う。

あまりにも魅力的な方だったので、そのエッセンスを感じたくて講演会に参加することにした。

お会いできるのがとても楽しみ!

旬な人1

2016年02月12日 22時27分57秒 | Weblog


モデルの呂敏さん。

ベトナムを旅する番組のナビゲーターで出演していたのをたまたま見て一気にその魅力に吸い込まれた。

チャーミング&アクティブ&語学堪能&見目麗しいスタイルとお顔の持ち主。

こんな美しくて、しかも身長180センチとな!

神は二物を与えるんですなぁ。

もう癒しでしかない!

癒されないわけがない!

応援してます~!

開眼

2016年02月07日 16時12分15秒 | Weblog


先日カウンセリングを受けたと書いたけど、あの日から気持ち的に色々と変化が起こっているみたい。

この世に生まれ落ちてうん十年。

なんでこんなに生きづらく、楽しいはずのことも楽しいと思えなく、人ともうまくやれないんだろうとずっと考え続けてきて、自分がうまくやれないことを責めて、改善しよう、乗り越えようとあがいてきたけれど、

なんでそうなったのかが、カウンセリングに行ったことで、ようやくわかった。

先生は診断したりそうは言わなかったけど、あの日話をしていて感じたことや、過去の記憶に囚われて身動きできなくなっていることについて、何が起こっているのか調べて、知れば知るほど、あぁ、インナーチャイルドが傷付いていて、癒されないままだったんだなと、
過去のことだからもう忘れて生きなきゃいけないってずっとずっと心に鍵をかけて外に出てこないように自分でもブロックしていたんだと自分で気付く。

私の思考のくせや、人との付き合いかたや、なにからなにまでインナーチャイルドが傷付いていると出てくる事例にびっくりするほどすべて当てはまっている。

なんでわたしはこうなんだろうって今まで何度も何度も繰り返し悩んではぶつかってきた問題のすべてがそこに集約されていた。

今の仕事をいつやめようと考えながらずっと続けてきた理由も、周りの人と同じになりたくて同じことをやってみても何にも楽しくないと感じたことも、居場所がないなといつも思うことも、どんな人とも長い時間一緒にいられないことも、やりたいことや好きなことなんて本当はなんにもなくて夢がなさすぎて生きてる意味がわかんなくなっちゃうことも、自分の存在価値がわからなくなって消えたくなることも、なにからなにまで。

ちゃんと私の中にいる子供の私と本当に向き合って、愛をたっぷりかけてあげて、ちゃんと認めてあげたらわたしは本当の意味で自由に、笑顔で生きていけるんだと思う。

だいぶ人生遠回りしてるけど、こういうことを経験できてよかった。

親は悪くない、そしてわたしも悪くない、誰も悪くないんだ。
でも傷は癒されなければ化膿する。菌が入って敗血症にでもなれば命を取られる。

このままにしちゃいけない。

そして今の仕事も片をつけなくては。
癒されない心の傷を埋めるために、人に感謝される仕事を選んだだけだとようやくわかったから。

もう過度に遠慮したり、人に対して献身的である必要はないんだよね。

ちゃんと自分の人生を生きていいんだよね。


いつまで生きるか、もしかしたら次の瞬間に死ぬかもしれないけれど、ちゃんと笑って最期を迎えられるように、絶え間ない愛を注いで、笑顔でいよう。

色々とあったけれど、五体満足なからだに産んでくれて、育ててくれた両親には心から感謝しています。

親になるってすごいことだし、大変だよね。よい親でいるマニュアルなんてないし、そもそもよい親ってなんだよって感じだし、きっと悩んだ末に、若かった親は育てかたを間違えた時があっただけのことなんだよね。

小学生の時にああ、親って完全な人ではないんだ、自分と同じように悩んだり間違ったりするいち人間なんだなって思ったけど、ほんとうにそうなんだよね。

でもひとりの人間の人生にこれだけ影響するんだから、人の与える影響って大きい。

わたしは親にはなれないなぁ、なりたくないなぁ。責任が重すぎる。

みんなそんなこと考えないでもっとライトに結婚して親になっているんだろうけど、私は怖くてできない。
親と同じようになりたくないから。

その不安からもいつか解き放たれる時がくるのかなぁ。
そうなるといいなぁ。

Special Others

2016年02月06日 23時50分14秒 | Weblog


Special Othersツアー東京は豊洲のライブに行ってきましたー!

もうね、ライブハウスの構造がどうだとか、ドリンクカウンターがなんでひとつしかないんだとか、ドリンクメニューがなんで二つしかないんだとかそういうことはど返しにして、

最高です。

本当に最高です。

こんなバンドは彼らしかいない。

新しいアルバムからの聞きなれない曲だってライブで聴けば魅力が増すし、今までのスタンダードナンバーも更に深みを増していて聴けば聴くほど感慨深くて、初心に還る心持ちになるし、

やっぱりスペアザ好きで良かったし、スペアザが大好きだ!

BENを聴く度に初心に還るなぁ~

又吉今日めっちゃ喋ってたなぁ~(笑)

あーーー!好き!

解放

2016年02月04日 13時06分12秒 | Weblog


まあ年始から色々ありすぎて、休みの日に必ず体調を崩し、無気力になる悪循環を繰り返していました。

思考が止まらなくなって常に考え事をしてしまうから思考を停止して脳を休ませたくて瞑想したりしても、じっとしていられない。ざわざわしてしまう。

ストレスの大きな要因であるはずの仕事には穴を開けられないからと休まず行ってるくせに、毎日何かしらに勝手に傷付いてハートブレイクで帰ってくるという日々にほとほと疲れはて、
これは愚痴るとかそういうことではなくてちゃんと誰かに聞いてもらう必要があると思いました。

なので藁にもすがる思いで、専門家にお頼み申し上げようと、カウンセリングの門を叩いたのです。

なんか、カウンセリングを受けるというのは、精神的に病んでる事が前提という勝手なイメージがあって、敷居が高くて行きにくいと思ってましたが、行ってみたらそんなことなかった。

普段の生活で自分の内面についてとか友人でも、家族でも話しにくいですよ。

けれど、生活していて常に浮かび上がってくる悩みの根っこにあるのは自分自身の内面的なことや思考の癖や、経験してきたことにとらわれていることだったりして、

そこを吐き出したい、聞いてほしいっていう欲求を満たすと同時に、自分でもその闇を見つめて、認めて、赦して、解放してあげないといつまでたっても本当の意味では前進できないんだよねと。

今回、簡単には人に話せない事をたくさんたくさん吐き出して、とても苦しかったけれど、先生の素晴らしい誘導によってどんどんとたまっていたものを吐き出せた。

ずーっとずーっと子供の頃から喉の奥につかえていた重苦しいものを吐きすことができた。

カオナシがどんどん食べ物や動物を食べたあとに千の投げ入れた苦玉みたいなものがきっかけでどんどん含んだものを吐き出していくような、そんな感じだった。

ぺらぺらとおしゃべりをしながらも、胸が、喉が苦しくて苦しくて、やっとこさぽこっと大きな過去が吐き出されたのは、嗚咽と涙がセットだった。

本当に苦しくて苦しくて。

けど吐き出したら本当にすっきりして。

代替両方でも東洋医学でもそうだけど、対症療法じゃ治らない。

根源にあるものがなんなのかをこじ開けて、知らなければ。

きちんと穴を開けて吐き出すことができるのは、自分がその事をきちんと受け止められるレベルになっていることが必要なんですと。
未熟であると受け止めきれないから外に出てこないのだそうです。
受け止められるようになるまでにえらい時間かかりました。

痛くて辛くて苦しいけれど、過去は決して変えられないけれど、それをきちんと見つめることで見えてくるものがあるんだと今までは頭でわかっていたけれど、今回心の底から、体の痛みを通じて体感できた。

みんな何かしらのストレスを抱えて生きてる。
カウンセリングは自分を見つめて、思考を整理して、自分って今こういう状況だったんだって確認してセンタリングするのにとてもいいツールだと思います。

自分のことばっかりいつも考えてて、どんだけ自己愛強いんだよ!って思ってたけど、いいことにする。
自分のことをたくさんたくさん抱き締めて、愛して、ほめて、認めてあげよう。

孤独で一人悩んでいた子供の頃の自分をたくさんたくさん抱き締めてほめてあげよう。

だってわたしは他の誰でもない、唯一無二の存在なのだから。

2016年02月01日 18時29分58秒 | Weblog

年明けてから色々ありすぎて、忙しさにかまけてジャンクなもの食べたり、不規則すぎる生活をしていたらあれよあれよと無気力になり、精神までおかしくなってきた。

合間合間にちゃんと人と会い、遊ぶ時間をとり、美味しいものを食べて、運動をしようと改めて自分に喝を。

最近は食べるということにおいて、菜食気味のほうが身体の調子はよいようだとわかってきて、けど、肉も卵も魚も食べたくなるようになってきたのでからだの声に従って食べるようにしている。

マクロビを勉強している方々が友達にはけっこういるけれど、それぞれのからだの声を聞いてやっているみたいだ。

わたしはマクロビ勉強していないので細かいことはわからないが、とらわれすぎないで、自分が体によい、食べていて幸せだって感じるものを摂取するのが一番の健康法だと思う。

断食から半年以上たって、また食生活ゆるんできたのでやっぱりそろそろいこうかなぁ。

行動も、信念も、継続するって難しいなぁ

今年はシュノーケルスイム、ヨガで楽しく体を鍛えて、美味しいものをみんなで食べにいって、そして一番難関な規則正しい生活を心がけよう。

まず、早起きを目標にします!

遅番でも、夜勤でも、同じ時間に起きるようにします!

ファイト、自分!

戯言

2016年01月13日 19時14分01秒 | Weblog


今日はいろんなことがあった。

ので、戯言を。


自分にないものを持っている人が羨ましくなるのは当たり前のこと?

それとも自分の心が未熟だから?

羨ましいと感じること自体は否定しないけど、そう思うことから解放されたいなぁ。

私には具体的な夢も野心もない。

だから誰にも取り入ろうとも思わない。

可愛がられる後輩、部下でもないし、頼れる同僚でもないし、頼もしい先輩、上司でもない。

それを自分で選んでそうしているのに、時々周囲を見ていてグラグラすることがある。

仕事が沢山でいっぱいいっぱいになってくると余計にそういうことになりやすい。

仕事って、働くって一体なんなんだろうね。

生活するため?お金を得て好きなことをする、安心を手に入れるため?自分の価値を見いだすため?世のため、人のため?

どうして私は仕事をするのだろう。

これからも今の立場で、今の仕事を本当にしていたいのかな?

どこで、誰と、どういう風に暮らしていく?

自分の人生一度きりだから、ちゃんとデザインしなきゃね。

夢も野心もないけれど、ちゃんと生きたいと思う。

今日お世話になった方の最期のお見送りをして、やっぱり問われているなぁと感じた。

後悔しないように生きろよ、今の人生で悔いはないか?って。

ありがとう、出逢えて幸せでした。

戯言おわり。

ぼやき

2016年01月03日 00時05分38秒 | Weblog

2016年、明けましておめでとうございます。

年末年始は仕事でした。

大晦日の夜勤中に意外と忙しくて慌ててご飯を食べたら舌を噛んで、そこが大きな口内炎になり、何食べてもしみてしみて、かばって食べてたら反対側も噛んじゃって、口のなかが大惨事の数日です。

それに加えて正月に働きづめなんてくっそー!って毎年のことなんだけどね、とか思って飲んだくれてたもんだからもう全然口内炎が治らない。

年始早々いやーな無限ループにはまってます。



まあ、そんなことはさておき、今日はなんだか色々なことを感じる1日でした。

年末から体調の不安定なお客様がいらしたのですが、小康状態かと思いきや、今日また体調を崩し、横になっていました。

ただ、高齢なのでなにがどうよくないのか説明をすることができません。

熱が出て、うーうーと唸るばかり。

家族は心配そうに付き添っていました。

ちょこちょことこちらも様子を見に行き、お世話をしようとすると、うまく伝えられない何かを抱えているようで大声を出して抵抗し、嫌がって叩きます。

私たち介護士は高齢者の防衛反応でそういうことがあることは知っていますし、正直叩かれたりつねられたりはよくあることなので慣れています。
(こういうことを書くと介護という仕事は大変だとマイナスイメージがつきやすいかもしれませんがどういう仕事にも大変な側面はあるでしょうからあえて書きます)

そうやって叩いたり大声を出したことに家族は驚いたようで、どうしてそんなことするの、叩いたらだめでしょ、と手を押さえて親御さんをいさめていました。

大方の方は叱ったり、抵抗するとそれはさらに激しくなる傾向があります。
なのであえて抵抗はしません。うまくかわしたり、時間をあけてみたり、防衛反応が出ないようにその方の特徴に合わせて痛いことや怖いことはしないよというサインを伝えたりしてなるべく双方に害のないように済ませるようにしています。

しかし今日は今までにない体調不良のようで、訴えられないから体で抵抗をされていました。
こちらも今までにあまりなかったので、かわしながらも叩かれるがままに叩かれました。



そんなことがあって、ふいに思い出した介護の仕事を始めた10年前のこと。

新米の私は在宅介護の仕事をしていました。

重度の認知症の方のところへのケアに一人で入るようになって2回目位の時、トイレにすわってもらい、汚れた下衣を取り替えようとその方の前にしゃがんだところ、突然頬を平手で思いっきりビンタされました。

あまりに突然で、なにが起きたのかわからなかったけど、叩かれたんだ、と分かった瞬間にわけがわからなくなってその方の前で「なんで叩くのー!」と号泣しました。

悲しくて、悔しくて、わけがわかんなくて涙が止まらなかった。
けど、ふとその方の方を見たら、とても暗い顔をしてうなだれている。

なにかいけないことをしたということは多分わかっていたんだと思います。
しゅんとして、何も言わず、おとなーしくしている。

それまではトイレに行くのが嫌だと歩くのを嫌がっていて、なんとか歩行介助をしてトイレに座ったところだったのです。

きっと嫌だと思うことをされたという嫌だという思いから私を叩いたんだろうとその時感じました。

そうしたら、その人のことが理解できたような気がしました。

こっちも嫌なことしてごめんねって。
トイレ行くの嫌だったんだよね、嫌なことしてごめんねってまた泣きました。



あれから10年。
未だに手が出るシチュエーションに遭遇するとあのときのことを鮮明に思い出します。

認知症であっても、言葉を発することができなくても、うまく思いを伝えられなくても、その方の発しているサインがある。

それを察知し、なるべくお互いにwin-winの状況を創造し続けること、それが介護だと思います。

叩かれることや、痛いこと自体は嫌だけれど、そこに隠されているサインから読み取れることがたくさんある。

私は子育てしたことがないですが、赤ちゃんと高齢者を一緒にしてはいけないけれど、「子供が夜寝なくて」とか「だっこから下に下ろすと目覚めて泣く」とか聞いてると、うーん、わかる、わかるよーとか勝手に心の中でうなずいてる。

布団に横になると寝ないからリクライニング車イスにのってもらって一緒に巡視回ったりしてるうちに寝るから、布団に戻すとすぐ起きちゃうことを繰り返すばーさんに仮眠を削って添い寝したり、
夜せん妄になっていつ転んでもおかしくない状態でうろうろする方に付き添ったり、子育ての大変さってこんな感じかいねって思うことが色々あります。

赤ちゃんは身を削って授乳したりするからもっと大変なのかもしれないけれど、なんか色々話を聞いているとかなり似ているんだろうなぁって。

10年それを体験したからもういっかーってしょっちゅう思う。素晴らしい仕事だし、楽しいこともたくさん、毎日ミラクルなことが起きたり、チャーミングな方々もたくさんいて癒されます。

けど、なんかもういいかなって思います。
人の世話をするっていうステージはそろそろ卒業かな。

たった10年でなにいっとんじゃーい、バッキャローって言われそうですけど。

実際職場には10年以上この世界に身をおいていて、今も勉強を積極的に続けている先輩もいます。
そのモチベーションはどこからやってくるのだろう。不思議。



とまぁ、色々なことが重なってぼやくに至った新年二日目。

とにかく、今年度は種蒔き。

来年度しっかり刈り取れるように今を大事に、自分の心がワクワクすることをやってくぞー!!!


HAPPYで実り多き一年になりますように。感謝。

再会

2015年12月29日 16時30分22秒 | Weblog
友人のスキンダイビング仲間の写真展にいってきました。




世界各地に行って撮ってきた動物写真はワイルドで、色鮮やかでとても素敵でした。

私はサイの親子と山の写真、冬毛のぬけかかったペンギンの写真が気に入りました。

友人のお誘いで久々に飲んべえ仲間が集合。

そして、たまたま京都在住の別の友人が今東京に来ていると連絡をくれ、アートや世界を巡るのが好きな彼女もお誘いしてみんなでランチしながらおしゃべり。

またこの京都在住の友人との出逢いが不思議なもんで。

秋口に長野で食養生合宿に参加した帰り、せっかくだからと松本のマクロビカフェ「 gen」で食事をしていた時に隣のテーブルで私と同じように一人で食事をしているとっても派手なお姉さんがいた。

何者だろうと思いながらいると、私の心を察したのか、話しかけてきてくれた。

初対面だけど、マクロビカフェにいるだけあって、好きなものが似ている。
んでFBでつながり、また会おうと約束をした。

それ以来の再会。

不思議なもんだ。お互い旅をしている先で出逢って、また別の場所で一緒にご飯食べたりしている。

一期一会だなぁ。

久々にあった飲んべえ仲間も相変わらずからからとよく笑い、元気で、おしゃべりしてとっても元気になった。

写真展をされていた油井さんはそんななかとても落ち着いたふわっとした雰囲気のおじさまで、場を和ませてくれました。

色んな人や場所やもの、ことに出逢いがある、あまり会わなくても不思議につながり続ける人もいる。

なんだか今日は色んなことが神秘的で、嬉しかった。

幸せだなぁ。うん、幸せだ。

感謝感謝。